電通の若い社員が、毎日続く長時間残業を苦に自殺という最も悲しい手段でこの世を去った報道が、あちらこちらで議論を呼んでいるようですが、今回は就業時間の計り方について書きます。
労働法では、1日8時間、週40時間以内(例外あり)で働くよう定められていることは、今や知らない人の方が珍しいと思います。
しかし、労使協定(36協定)を結べば、上限はあるものの、それより長く働かせることが出来るため、事実上は8時間以上働いているという人も圧倒的に多いと思います。
では、就労時間(実際に働く時間)は、どこでどのように区切ればよいのでしょうか?
タイムカード、出勤簿に記入、カードリーダー、日報での自己申告、携帯ナビで通知する、LINEで知らせるなど、時間を記録する術は様々あります。
しかし「ここからここまでが仕事の時間」と区切ったところで、仕事の途中で同僚と今晩飲みに行くお店のメニューについて話したり、昨晩飲みすぎてやる気が出ずにだらだらしている時間(瞬間)は、仕事をしていることになるのでしょうか?
休憩時間なら良いでしょうが、仕事の途中で私用メールが届き、ちょっとだからと返信メールを操作する時間などは、仕事をしている時間になるのでしょうか?
その一方で、帰宅しても、明日大切な交渉があるからと、資料に目を通したり、チェックしたりする時間は、就業時間ではないので仕事をしていないことになるのでしょうか?
自宅でお風呂に浸かりながら仕事のアイデアを練っている時間も、夢に素晴らしいアイデアが出て来たからと飛び起きてメモをとる時間も、就業時間でなければ、仕事とは認められないのでしょうか?
この様に、人が仕事をする時間というのは、ある一定の時間経過だけでは計測できない側面を持っています。
一昔前に流行った「24時間働けますか」というリゲインのキャッチコピーの如く、四六時中仕事モードの人は今でも大勢いると私は思っています。と言うか、私もその一人です。でもその一方では、8時間も長く仕事のことなど考えたくないし、実際にそうしているという人も大勢いる事でしょう。
そういう観点で就業時間を考えてみると、本当はとても計測し難い時間だと観る事ができます。
なので、多くの企業では(未だに)就業時間を「身体の居場所」や「身体の動き(状態)」、さらには「着衣の有無」で区切ります。
つまり、意識まではコントロール出来ないし見る事も出来ないので、目に見える身体を基準に時間をカウントするという方式です。
これは、かつて高度経済成長を成した日本のレガシーだと私は思うのです。いわゆるブルーカラーの労働者たちを効率よく、しかも意欲的に働かせるための時間設定の延長上に立つ考え方だと思うのです。
今後も就業時間をめぐる議論は尽きることはないと思いますが、これからは確実に身体ではなく「意識」の時代になると思います。
人口知能やロボットが活躍する時代を迎えて、人間の果たす役割も大きく変化します。
そろそろ、身体を基準とした就業時間の計測から、意識レベルでの就業時間のカウント方式?を編み出す必要がある様に思えてならない今日この頃です。
今このブログを読んで頂いている方、貴方の意識は今、仕事をしていますか?