Youth worker Support【未来を創る若者たちへ】

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履歴書・エントリーシートは誰に向けて書くのでしょうか?

2016-01-31 | 仕事

就活に付き物の履歴書やエントリーシートを書く時、いったい誰が読むのか?と考えたことはありませんか。

履歴書添削の時などに実際に聞いてみると、「えっ、人事の人?」「会社の人?」といった答えが多いようです。

次に、何人の人が、貴方の書いた文章を読むのでしょうか?と質問すると、「沢山の人?」「分からない」といった答えになります。

どちらもうなずける回答です。

私は、そこに「むずかしさ」を感じるのではないか?と考えています。

つまり、だれが読むのか分からずに書こうとしている。または、なんとなくのイメージで誰にでも受け入れられる内容にしなくてはならないと思っている。さらには、誰が読んでも納得してもらえる文章が良い。なんて考えてしまうのではないか、と思うのです。

履歴書やエントリーシートは、自分の意思を伝えるための大切なツールであることは、誰にでも理解できることでしょう。しかし、具体的な相手が想定し難い、または全く想定出来ない場合がほとんどです。

読む相手が分からずに、架空の人に宛てる手紙を書くようなものです。

例えば、このブログもそうです。いったいどんな人が読んでくれているのか、どのくらいの人が目にするのか、全く分かりません。

他にも、本や雑誌、手記、新聞、会報誌、SNSへの投稿など、不特定多数に向けて発信する文章は星の数ほど存在します。

反対に、読む相手がはっきりしている手紙やメールなども、やはり星の数ほど存在します。

では、履歴書やエントリーシートに書く文章は、いったいどちらになるでしょうか?

私は、まずそれを決めてから書くことをお勧めします。どちらか一方に決める必要もないと思っていますが、応募書類によって自分で決めるのが良いのではないかと考えています。

例えば、就活開始と同時にリクナビの「オープン・エントリーシート」を作成する場合などは、広く大勢の人に自分をアピールした方が良いと考える人もいれば、最初からターゲットを絞って、一部の人だけに理解されたいと考える人もいるでしょう。当然、その内容は違ってきます。

また、特定の会社に提出する書類なら、その職種や業界のことをよく調べておいた方が、的外れなアピールをしなくて済みます。

つまり、履歴書やエントリーシートは、不特定多数を想定するのか、または特定の誰かを想定するのかによって、書く内容も、表現も変わってくるのです。

不特定多数の人向けに書くのなら、少なくともターゲットの想定が不可欠となります。どんな業界・職種の人に向けるのかくらいは当然です。

言っておきますが、万人に納得される文章など存在しません。例えば村上春樹ほどの文豪であっても、全人類に指示される訳ではありません。

問題は、特定の誰かを想定する場合です。

応募先は決まっても、提出する応募書類を「私が読むからね~」なんて言ってくれる人は殆どいないでしょう。

だから、自分で想像するしかありません。

多くの人は、会社の人事関係者や社長さんたちが読むのでしょうね?といった感じで書いていることでしょう。

しかし、それでは不十分です。何となくのイメージしか湧かないからです。

私がよく提案するのは、今までに出会った、最も苦手な先生を想定して書くという方法です。

例えば、気難しくて細かい所を指摘するような人なら、誤字脱字は当然ですが、辻褄が合っているか、おかしな表現はしていないか、など最新の注意を払うものです。

しかも、そういう人に自分の意思を伝えるとなると、明確な説明力も必要となるでしょう。

何度も何度も書き直して、何回も見直すことが、心に届く文章に変えるコツです。

是非、お試しください。

 

 

 

 

 

 

 


未内定者の皆さん、焦るなといっても無理だよね。ならば・・・

2016-01-28 | 仕事

毎年この時期は、未内定者の集中支援になります。

「親が早く就職しろって言うので、気が焦って・・・」とか「もうどこでもいいから、とにかく決めたい・・・」など、焦らない人などいない時期です。

見るからに焦っている学生に「落着いて、着実に・・・」などと言っても上の空です。

かと言って、「もっと早くからきっちりしていないからよ!」なんて言うと、家庭の延長になったりして、二度と会えなくなります。

こんな時私は、或る約束をした上で、本人のしたい様にしてもらいます。

何か指示が欲しいと言えば出すし、とにかく沢山応募したいと思っていれば、どんどんあっせんするし、希望があれば面接の練習も何度も繰り返しする。再度応募書類の見直しを希望すれば添削するし、ただただ気持ちを聞いて欲しいなら、ひたすら聴きます。

ただし、約束も守ってもらいます。

学生に限らず、焦って訪れ、このパターンに入った人の殆どは、ほどなくすると自分の方から勝手に冷静になります。

自分の考えや行動がどの方向に向いているのかを自問自答し始めるようで、「こういう方向でやってみます」などと落ち着きを取り戻す人が多く、最初の焦りが軽減し、優先順位を自分で考えるようになるのです。

最初は「何からすればいいですか?」と言っていた人が、ほどなくすると「まずはここからやってみます」などと言い始めます。

では、約束とは何かと言うと、「感情を逐一報告する」という約束です。

一つ一つの行動に対し、自分がどの様に感じたかを、相談の度に話してもらいます。

前回応募した会社の履歴書を書いてみてどうだった? 求人情報を閲覧してどう思った? 面接はどう感じた? 家で笑顔の練習してどうだった? 説明会に参加した感想は? 家族と相談してどう思った? などなど、あらゆる質問を投げかけますが、私は、その答えに対してただひたすら聴くだけです。何のジャッジもしません。それも約束です。

勿論、共感はします。おもしろい話なら当然笑うし、悲しい感情なら受け止めて慰めもします。(泣く子も多いです)

ただそれを繰り返しているだけです。

その方が、あれこれ論理的に説明するより、自分から落ち着きを取り戻します。

おそらくそれは、安心感ではないか?と私は思っています。

安心感があると、人は自分の感情を話し始めます。出来事の説明だけでなく、そこでどう思ったのかまで話すようになります。

話すことで、自分自身の中が整い始め、だんだん落ち着きを取り戻してゆくのだと、私は考えています。

安心して落着いていると、考え方にも余裕が出来て、視野も広くなります。

つまり、冷静な判断が出来る様になるので、その時にやっと具体的な作戦が立てられる体制になるのです。

後は、本人の立てたプランに私が参謀役として協力するというチームプレーを遂行するという流れです。

周囲に焦っている人がいたら・・・

焦るなと言う程、人は焦るもの。かと言って放っておくと、不安が倍増して暴走やフリーズになります。

なので、安心感というサプリをもらいに、ハローワークに行くよう勧めて下さい。


就活のカレーライス

2016-01-27 | 仕事

就活生につきまとう、自己PRと志望動機は、カレーライスのような関係だと私は思います。

いきなりですが、極上のカレーライスとはどんな種類のどんな味ですか?

私の極上カレーライスは、シーフードカレーです。(滅多に食べられないけど)

まずルーは、大きめ魚介類が少しサラサラ状のルーと一体となり、香辛料が魚介の風味を壊すことなく、それぞれの具材の味を感じた後から、辛さが込み上げるといった感じです。途中で水を飲むことなく一気に食べることの出来る辛さがベストです。

そしてご飯ですが、ここはサフランやバターなど使わず、やはり白米に限ります。出来れば新米のやや固めに炊いたご飯がベストです。

そして、ご飯1に対してルーが1.8程度の割合で、スプーンで少しずつご飯とルーを混ぜながら食べるのが、私の極上カレーライスです。

 

はい、ではこの話がなぜ就活に繋がるのかをお話します。

この話は、カレーのルーが志望動機で、ご飯が自己PRという関係です。

はて?どういうことでしょうか?

一般的に、カレーライスを説明する時は、ご飯の上にかけるカレーのルーがどんな味か、どんな具材を使っているのか、辛さはどうか・・・などと説明するはずです。ご飯の説明は、ついでにするという感じでしょう。

しかし、極上となると、ルーの説明はよりオーバーになり、ご飯もそれにピッタリ合っていることを強調したくなるものです。

ほら、もう就活の匂いがして来たでしょう?

つまり、自分というご飯の上に、カレーのルーという志望動機を乗っけて、極上のカレーライス=「期待の人材」になるのです。

カレーライスは、ご飯とルーが織りなすハーモニーです。

同じように、自己PRと志望動機が織りなすハーモニーが、やがて仕事をする自分というイメージです。

どんな種類のカレーでどんな具材を入れるのかは、業界や職種の選択。 味付けは仕事の内容や求められるスキルだと思えば良いのです。

そして、そのカレーに合うご飯が自分そのものです。

さらに、極上カレーの食べ方まで説明できたら、それは自分の扱い方、いわゆるトリセツということになり、自分を最も活かす使い方を相手にアピールできるということに繋がります。

人は、より良いものほど自信を持って相手に勧めます。

「このカレーライス、絶対おいしいから食べてみ?味は保証するから」などと言ったりします。

面接でも全く同じです。

「私を使ってみて下さい。絶対選んで良かったと思ってもらえる自信があります」などと言えるくらいの、自己PRと志望動機の融合を目指して欲しいと思います。

そのやり方は、いつでもお教えします。

 

 

 

 


自己PRのPとRって何?

2016-01-25 | 仕事

自己PRが上手く書けません(言えません)どうすればいいのか・・・

こんな悩み、誰でも一度は味わったことはありませんか?

私の仕事の半分は、この悩みの解消だと言ってもいい位です。

「そもそも、自己PRの「PとR」とは、何の頭文字でしょうか?」

この質問に答えた人は、この6年間未だにただの一人もいません。本当の話しです。

皆さんはどうですか?(どうでしたか?)

多くの学生は、「えっつ、宣伝とか広報じゃないんですか?」と言います。(確かにそれは辞書に出ています)

中には「パーフェクト・リバティー」です!と自信満々に答えた人もいます。(勿論、そりゃPLやろ!!と言いましたが)

ではPRの「P」は?

しばらく沈黙ののち、プロフィール?プロデュース?プラン?・・・などと言います。

「ほ~っ。じゃあ、「R」は?」と聞くと・・・

う~ん・・・沈黙・・・沈黙・・・リーダー?レコード?!!

「はい、終了。」

今まで考えたこともなければ、聞かれたこともないという学生が多い事に未だにビックリできる、ありがたい職場です。

時間が十分にある学生には、次回までの宿題にすることもありますが、さすがに今どきの若者らしく、すぐに目の前でグーグル先生をお呼びになるので、たまりかねて「Public・Relation」のPとRですよ。と私が言うと・・・

はあっ????? あぁ~っという反応です。

Public(パブリック)は公の公的な・・・Relation(リレーション)は関係。つまり直訳すると「公的な関係」となります。

それが日本語の意味として宣伝や広報となる訳ですが、実は「公的な関係」という意味なので「皆の中の私」あるいは「世間にさらしてもいいと思う部分」「みんなも私も知っている側面」「普段見せている私の振舞い」「自分らしさ」・・・

こんな風に考えることもできるよ~と説明すると、大きくイメージが変わってくる学生が多いのも事実です。

実は、私がこの様なやりとりをするのは、大きく二つの意味があります。

一つは、質問の意味を理解(把握)するという意味です。

おそらく、ほぼ全ての就活生は、最初の段階では質問をちゃんと読んでいないし、聞いていないと、私は断言できます。

自分なりの解釈で、或いはイメージで質問を捉えています。

だから、的外れの答えを言ったり、答えが導けないのです。

小学生の頃から「質問をよく読んで答えなさい。」と言われたように、質問の意味を理解することは、基本中の基本のはずなのに・・・

(私もそうでしたが・・・)

自己PRとう質問を、「自分の良い所をアピールすることだ」と解釈したり、「自分の長所や短所のことかな?」とイメージしたり、様々です。

だから、あえて「自己PRのPとRの意味は?」などと聞きます。

そして、もう一つは「自分で考える」という癖を付けるという意味です。

これまた、ほぼ全ての就活生が、考えることと、探すことがごちゃ混ぜになっていると、私は観ています。

つまり、「考える⇒答えが見つかる⇒それだけが正しい」という方程式のようなタイプが増えてきているように感じます。

このパターンが決して悪いとは思いませんが、これは、宝のありかを探す事と同じです。だから常に「本物なのか?」「正しいのか?」という疑惑とお付き合いすることになり、落着かないのです。

考えても考えても、答えが出ない方が多い世の中で、就活に出て来る質問には必ず宝のような答えがあると、素直に思っている若者を愛して止まない私ですが、ここはひとつ親心で接し、あえて質問責めにしたりするのです。

日本の将来はどうなると思う?世界平和はやってくるのかな?あなたの未来はどんな世界にしたい?など、決して一つの正しい答えなどない質問を、何十も浴びせることもあります。(あくまでも親心です)

「考えても答えがでないなら、考えるのを止めよう。」というのも考えなければ導けないし、「考えずにいよう」と考えていなければならないのが人間(脳)の機能でもあるように、考えるという事は、決して答えを導くためだけにある機能ではないことに気付いて欲しいと、私は思っています。

では、最後にもう一つ質問です。

「自己PRは、就活では避けて通れません。」この言葉は正しいですか?

 

 

 

 

 

 

 


自己分析は難しいことではないですよ。

2016-01-23 | 仕事

就職相談に訪れる若者に、「自己分析はしていますか?」と訊ねると・・・

「私には、何も自慢できるところはないし、何一つ成功した経験もありません。だから私は、自己分析をする意味がないと思うんです。」

「自己分析は一応しているけど、何も出てこないとゆーか、何を出すべきなのか分かりません。」

「自己分析は、けっこう真剣にやって来たつもりなんですが、結局自分のことがよく分からなくなってしまいました。」

「自己分析って、そもそも必要なのかがイマイチ分からなくって~。とりあえず~、お友達に聞いたりしている?みたいな。」

この様な回答をわりと多く耳にします。

皆さんは、この様に答える若者をどう思いますか?自己分析が出来ていないと思いますか?自己分析は必要だと思いますか?

はっきり言って、自己分析をあまりしていなくても就職する人は大勢います。つまり、自己分析は就活の必須項目ではありません。

しかし、私は自己分析はやるに越した事はないと思っています。

自己分析は、文字通り「分析」ですから、自己認識だけでなく、自分を客観的に観ることが要求されます。

しかも、様々な観点から自分の内面を観たり外から観たり、他人の目や心を通して観たらどう映るのかを聞いたり、さらに検査などで数値化した能力や特性をどう活用するのかなど、やればやるほど厄介なことに違いありません。

でも、やった方が良い。それは・・・

 

会社に入ったら、嫌だな~と感じる仕事でもしなくてはならないし、苦手だな~と思う人とでも上手く合わせないといけなくなる。

もしかしたら、自分に合わない職場かもしれない・・・(不安)

では、面白い!ずっとしたい!という仕事ならどうですか?しかも素敵な先輩たちに恵まれた職場なら・・・

毎日が楽しい仕事生活になることでしょう。

では、嫌な仕事と楽しい仕事、苦手な人と馬が合う人、それを決めるのは誰ですか? もちろん、自分自身ですよね。

ではさらに、嫌と楽しい、苦手と好きの違いは、自分のどこから生まれるのでしょうか?つまり判断基準ということです。

 

こうなったら嫌だな~、でもこんな事になったら楽しいだろうな~、いやいやでもこんな事が起こったらやっぱり嫌だな~・・・

こんな考え方、普段からしているでしょ。あれこれ想像していますよねぇ~。

勿論、その答えは人それぞれです。

でも実は、こういう風に考えて行くこと自体が自己分析だと、私は思うんです。

そして「こうなったらイヤ!」の「こうなった」とか「こんな人は好き!」の「こんな」というのは、全部過去の記憶の中にあります。

さらに、「こうなった時」に自分が取った行動やリアクションは、案外家族や周囲の人がよく観てくれているものです。

今までの人生、そうやって何事も判断して来たはずです。自分なりのパターンがあるはずなんです。

それを確かめるのが自己分析です。

ということは、自己分析自体は、そんなに難しいことではないということです。

もっと身近な例を挙げると、洋服を買う時などは実に緻密に自己分析をしていることになります。

まず自分の服のサイズを知っていること自体が立派な分析です。さらに好きなデザイン、色、用途、予算、買うタイミング、他の商品との比較、似合うかどうかの検証、本当に必要か、本当に欲しいのかの判断などなど、実に多くの事を巡らせて買っていることでしょう。

正に自己分析の極みみたいな行為を、普段の生活で無数に繰り返しているのが、私たち人間です。

じゃあ、何で就活の自己分析になると、冒頭のような答えになるのでしょうか?不思議ではないですか?

そう、このような答えを出せること自体が、実は分析の結果なんです。

自分のことを、「何も自慢できるところはないし、何一つ成功した経験がない。」と思っている。

自分は「何かを出ことを自己分析と言うのだ。」という考えを持っている。

自分は「自分のことを分からければいけない。」と思っている。

自分では「本当は必要ないのではないか?」と疑問を持っている。でも不安だから人には聞いておこう。

という、分析結果を言ってくれたのです。

つまり、みんな自己分析が出来ているんです。

但し、就活に活用するには不十分なだけです。だから、そこから色々加えて行きました。

かつて、こんな答えをくれた若者は、全員しっかり就職しました。

自己分析は決して難しくありません。ただ、就活に関しては「やり方」があります。