Youth worker Support【未来を創る若者たちへ】

「はたらいて幸せになろう!」仕事は自分を成長させ、人を幸せにします。そんな仕事を楽しむための情報をお届けします。

シリーズ「新入社員の奥義」その3:「最初が肝心」の意味とは

2016-03-31 | 仕事

いよいよ社会人スタートです。

何事も、「最初が肝心」とよく聞きますね。

仕事に限らず、新しい事業、新店舗オープン、新学期、進学、合コン、お見合い、婚活パーティーなど。

様々な場面で「最初が肝心」と言います。

そう言えば、面接練習の時も「最初の挨拶で決まる」なんて言われた人も多いと思いますが、これも「最初が肝心」という訳です。

とかく、人と人が初めて遭遇する場面によく使われる言葉ですが、なぜでしょうか?

ある辞書には「最初にとった態度や方法が後々まで影響を及ぼすことから、物事はよく準備してかからなければならないという教え」とありました。

分かったような、分からないような意味ですね~。

なぜ、最初にとった態度や方法が後々まで影響を及ぼすのでしょうか?途中で変わるかもしれないのに・・・と思いませんか?

実は、この言葉は、私たちの脳機能のクセでもある「観点の固定」から派生した考え方です。

人は、他者を認識するとき、最初の印象が最も大きな影響を与えると言われています。特にノンバーバル(非言語)による印象付けの方が強烈に記憶に残ると言われています。つまり笑顔や美しい姿勢でのあいさつ、さらには清潔感といった、いわゆる見た目です。

メラビアンの法則が有名ですが、ハロー効果といった理論もあるように、私たちは、最初の印象でその人のイメージや人柄を決めつける傾向が強く、最初の印象が強ければ強いほど、その印象が後々まで残像として残るので、いつまでも「この人は・・・な人だ」となるのです。

それを、先人たちは「最初が肝心」と言っては、できるだけ好印象を与えようと、満面の笑みを浮かべて美しい挨拶をしたのです。

そこで、明日から社会人となる人への奥義として、ぜひ心に留めておいて欲しいことがあります。

確かに、人との出会いは「最初が肝心」です。なので、しっかりと笑顔で元気よく挨拶しましょう。

しかし、最初だけが肝心ではありません。

その先もず~っと肝心は続きます。(生きている限り)

なので、明日から、いや今から「今が肝心」という言葉に置き換えて欲しいのです。

肝心なのは、最初だけではないのです。

しかし、だからと言って、最初に好印象を与えれなかったとしても、何の問題もありません。

そこに「気づき」があれば何の心配もありません。

気づけば変えることができるからです。

そして、貴方自身が、最初の印象だけで、人を決めつけないで下さい。

今ここの自分、今ここの相手という関係性が築ける人になって下さい。

そう言う意味で、最初は肝心なんです。

人を決めつけない、自分も決めつけない。そう言い聞かせて肝心の初日を迎えて下さい。

 


私だけの仕事の流儀 (順也)

2016-03-29 | 仕事

「私だけの仕事の流儀」7人目は、人の絆を大切にするグラフィックデザイナーの登場です。

 

ニックネームは「順也」さんです。

太宰府市在住 45歳

職業:グラフィックデザイナー  株式会社 丸信

 

 

今回のインタビューも、私の呼びかけに応えて頂き実現しました。

順也さんとは、以前から何度かイベントやセミナーなどでお会いすることはありましたが、二人だけでお話しするのは今回が初めてとなり、これまでの彼のイメージを大きく変えるインタビューとなりました。

やはり、人はじっくり話さなければ分からないことを改めて感じると同時に、この出会いには実は彼なりに家族のこと大切に想うが故の大きな決断があったことを知り「人の出会いの妙」を痛感するひと時となりました。

デザイナーという世界に飛び込んだ経緯から、その後業界内で確実に階段を上がるような職歴の話、さらに今後のビジョンなどもお話ししてもらいました。

決して順風満帆とは言えない、しかし着実に得るものは掴んできたという感じの彼の仕事人生でした。

今回は、そのほんの一部に過ぎませんが、その仕事人生を紹介します。

 

● これまで経験したお仕事・またはその一部

高校卒業後、日産のディーラーに就職。約4年後に退職し、アルバイト生活に突入。(約2年)

その間、もともと好きだった音楽への憧れも捨てきれず、ソニーグループの一つ、ソニー・ミュージック・コミュニケーションズという会社のアシスタントの職を得る。

その会社は、CDジャケットの制作から、ポスターなどの販促品も手掛ける総合広告代理業でした。

彼はそこで、CDという音楽媒体が企画段階から実際に店頭に並ぶまでの一連の流れを知ることとなります。そこで初めて、グラフィックデザインという仕事に出会います。

そもそも彼は、ミュージシャンを目指してこの仕事に就き、得意のギターを業界関係者に披露するチャンスを伺っていたそうですが、実際に本物のアーティストを目の当たりにしたとたんに、実力の限界を感じてしまい、その後の人生をどう生きるかを考えていたそうです。

そんな時、先輩からパソコン(MAC)の使い方を教えてもらい「自分にもできるかも」と思うようになり、独学でデザインの勉強にのめり込んで行きます。

アシスタントの合間でこつこつとデザインに取り組む中、ある日上層部の人から「営業部門の配属なら、業務委託契約ができるがどうする?」との声が掛かります。

それは、はっきりいて大きなチャンスでした。しかし、彼はその誘いを断わり、自分の作品と履歴書を10社以上のデザイン会社に送り就活を開始します。

それが彼の、デザイナー人生のスタートとなりました。

その後は、スキルアップを図り、デザイン業界で転職を重ねて行くことになります。

個人事務所を2か所(計3年)・中堅制作会社(5年)・フリーとして活動(2年)・小規模のデザイン会社(5年)・大手制作会社(5年)と、約20年間で広告はもちろん、商品ラベルやパッケージデザイン、さらには新商品の企画開発まで手掛けるマルチプレーヤーに成長してゆきます。

 

● もっとも印象深い仕事と、その内容

大手制作会社の時代に、アサヒビールグループが開発した健康食品「スリム・アップ・スリム」の企画開発に携わったことです。

一つの商品を生み出し、お客様の手に届くまでの一連の流れに加わることができたのは、デザイナーとしても貴重な経験であり、人間としても成長を感じることができる仕事でした。

デザイン性という観点だけでなく、マーケティングという観点、依頼主の思いという観点、お客様目線という観点と、それぞれの立場や役割、さらに予算や時間との駆け引きもあり、今までにない緊張感に包まれた仕事でした。

すべてが一朝一夕には進まないハードな交渉が続きましたが、1年以上の時間をかけて店頭に商品が並んだ時は、この上ない達成感を味わうことが出来ました。

今でも販売されているその商品を見る度に、あの頃の自分を思い出します。

 

● その仕事を振り返って、今思うこと

健康食品の企画開発という仕事は、自分にとって何もかもが挑戦でした。

その中でも特に苦労したのは、他のメンバーとの意見の相違を埋める作業です。様々な分野のプロたちが結集したチームでは、互いの主観がぶつかり合うことは日常茶飯事で、自分も負けじと主張を繰り返す日々でした。

しかし、その環境は同時に、自分に対する問いかけの時間でもあり、相手の思いを考える時間でもあったと今は言えるようになりました。

自分は“作り手”としての思いを大切にしたいと考えていましたが、それは同時に“使い手”の思いを理解することだと思います。

この仕事は、デザイナーとしてだけでなく、自分の仕事に対する姿勢にも大きな転機となった経験です。

 

● 忘れられない仕事での失敗談

思い返せば沢山ありますが、大切な打ち合わせに遅刻した時は、本当に焦りました。

前日に飲み過ぎてしまい、翌朝気づけば約束の時間でした。大慌てで着替えてタクシーに飛び乗り、携帯で言い訳をしながら「早く着け!」と思う反面「なんて大人げないのか…」と自分を責めながら向かった時のことは、今でも恥ずかしい思い出です。(35歳頃の出来事です)

他には、個人事務所時代にフジテレビ主催の演劇用パンフレット16ページのラフ版(試作品)を依頼されていましたが、実際に取り掛かったのが提出日の前日だったことです。

その時は異常なほど多くの仕事を抱えており、貫徹は当たり前のような仕事をしていて、忘れていた訳ではないのですが、結果的に時間が無くなってしまいました。

しかし、そんな言い訳が通じるはずもなく、とにかく16ページを仕上げて提出しましたが、当然出来栄えたるや悲惨な状態でした。

上司のお陰で会社に迷惑をかけるには至りませんでしたが、忙しいとは言え、やっつけ仕事をしてしまったという苦い思い出です。

 

● 仕事で影響を受けた人

ソニー時代にお世話になった4歳年上の先輩です。彼はデザイナーとしても一流でしたが、人間性にとても惹かれるところがありました。

彼は「愛のあるデザイン」という言葉をよく口にしていて、とてもオープンな性格なので仲間も多く、信頼の厚い人でした。

今ではプロモーションビデオの制作やCM制作なども手掛ける、業界では有名な人で、今でも自分が目指すべき存在の一人です。

 

● 仕事で楽しいと思う瞬間

まず、シンプルに「いいものができた」と思える仕事に出会えた時。

次に、意外な発見に遭遇した時。

例えば、デザインはある一定の法則性に沿って色やロゴ、背景などのバランスを考慮する側面があるが、それを絶対視していては良いものは作れない。なので、固定観念を捨てて敢えて不文律に挑戦することで、意外なマッチングに出会う瞬間があり、それこそデザインの醍醐味だと思う。

そして、相手の主観とすり合わせてシンクロした時。

ある仕事でカメラマンと共同で料理本の広告を手掛けた時、自分のイメージに合う構図をイラストにして要求したところ、そのカメラマンは自分の意図をよく理解してくれて、彼なりのプロ目線でさらに良いカットを提案してくれた。言葉や絵を通して彼の主観とすり合わせを行った結果、カメラを通して物を観て、それを観る側に最大限のインパクトを与えるような構図を映し出す彼の中のスクリーンと、デザイナーである自分自身が思い描くイメージがシンクロした瞬間だった。

デザインとはそういうもの。生きているものだと思う。

 

● 今になって思う、仕事のために、やっておけば良かったこと

自分は、偶然デザインの道に入って独学でやって来たが、学生の時から目覚めてそれなりの勉強をしていれば、今頃はもっと大きな仕事を手掛けるデザイナーになっていたかも知れないと思う。

その道には、やはりそれなりの“王道”という道があると思う。

優れた仕事をするにはやはり基礎は大事だと、今でも痛感する。

自分の努力とチャンスを生かすことに変わりはないが、やはり美大などの専門性のある勉強をしてこの世界に入ってきた人は、最初からそれなりの舞台に立つ可能性が高いと思う。

 

● ズバリ、仕事とは何か

自分を成長させてくれるもの。

仕事は必ず人との関係の中で行う。だからこそ出会いがあり、その出会いが自分の刺激になり、結果的に自分を成長させてくれると思う。

 

● 自分にとっての仕事の意味価値とは

自分を表現して、人とのつながりを感じること。

互いの主観のすり合わせをすることで、相手をより理解でき、自分も分かってもらえる。

自分は、デザインという主観が出やすい仕事を得たことで、作品に自分の主義主張を表現することが出来るが、仕事には総じて自分を表現できる側面があると思う。

だから、互いに真剣に取り組んだ仕事ほど、その人の人柄がにじみ出てくるのだと思う。

 

● 未だ社会に出ていない若者へ、贈る言葉

自分に枠をはめないで、個人のブランド力を高めて欲しい。

情報社会ならではのチャンスを掴もう!!

自分を認めて支持してくれる人は必ずいる。そう信じて人間力を磨いて欲しい。

 

★ 私だけの仕事の流儀

「人を想うデザイン」を極めたい。相手の期待を超える価値を提供すること。

自分はあるものをデザインする時、それを作る人たちの背景や、それにかける情熱、さらにそれを観て使う人の感情など、物質的な情報よりも気持ちを大切に仕事に取り組む。

そうすることが、単なるセオリー通りのデザインではなく、魂の宿るデザインになると思うし、先輩の言っていた「愛のあるデザイン」に近付くと思う。

デザインを極めることは、結局は人間性を高めて行くことにつながる。

 

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順也さんとのインタビューの中で私が感じたのは、彼の自立心と向上心の強さです。

その印象は、実は今まで感じなかった新たな発見で、話してみて分かったことでした。

彼がデザイナーだということは知っていましたが、当然それなりの学校を出てその道に入ったのだと思い込んでいました。それがまさかミュージシャンを夢見ていたとは予想も付きませんでした。

仕事との出会いは本当に一期一会だと改めて感じるエピソードでした。

だからこそ、彼は現場の下積みから一つ一つこなして行き、階段を上るように自身でステージを上げて行ったのだと思います。

独学とは言え、その技術を現場で叩き上げて来たからこそ、「人を想うデザイン」という一つの答えを導き出したのだと思いました。

そして、最も驚いたのが、福岡に移り住むことになった理由を聞いた時です。

それは、あの東日本大震災に起因します。

日本史上最悪の事態となった福島原発の放射能漏れの事故は、当時の東北はもちろん、関東圏でも深刻な事態として市民に大きな不安の影を落としてしました。

飲料水はおろか、食料品もろくに口に入れられないほどの不安が蔓延し、一時期九州産の野菜などが大量に関東に送られていたのは記憶に新しいところだと思います。

当時は、その被害を逃れて西日本へ移住することを真剣に考えていた人も少なくなく、順也さんもその一人でした。

彼は東京生まれ東京育ち。奥さんは横浜の人です。当然ながら説得には時間がかかりました。

しかし彼にはどうしても譲れないことがありました。

それは、その年の1月に誕生した娘さんのことでした。

生まれたばかりの子供のことを想うと、このまま東京で不安を抱えながら生活するよりも、心身ともにのびのびと生活できる環境に移ることは、彼の父親としての固い意志でした。

それから約1年後、仕事も故郷も手放すことを彼は決断し、なんのゆかりもない九州の地に移り住むことになるのです。

デザイナーとして積み上げて来た実績が幸いして、転職にはそれほど苦労はなかったと彼は言いますが、私はその話を聞きながら、彼の決断力に本当に感動しました。

そして、話しをしながら時折垣間見せる彼の繊細さとこだわりの強さを物語るエピソードだと感じました。

周囲には当然「考え過ぎだ」と揶揄する声もあったのだと想像しますが、娘を想う気持ちは私も同じ父親として共感できます。しかし、私に同じ決断ができるのか?と考えると、彼の行動力の凄さを思い知るのです。

そして、あの震災を巡って当時の関東では移住を真剣に考えるほどの事態になっていたことを知らない自分を恥ずかしく思いました。

念のため付け加えておきますが、移住を決意したのはあくまでも順也さんの主観によるもので、移住の是非を問うつもりは毛頭ございません。

しかし、私がこのお話を紹介するのは、人の出会いというものが本当に不思議でならないと思うからです。

彼の大きな決断がなければ、私はおそらく一生彼に出会うことがなかったと思います。

でもこうして彼の仕事人生を聴く機会に恵まれたこと、彼に出会えたことに本当に感謝しています。

人の出会いの妙を感じたインタビューでした。

最後に、彼は将来デザイナーという枠を超えて、人と人のつながりを生み出すような仕事がしたいと話してくれました。

私も順也さんと同じように、人をつなぐ仕事がしたいと思っているので、これから共に協力できる日が来るよう頑張ろうと思いました。

順也さん、本当にありがとうございました。

 

 

2016.3 Youth workerSupport 「私だけの仕事の流儀」

 


シリーズ「新入社員の奥義」その2:面接の本番はこれからです。

2016-03-28 | 仕事

もうすぐ、新社会人になる人に向けて発信しています。

社会に出ると、周囲の人から様々な場面で色々なことを聞かれたり、聞かされたりします。

例えば、どこの大学だった?学生の時はどんなサークルに入っていた?アルバイトはした?親御さんはどこにいるの?他の会社に行こうと思わなかったの?なんでこんな会社に入ったの?・・・このあたりの質問は、ほんのご挨拶程度ですが、歓迎会など場では、お酒も入るのでプライバシーに関する質問も飛び交います。

新入社員という存在は、何かにつけ「刺激」となります。またそれは、顧客にとっても同じ事です。

なので、新人の紹介で挨拶回をする中でも、お得先の担当者や責任者に同じような質問をされたりします。

さらに、同期入社がいる場合も同じです。つまり、自分も同期に同じような質問をすることになるのです。

実はこれって、誰もが無意識に行う面接なんです。私はこれを「認知面接」と呼んでいます。

場合によっては「あなたを覚えてあげますよ」的な上から目線の面接にもなります。(得意先などの場合)

つまり、面接は採用選考の時だけだはありません。

むしろ、採用選考の面接は準備段階で、入社後に本番の面接が待っていると思った方がよいくらいです。

初対面の人と好意的な関係を築こうとすれば、自ずと質問をしたくなるし、質問もされたくなるものです。そうやってお互いの情報交換を行いながら、互いを認知して行くのです。

古い人ほど「腹を割って話そう」などというのも、この行為と差ほど変わりません。

認知面接は、そういう行為を無意識に行っている様子を言葉にしただけです。

なので「普通の会話じゃん」と思っている人が多いと思います。

だからこそ、ここに”奥義”が必要なのです。

それは・・・

 

「オープン&ユーモア」です。

とにかく、自分なりに明るく「人によって答えを分けない」「自分の意志を明確に伝える」を意識的に取り入れることです。

注意としては、何でもバカ正直に答えるのは違うということです。(そうしたいと思うひとはいいですが)

よく分からないという人には、採用面接の時の「ぶっちゃけトーク」をすることをお勧めします。

面接では聞かれずに言えなかったことなどを話すとよいでしょう。本当はこんなことも言おうと練習していたのに・・・などと思っている人は意外に多いので、それこそ話すチャンスです。

しかも、採用の可否を心配せずにリラックスして話せたら、面接の時よりもっと話が盛り上がることでしょう。

ちなみに、面接で嘘をついてしまった人はこの手法が使えないかもしれません。面接指導で「本当のことを言いましょう」というのは、実は入社後のためでもあるんですよ。でも仮にそう人がいればの場合ですが、できるだけ早めに訂正した方が良いとだけ伝えておきます。(経歴詐称なら別ですが、多くの場合は許されますので…)

 

いずれにしても、新入社員にとってはしばらくの間「認知面接」に晒されて疲れる時期ですが、それだけ自分に興味を持ってもらえる時期だと受け止めることをお勧めします。

また、「認知面接」は仕事を覚える過程でも大切な通過点なので、あまり構えず、オープンマインドで乗り切ってほしいと思います。

是非、お試し下さい。

 

 


シリーズ「新入社員の奥義」その1:先輩に好かれるには・・・

2016-03-24 | 仕事

今回から、新社会人になる方に向けて、楽しい社会人ライフを送るための奥義をお伝えします。

この時期は、入社日を控え、期待と不安が入り混じっている方や、すでに研修に入っている方、早く仕事がしたいと気が逸っている方、ここに来てやっぱり行きたくないとブルーになっている方など、様々な思いで過ごす時期です。

しかし、どんな思いを抱いていても、その会社にご縁があって入社することになったのです。

まずは感謝しましょう。

さて、第一回目ですが、それは組織に溶け込むための必須課題と言ってもいいくらい重要な「先輩に好かれる方法」につてお伝えします。

新入社員なら、誰しも通過するいくつかの壁があります。

その一つが「人の壁」です。つまり周囲に認めてもらうこと、好かれることです。

新人の初期段階は、初めての出会いにワクワクする楽しさの半面、仲間に向かい入れてもらえるかという不安も感じられて、緊張感と気疲れの日々がしばらく続くことになります。

そんな新入社員にとって、先輩社員との関係構築は、その後の社員人生を大きく左右することになります。

なので、まず先輩社員に好かれることに越したことはないのです。

では、どうすれば好かれるのでしょうか?・・・奥義は2つあります。

挨拶をする。自ら動く。気を遣う。言葉や態度を適切に・・・などと思った人は、その通りです。実行しましょう。

でも、もっと大切なことがあります。それは・・・

その1:貴方が、先輩社員を好きになることです。

先輩の凄いところや尊敬できるところ、親切に接してくれるところなどを見つけて、感謝して接することです。

 

その2:とにかく一所懸命に仕事に取り組むことです。

余力を残すことなく、その日一日のエネルギーを全部仕事に使い切るつもりで取り組むことです。

 

入社したら、ぜひ試してみて下さい。

そして、人の壁をクリアして下さい。


私だけの仕事の流儀 (ミッチー)

2016-03-20 | 仕事

「私だけの仕事の流儀」6人目は、真理を追究して来た技術者の登場です。

 

ニックネームは「ミッチー」です。

福岡市在住 68歳

現在は、第一線を退き警備部門で活躍中です  九州メンテナンス勤務

 

 

今回のインタビューでは、人生経験が豊富な上に、石油プラントや原発建設に携わるなど類稀な経歴の持ち主だったので、お話を整理するのがやっとで、何をどこまでお伝えできるか不安になるくらい盛り沢山の内容でした。

ご本人も、自らの経歴を詳しく話すような機会がほとんどなかったとのことで、様々な思い出を手繰りながら一生懸命思い出していただきました。

しかし、話を聞けば聞くほどその人柄に吸い込まれて行き、仕事だけでなく人生において本当に勉強になる事ばかりが飛び出し、時間を忘れて聞き入っておりました。

今回は、そのほんの一部に過ぎませんが、彼の仕事人生を紹介します。

 

● これまで経験したお仕事・またはその一部

高校卒業後、東芝姫路工場に入社(約3年) 退職後はプロの設計技師に弟子入りし、設計の道を志すも、自身で向いていないと気づき、いわゆる現場技術者として活躍。

20代後半に友人と共に、中央電気株式会社を設立。様々な現場を経験する中、中東の石油プラント建設にも参加(海外勤務)

その後、中央電気を退くも、個人の人脈と現場経験の豊富さを生かして、半ばフリーランスで技術系の仕事を請負う生活に入る。その中で原発建設の現場管理者として抜擢され、結果的に5か所の原発建設に関わり、中でも柏崎原発では所長として約2年間勤務。

そんな最中、奥様の体調不良を機に福岡に戻り、知人からの紹介で、アメリカの超大手企業であるGE傘下の医療機器部門、GEヘルスケアジャパン福岡支社に技術者として入社。

悠々自適の技術者人生を送っていた時、ある人物との出会いがきっかけでGEを退職。人生の大きな転機を迎える。

しかし、生活のための仕事を探していたところ、やはり豊富な経歴と人脈で、現在の九州メンテナンスの技術者の職を得る。

60代も後半となり、現在は技術の第一線からは退き、同会社の警備部で現役を続行されています。

 

● もっとも印象深い仕事と、その内容

あまりにも多くあり過ぎて限定出来ないが、石油プラントの建設に関わっていた頃は、今でも思い出すだけで汗が出るくらい酷暑の中で頑張っていたと思う。

その中でも特に印象深いのは、日本に帰国してしばらくして、第一次湾岸戦争でアメリカが空爆しているニュース映像に、自分が携わった油田が攻撃されているのを観た時です。

自然に言葉を失い動きが止まり、なんだか虚しさだけを感じていたことを、今でも思い出す。

 

● その仕事を振り返って、今思うこと

これまでの仕事にすべて共通しているのは、人の縁で仕事をして来たということです。

私ほど、人に恵まれた人間はいないと今でも思っているし、私自身人の出会いや縁を大切にしている。

現場で叩き上げてきた自分にとって、人とのつながりは本当に宝のようなもの。しかも転機を迎えた時ほど不思議と次に繋がるご縁をもたらしてくれたと思います。

これまで色々な現場、幅広い仕事に関われたのも、ご縁あってのことだと感謝しています。

 

● 忘れられない仕事での失敗談

これだけ多くの現場を経験すると、本当に多くの失敗談があるので、何を話せばいいのか分からないが、

どうやら自分は感情的になりやすいところがあり、仕事の仕方や立場の違いで、よく人と衝突したことを思い出す。

自分では当たり前だと思うことも、時には周囲の認識と違うところがあり、つい自分の思いを分かって欲しくて声が大きくなることが多かったので、中には出入り禁止処分を受けた現場もある。

常に自分は、仕事をする上では人としての振舞いというもの大切にしていた。

しかし、時にそれを他者に求めることもあったのだと、今になって思う。

 

● 仕事で影響を受けた人

若い時に、共に中央電気を興した同級生(社長)。彼も技術者だが、じょう舌で明るく、一言で相手を魅了する才能も持ち合わせていた。しかし、その華やかさや優れた説得力の裏に見え隠れするお金の匂いは拭えずにいた。

そんな彼に比べ、私は正反対といった感じだったので、ある意味彼を尊敬していたが、彼のおかげで、本当の人付き合いの大切さ、ご縁の有難さに気づけたと思う。

 

もう一人は、設計技師を志していた時にお世話になった5歳上の先輩。彼は根っからの職人気質で、若くして数約万にもなる図面を引くほどの、いわゆる天才だった。

横浜まで追いかけて弟子入りのような生活の中で得たのは「仕事は教わるのではなく、盗むもの」という教えだった。この言葉こそ技術者にとっては“金言”であり、その後の私の仕事人生の根底を支えることとなった。

私が設計の道を断念したのも、彼に「君の図面はカビがわく!」と言われたことが決め手となった。

3次元の世界を2次元で表現することが難しく、どうしても時間がかかる私を、本来進むべき道に戻してしてくれたのだと思う。

 

● 仕事で楽しいと思う瞬間

どんな仕事でも、自分の思いが相手に通じた時はとても嬉しい。

仕事には常に相手があるので、その相手と心が通い合う仕事に巡り合えた時は心から楽しいと思う。

 

● 今になって思う、仕事のために、やっておけば良かったこと

今でも思うことは、やはり勉強あるのみ。

本を読もうが、人に聞こうが、どんな方法であれ、勉強する姿勢は大事だと思う。

特に、人との出会いから得る情報は宝の山だと思う。だから今でも新しい出会いはワクワクする。

 

● ズバリ、仕事とは何か

仕事とは、命をかけてやるもの。

それだけ本気になって真剣にやらなくては、いい仕事は出来ないと思う。

 

● 自分にとっての仕事の意味価値とは

仕事とは、真理そのもの。

対価を得るという観点から言えば、生活の糧を得るという意味になるかもしれないが、私にとってはそれこそ命に直結する行為が仕事であり、生きることを意味する。

 

● 未だ社会に出ていない若者へ、贈る言葉

自由に生きてほしい!

世間や親に気兼ねすることなく、縛られることなく、本心を開放して欲しい。

若いからこそ、自分に限界や範囲を定めないでいて欲しい。

 

★ 私だけの仕事の流儀

人のご縁を大切に、思うがまま生きること。

私は長いこと技術者として仕事をして来たが、これまでの仕事人生には常に人のご縁が然るべき方向に導いてくれた。

その一方で、常に自分には野望があった。

このままではなく、もっと知りたい、もっとやりたい、もっと出会いたいという思いは今でもある。

自分の思いに忠実に素直に向き合い、これからも人とのご縁に感謝して生きてゆく。

 

 

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私がミッチーに出会ったのは、観術という学問の場でした。

初めてお会いした時から、「ミッチーと呼んで!」とご挨拶され、その気取らない明るさと温厚な人柄に魅了され、直ぐに打ち解けることが出来ました。その後もお会いする度に握手をしながら「おおっ!いいエネルギー出てるねー(笑)」などと声をかけて下さるのがとても嬉しく思っていました。

私がこの取り組みを始めて直ぐに、協力するよと言って下さったことにも感謝しております。

そんなミッチーから得た、最も大きな学びは「真の実力」を磨くことです。

彼の仕事人生には、どこそこ会社で・・・というフレーズはほんの少しだけしか登場しません。

つまりそれは、組織に依存した与えられた受け身の仕事ではなく、ご縁を大切に自から望んで掴んだ仕事を、命がけでして来られた証だと、私は感じています。

仕事には命をかけるだけの価値があると、彼は言い切ります。

それほどの情熱を注いで来たからこそ、周囲と衝突することも多くあったと懐かしんでおられました。

しかし、それこそ真の実力を身につけてゆく原動力になるのだと教えられました。

ミッチーのこれまでの軌跡は、まさに現場で叩き上げて来た生粋の技術者にふさわしい経歴でした。

また、彼は好奇心が大変強く、常に物事の本質・真理を追究する側面もあり、今でもその情熱は衰えてなどいません。

そういう姿勢がミッチーを若々しく輝かせているのだと、生意気にも感じました。

最後に、自分の夢は0~6歳児を対象とした学校と創ることだと明かして下さいました。

人間が誕生して、その人柄を形成してゆく上で最も大切だと言われる時期に、その親も含めて然るべき環境で子育てできる場を創りたいと、楽しそうに話されていました。

 

今回私が得たことは実に多く、特に彼の謙虚さには本当に頭が下がる思いでした。

これだけの経験を持った超一流の技術者が、随分年下の若造との話をニコニコしながらつき合って下さったことに心から感謝致します。

これからも、ミッチーの仕事人生はさらに奇想天外な方向に変化してゆくことだと思いまいますが、生涯勉強の精神は私も共有させて頂きます。

 

ミッチー、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

2016.3 Youth workerSupport 「私だけの仕事の流儀」