【2023年】ツイッターつぶやき
東京都の立川、国分寺を中心に水道水の勇気フッ素化合物の値が高くなっていましたが、WHOが発がん性が「ある」としました。発生源はわからないようですので、対策がわからないのでしょう。
水道水が地下水なのでしょうか?
立川には米軍基地がありますが、関係があるかどうかははっきりしません。
政府は血液検査を強化するとしていますが、、、、
≪過去の記事≫
【2003年】
江國さんの「ホリー・ガーデン」を読み始めました。
動き、香などを通してその雰囲気を伝えるところなどは、読んでいてドキッとします。さすが・・・という感じです。
まだはじめのほうだけしか読んでいないのですが、この後の展開が楽しみです。
夜はしゃぶしゃぶにしました。
コタツの上でガスコンロを使い、しゃぶしゃぶと。温まりました。
安い肉ですがおいしかったです。
【2004年】
このところ乾燥続きで昨日からの雨はよいお湿りかなと思っていたら、とんでもない。。。。
早朝は横殴りの雨でした。
熱帯低気圧の通過だったと思うのですが、生ぬるい風が吹き荒れました。気温も24度とか。
木々に残っていた枯葉もすべて飛び散りました。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
「東京日記2 ほかに踊りを知らない。」
平凡社
川上 弘美 著
都市出版社「東京人」2004年5月号から2007年4月号までに連載された作品です。
「ついこの前『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』が出たばかりと思っておりましたら、すぐに三年がたって、この二冊めを上梓することとなりました。」
(「あとがき」より引用)
「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」は、やはり平凡社から出版されましたが、その「あとがき」には、
「『東京日記』という題は、(中略)敬愛する内田百閒の同題の作品にも。とはいえ、百閒先生と並んでしまってはおこがましい気がして、表紙には『東京日記』という字は、小さく印刷しました。」
とあります。
内田百閒の「東京日記」は、かなり不思議な世界がありますが、川上さんの「東京日記」もどこか不思議な世界があり、でもそれは日常の中にある不思議さでありクスクス笑ってしまうようなものも多くあります。
この日常の中の不思議な事については前作の「東京日記」では、
「以前『椰子・椰子』という、嘘日記の本をだしたことがありました。本書は、本当日記です。少なくとも、五分の四くらいは、ほんとうです。普通に生活していても、けっこう妙なことがおこるものだなあと、読み返しながら、なつかしく思いだしております。」
百閒の「東京日記」ほどの不思議さではない日常の「妙なこと」という不思議さです。ですから実際に起きた日常での出来事という点ではほんとの話で、本にして出版する点での配慮や作品として仕上げる上での「嘘」が五分の一という事だと思います。
今回の作品も、やはり五分の四はほんとで。。。。と、あとがきに書いていらっしゃいます。
春。。。竹の子が食べたいと思う川上さん。すると一箱の竹の子が届く。茹でておいしくいただいていると他の方からまた竹の子が一箱届く。また茹でる。するとまた他の方から竹の子。竹の子を茹で続ける川上さん(笑)
こんな妙なこと、そして竹の子をどんよりしながら茹で続ける川上さんの姿を想像してクスクス笑ってしまいます。このようなお話しが集められている作品です。
先の「東京日記」に比べると、文章がさらに短くなりなんとなく俳句趣味がより進んだように感じます。俳句の中には趣のある滑稽が有りますが、まるでその俳句をを読むような感じで読める作品だと思います。
俳文というものがありますが、ある説によれば俳句をする方の文章一般をいうらしいのですが、俳句趣味の文章という意味で捉える事ができるのなら、まさに両「東京日記」は俳文と呼んで差支えがないのかと思います。そしてその俳文の中でも滑稽さを出した俳文。
作品中に「シュール。」という文章がありますが、俳文の中の俳句趣味の滑稽というのは、シュールなおもしろさといってもよいのかもしれません。その時は真面目なのですが、後で思い起こせばなんだか自分を自分で笑ってしまうという事もありますし、人の行動の中にはなんだかわけのわからない面白さ(笑い)があるものです。川上さんもクスクス笑いながらお書きになったのではないかな。
本の題名のネタバレになりますが、川上さんは、誰もいない部屋の中で「一人東京音頭」を踊ります(笑)
それは「一人東京音頭」を踊るという誰も見ていない中の川上さんの面白さでもあり、その面白さは川上さんご自身でしか、川上さんご自身の心の中でしかクスクス笑えないものです。それを読者が読むという中の面白さ。自分を自分で笑ってしまうおもしろさ。なんとなく自分を遠くから眺めているような風景。そこにこの作品のおもしろさがあるのではないでしょうか。
人は生きていれば大きな出来事があり、その中に心が大きく揺れる喜怒哀楽があります。しかし、このような大きな喜怒哀楽というものはそうは毎日起きないものです。かと言って毎日がまったくの平凡かと言えばそうでもなく、心が小さく揺れる小さな喜怒哀楽があるわけです。それが「東京日記」で書かれているおもしろさだと思います。
あとがきは、
「どのひとのうえにも、ひとしく幸いが訪れますように。
そして、もしまんいちなにがしかの不運をこうむったひとにも、近く幸いが訪れますように。」
と、結んでいます。
「妙なこと」の中にはおもしろい事もあれば不幸な事もあります。その「妙なこと」にも大きさがあります。それを自分を遠くから眺めるように、これもすべて「妙なこと」のあった一日として眺められれば心も休まるかもしれません。また、平凡さの中にある小さな喜怒哀楽を引き起こす「妙なこと」これを滑稽な笑いにできれば幸いかと思います。
気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
暖かな日差しの中、土産品を売る売店が並んでいた。
ある土産物店に高く和菓子の箱が積まれていた。少し聞いたことのある和菓子なのでみていたら試食をくれたので食ってみたらうまい。
買おうかなと思ったら、店の人が「日持ちしますよ」と。
たしかに土産物は日持ちがしたほうが良い場合があるが、
「車の中に入れておいても大丈夫」
「〇日ぐらいは大丈夫」
「日持ちしますよ~・・・・・」
と、何度も繰り返す。
和菓子ですからねぇ。。。。
そう何回も日持ちがするからといわれると、かえって大丈夫かなと思ってしまう。添加物たっぷりとか。まぁ、今は包装の技術がすすんでいるから昔のようにたくさんの防腐剤が入っているというわけはないと思うがやはり何度も「日持ちします」といわれると。。。。
和菓子でもほんとの土産物!といったものはそんなもんかと買いますが、しっとりとした和菓子ですからなぁ。。。。
たぶん、あの「日持ちしますよ」は逆効果だと思った。
気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。
【2011年】ツイッターつぶやき
野田総理がILOアジア太平洋地域会議に出席をして演説をしたようだ。
演説の中身の一つとして「世界の中間層の危機」を取り上げて貧富の二極化を是正すると。
日本ではすでに中流意識は薄れている。中流というのは相対的なものだから常にその社会には社会の中流がいるわけだが、全体的に賃金は下落をして雇用も失業率は増えて不安定雇用が多くなるなどこれまでの自民党政権から政策的に行われてきた。年金をはじめとした社会保障の切り下げも行われ、この切り下げの中に言われた100年は大丈夫な年金改革は破たんをした。この全体的な生活の低下や不安定さの増大が中流という意識を消し去ったのである。
このような状態の中で野田総理は中流層を厚くする政策を強調するわけだが、どうもそのために何をするかとなると具体的なものはほとんどない。それどころか消費税の増税を積極的に行うという。中流意識を吹き飛ばしてしまった現在の生活の実態にその生活を苦しくするために油を火にそそぐようなことを行おうとしている。
様々な中間層を厚くする政策も財源が必要なわけでその財源を消費増税として行うということになるのだが、これでは国民の生活の豊かさは出てこないでしょう。庶民の生活向上を庶民からの増税ででは。。。。
賃上げはもちろん、派遣法の改正もままならず、失業はほとんど改善されず、政策仕分けでは社会保障の切り下げの提案、抜本的な改善がない上に競争というグローバル社会には手を付けない中に行おうとするわけだから改善される具体的なものはないわけです。
朝日新聞の今日の社説では「社会保障と税の改革 消費増税は避けられない」とあった。
ここにも何かしら具体的な政策提案があるのだろうか?野田総理と同じことを言っているだけである。
【2012年】ツイッターつぶやき
社会を支えていくものに「三助」の考え方がある。自助・共助・公助という三つの社会における国民の最低限の生活を保障するという事や富の再配分そして自治体や企業を健全化するなどを目指したシステムである。
自助は、個人が社会のために労働をしてその中で個人の生活を維持していくという事でしょう。今でいえば自己責任とか自立した国民という意味にもなると思います。
共助は、互いに助け合っていくという事でしょう。今でいうと年金問題が大きくなっていますがその中で若い人がリタイヤした御高齢者を年金などで支えるといったようなものでしょう。
公助は、国家がその行政の役割として地方自治体なども通じて国民生活の安定化を図ることにより助け合うという事でしょう。
今回の総選挙の争点もこの「三助」考え方にあると思います。
一つは自己責任や自立した国民を強調する新自由主義的な「自助」を前面に出した政策です。
たとえばリタイヤしたお年寄りを個々の家庭において支えるといったようなものであると同時に、この各家庭の収入もまた個人の努力で得ることを言う。しかし、日本のバブル崩壊時やアメリカのリーマンショック時に典型的に表れたように企業というものは利益を上げている間は自助ですがいったん破滅しそうになれば手厚く保護されるといったように企業には自助の責任はありません。助とは国民一人ひとりに対するものと見た方がいいでしょう。
二つ目は年金制度や健康保険制度のような国民から徴収をされた資金+国の税金を活用した福祉国家あるいは社会民主主義的な政策である「公助」を前面に出した政策です。ここには富の再配分としての税の使い方も含まれるわけで、様々な社会保障が行われます。各家庭においては自助とともにリタイヤしたお年寄りは年金で自立した生活をおくります。問題は高齢化社会や国の借金問題が対置されます。
こう見ると自助を言う政策は、企業や富裕層に有利なわけで、格差社会といわれている現在においてはこの自助社会は破たんをするでしょう。一方では公助社会は国の借金を膨らませると言われる。
こう見たときに矛盾が出るわけですが、その解決をどこに見つければいいのでしょうか?
それは「共助」の中身の問題となります。早い話が富の再配分のやり方です。
現在の共助の中身は先にも書いたように、年金で言えば若い人(現役世代)が年金受給者を支えるというような一般国民同士がそのぎりぎりの生活をしている中に自助を求めています。ここに社会の富を多く得る企業や富裕層の役割が出てきません。厚生年金掛け金は個人と企業の折半し+公的資金ですが、こういったものが広がりを持たなければ本来の共助とはならないでしょう。消費増税にしても大衆課税という性質からある意味一般国民の共助的な中身です。しかしここには富裕層の所得税や法人税の減税が続いてきましたしそこの改善は見られない。
今後の日本を支えるのはこの共助部分の改革により公助を広げることでしょう。
自助だけを強調するならさらなる貧困化は避けられませんし、それはデフレもさらにひどくするでしょう。その中で国や企業も衰退していきます。
【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法案が強行可決(一部国会審議のない修正による4党の可決か?)されようとしていますが、日本社会は自粛と萎縮の社会にますますのめりこんでいくでしょう。
自粛は小泉政権内で広がりましたしそれ以前の昭和天皇崩御でも顕著でした。自粛は広く社会に広がりそれが経済にも影響を及ぼし、特に勤労国民は国や企業のためには我慢といった意識や諦めが蔓延しました。それが失われた10年ないし20年です。そしていまさらに安倍政権の中で加速をして失われた30年に向かいつつあります。今回は自粛だけではなくて国民の萎縮を呼び込むことになります。
勤労国民の自粛や萎縮は一時的にはカンフル剤として作用しますから国や企業にとっては都合のよいものです。しかしそれは長期的な社会の低迷をもたらします。
なぜ日本では起業が行いにくいか。。。。これも含めて勤労国民はその自主性による自由な発想が鈍くなり、勤労国民一人ひとりに夢や自由がなくなればそれは社会の停滞を引き起こします。国や企業の言うことを聞くだけの一面では都合のよい国民がそこに現れますが、打ちひしがれた国民に活力は失われます。
財界も今のままでよいと思っているのでしょうか?特に内需関連や中小企業のかたがたは?
勤労国民が自粛・萎縮すれば企業活動も鈍るということです。日銀や政府の経済政策が異次元といわれるほどに行われてもその恩恵は少ない。経済工は株・金融そして一部輸出企業にしか広がらない。来年4月には消費増税ですぐに10%にもなる。賃上げを検討しているのは一部の10%にも満たない企業でしかない。社会は萎縮していくのです。
安倍政権はこの経済政策を抜きにしたかのように秘密保護法案に集中している。
経済と政策は自粛・萎縮の中に停滞をしていく。
裏を返せば、自民党政権が復活をして今後も政権を維持するには自粛・萎縮した社会という統治しかなくなっているということです。
自由と民主主義の党。。。自民党は、保守勢力の一部の力により変質してしまう。もちろん自民党がこれまで自由と民主主義の党だったかといえばそうではなかったのですが、55年体制も含めて国会そのものは重要視して修正も議論されて政権は維持をした。この自民党は保守としてはまじめな面もあったのです。しかし今はどうでしょうか?議会制民主主義すら危うい状況を作り出している。
保守層の建て直しも含めて左派と中間層による自由と民主主義平和の理念を再度構築しなければならないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
1ドル120円に行くか?と見ていたらいきなり121円に。これが瞬間風速化122円に向かうものか?
円安が早すぎるという声が多いがこの速すぎるが加速度を増している傾向にあることは間違いないでしょう。
株価が騰がって喜んでいる方々がたくさんいて、121円に!と週明けを楽しみにしているのでしょう。。。。
しかし急激な円安が懸念されはじめてそれが加速度をもつようになっているなら、もう水ぶくれの株価に喜んではいられないでしょう。その株高で景気がよくなったとまだ喜ぶべきなのでしょうか?
円安→物価上昇→貯蓄の目減り。。。もちろん財布の中身は軽くなる。
円安が急速に進みどこまで下がるか不安になれば円を売ってドルなどに替える。すると円安はさらに進む。物価はさらに騰がる。結局円安は円の信用がなくなるという事。
これは経済の根幹にかかわるものでしょう。
今は政治家も選挙で忙しいのですが、やはりこんな時期に選挙などやっている場合ではなかったのです。
「円安、異例のハイペース…食品系で値上げ相次ぐ 読売新聞」
「2倍の速度で進む円安、前回円高時に比べ関連倒産件数は3倍超 | Reuters 」
円安は経済の足かせとなりつつあります。
円安が経済の足かせとなるにもかかわらず円安が株価を吊り上げ続けるというのは株価バブルです。
日銀はまだ追加緩和を捨てていないし、物価上昇目的に突き進む。経済が成長していない中で純粋な経済成長からの物価上昇を思い描いているのですから。しかしバブルの様相を示した場合は出口(引き締め)しかなくなるでしょう。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
日本社会総体で見ると日本は閉塞した社会になっており、この中で閉塞感が広がっているのではないか。
一時テレビ番組でも「日本、すごい」といった番組がたくさんありましたし、北朝鮮や中国時には韓国を批判することによりやはり日本はすごいなどの優越感を持ったり、時にはそれがヘイトにもなった。
しかし現実を見れば日本の閉塞感の裏返しのように見えてくる。
政治は選挙公約などどこ吹く風と国民生活の不安定化を加速させるような政策が矢継ぎ早に出され、改憲という形での自由や民主主義の制約にも閉塞感が出ている。上位下達的な、国家が国民の上に立つ逆立ちが大きく感じられてくる。
自民党から民主党そしてまた自民党への政権交代が行われたが、その中で決められない政治が社会の閉塞感のように報道されたが、一強政治がなおさらこの閉塞感を深めているというのは一つの皮肉です。
日銀の黒田総裁が、現在の日銀批判に対して答えているが、結局は経済の好転がない中でその過熱による2%インフレが達成されないことに日銀緩和失敗の答えは集約されているのであり、様々な答えは大丈夫だという言葉による期待そのものです。
企業の不祥事は音からあとから発覚をして、時間外労働の実態や過労死問題により大企業と言えどもブラック化している。そしてその企業というのが政治献金。
この閉塞感を打ち破ろうとする新党結成は、言葉だけは勇ましいが結局は希望の党のように自民党の補完勢力ではという疑心暗鬼が強まって国民の信頼が得られなかった。
閉塞感が深まると言葉による国民統制が進むがこれは悲劇です。
閉塞感はデフレマインドを作り出しますし、国民の疲弊は犯罪(いじめもそうでしょう)の増加を引き起こす。犯罪までも行かないまでも国民同士の中に互いの対立という構図を作り出している。トランプさんが国民の融和を言っていましたが、この失敗と同じことが日本でも起きている。「和」や「絆」などなどという言葉はたくさん出るが社会全体としてみれば分断されている。国民が国など力による統制によって和や絆をというものは失敗をする。
それでも国民は頑張っている。
ここの国民はこの社会の片隅において地道に労働をして家族を守り融和を求めている。
この国民をまた日本人の優れたところだと日本はすごい敵な権力者が出る。
このほころびは拡大していくでしょう。それが経済危機としてあらわれるでしょう。これまでの日本社会が築いた貯金を失いながら。
【2018年】ツイッターつぶやき
東名高速でのあおり運転の裁判が始まった。
弁護側から被告に対してパーキングエリアで「邪魔だボケ」といわれたときどう思ったかという質問に「カチンときた」と答えている。
邪魔だボケという言葉でなくても感情むき出しのクラクションとかもあります。
ここに今の社会の人と人との関係が現れていますね。
たしかに相手側に落ち度があるにしても、その相手の人格を傷つけるような言葉や行動に正当性はない。店の店員にミスがあったので土下座まで要求するようなこともあります。
こういった言動が正当化される時代なのでしょうか?正当化されないまでも相手が逆切れしたらどうするんでしょ?逆切れを「あおっている」ようなものです。
もちろんこの事件で被告を弁護するつもりはありませんが、逆切れをあおるような言動にも問題があるということです。
逆に運転していると後ろに目が付いていないドライバーがいますね。
低速でずっと高速道路の追い越し車線を走っていたり、上り坂で上り坂車線があるのにその車線の移らない低速の車。左車線あるいは上り坂車線からみんな追い抜いていく。
こういったものも「邪魔だボケ」の挑発の言動にも結び付く。
まぁ、どっちにしてもこういったトラブルは「後ろに目が付いていない人の言動」が引き押しかねないものなのでしょう。
【2019年】ツイッターつぶやき
はとバスの運転手さんがインフルエンザの高熱のために意識がなくなり事故を起こし衝突されたタクシーの運転手さんが死亡した。
常務乗務前に会社も気が付かず、運転手さんも自己申告しなかったという。
結局は運転手の責任でこの事故は片づけられるでしょう。
しかし一つの疑問がある。
なぜ運転手は自己申告しなかったのでしょ?
体もきつい中無理に仕事をしなくてもよかったでしょうし、したくもなかったでしょう。
運転手さんは体の異常があるようなときはもちろん日常的に休暇などを採れていたのでしょうか?急に体に異常が出たときに変わりに運転をしてくれる乗務員はいたのでしょうか?いたとしても帰りにくい実態はなかったでしょうか?
こういったことから会社も自己申告で大丈夫ということにしてしまう。
働き方改革と言いますが、まだ無理な働き方をせざるを得ない実態があるのではないでしょうか。
ここを改善しなければ同様な事故が今後も起きるでしょう。
普通のサラリーマンも同じです。
【2020年】ツイッターつぶやき
Go Toトラベルを利用した人がのべ5600万人(泊)だそうで、関連でコロナに感染した人は240人程度だといわれています。5600万人も出かけているのに240人程度ならGo Toは感染拡大とはつながらないだろうと思ってしまいまうね。
でも、5600万人というのは1人の人が何拍もしたりしている延べ人数ですから実際は多くて2000万人ぐらいでしょうか?240人に対しての分母がだいぶ少なくなるのは確かでしょう。すると感染率は高まります。
もちろんこれでも240人という数字は少なく感じますね。
でも、この240人という感染者が特定された条件というのはどのようなものかというと政府の発表では人数の数字だけです。例えばクラスターのようなものがあって後追いして判明したとか限定された条件での数字ではないかと思いますがどうでしょう?地方の人が東京や大阪などの大都市圏に来て繁華街で飲み歩いていたとか。そういうところで感染が判明されれば確かな数字となりますが。
しかしGO Toでの感染はむしろ大都市圏の人が地方に出かけた場合の方が心配されます。
この場合、地方の方が大都市圏の方から感染したとなると特定ができるでしょうか?友達が東京からGo Toで来て飲み会をやったとかであれば特定はできますが、旅行客となれば特定するのは難しいでしょう。
でも大都市圏の人が感染させてしまったという特定はできませんが、全国の感染者の増加とGo Toの前倒しの実施とリンクするのは確かでしょう。この辺は現在の感染拡大で政府もGo Toを一時停止するようになっていますし、東京や大阪からの他県への移動を自粛するよう要請していますので、人の移動による感染拡大自体は否定をしていません。そのうえで個々人に感染拡大防止策を自己責任で行いGo To自体を全国的には継続をし、継続どころか来年半ば(下手をすればオリンピック終了まで)延長しようとしているだけです。
Go Toの影響はかなりあると見たほうがよいでしょう。
これからクリスマスや年末年始ですからね。GO Toの利用やGO Toを利用しなければ大都市圏にも人が押し寄せることもあり得ます。ただ10時以降は飲めなくなるかもしれないというだけで。
第三の波はピークアウトかもしれないという分析もありますが、それが正しいとしてもGo Toとそれに関連したゆるみから再度感染拡大や新規感染者が下がりきれない状態が出るでしょう。
今後死亡者数も増加をしていきます。それを尻目にGo toの経済政策(大企業救済)が続きます。
【2021年】ツイッターつぶやき
オミクロン株の感染がWHOが発表してからわずかな期間の間に南アフリカから世界12ヵ国で市中感染がはじまるようになった。日本では入国者の2名でまだ市中感染は発表されていない。
そのような中で群馬県の会社で42名のクラスターが発生した。もちろんまだ今回のクラスターがオミクロン株かどうかは今後の検査を待つことになるでしょう。しかしオミクロン株かどうかがわからないにしろクラスターも市中感染の結果ですから国内においても市中感染からの感染拡大が心配されます。
もちろんクラスターはごく狭い範囲内での結果ですからこれ以上の感染の広がりがなければおさまるでしょう。しかしその感染者には家族がいる方もいるでしょうし、社会的活動もしているわけですから濃厚接触者の検査結果次第ですね。
もう一つ心配なのが、ワクチンを接種した人が29人と多いことです。
全国的な感染拡大があり得ることを考えればワクチン効果にあまり期待は持てないでしょうし、ワクチンパスポートやワクチン証明の信頼度は下がります。ワクチンを接種したかどうかでの差別化はできないでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
冷たい雨が降っています。
ベランダに出ると息が白い。
昼間も気温は上がらずに10度以下だったようです。
明日の朝は4度だとか。。。。。
もう少し気温が下がったら霙になるかな。
昨日、炬燵を買ったのですが、ものすごくシンプル。
今まで使っていたものは電気の紐の近くにコントローラーが付いていて炬燵の音頭を細かく設定できたのですが、今度の炬燵は昔ながらのものと同じように炬燵中に温度設定のくるくる回るスイッチが付いている。
まぁ、安かったのでいいですが、炬燵自体もあまりつくらなくなったようで有名家電メーカ製はない。
そのうちに炬燵文化もなくなるかも。
去年、お客が来て炬燵を見たら「炬燵だぁ・・・・♪」と喜んでいました。
うん、炬燵文化は守らねばならない。蜜柑を置いて食いながらテレビを見たりごろっと昼寝をしたり。。。。。
東京都の立川、国分寺を中心に水道水の勇気フッ素化合物の値が高くなっていましたが、WHOが発がん性が「ある」としました。発生源はわからないようですので、対策がわからないのでしょう。
水道水が地下水なのでしょうか?
立川には米軍基地がありますが、関係があるかどうかははっきりしません。
政府は血液検査を強化するとしていますが、、、、
≪過去の記事≫
【2003年】
江國さんの「ホリー・ガーデン」を読み始めました。
動き、香などを通してその雰囲気を伝えるところなどは、読んでいてドキッとします。さすが・・・という感じです。
まだはじめのほうだけしか読んでいないのですが、この後の展開が楽しみです。
夜はしゃぶしゃぶにしました。
コタツの上でガスコンロを使い、しゃぶしゃぶと。温まりました。
安い肉ですがおいしかったです。
【2004年】
このところ乾燥続きで昨日からの雨はよいお湿りかなと思っていたら、とんでもない。。。。
早朝は横殴りの雨でした。
熱帯低気圧の通過だったと思うのですが、生ぬるい風が吹き荒れました。気温も24度とか。
木々に残っていた枯葉もすべて飛び散りました。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
「東京日記2 ほかに踊りを知らない。」
平凡社
川上 弘美 著
都市出版社「東京人」2004年5月号から2007年4月号までに連載された作品です。
「ついこの前『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』が出たばかりと思っておりましたら、すぐに三年がたって、この二冊めを上梓することとなりました。」
(「あとがき」より引用)
「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」は、やはり平凡社から出版されましたが、その「あとがき」には、
「『東京日記』という題は、(中略)敬愛する内田百閒の同題の作品にも。とはいえ、百閒先生と並んでしまってはおこがましい気がして、表紙には『東京日記』という字は、小さく印刷しました。」
とあります。
内田百閒の「東京日記」は、かなり不思議な世界がありますが、川上さんの「東京日記」もどこか不思議な世界があり、でもそれは日常の中にある不思議さでありクスクス笑ってしまうようなものも多くあります。
この日常の中の不思議な事については前作の「東京日記」では、
「以前『椰子・椰子』という、嘘日記の本をだしたことがありました。本書は、本当日記です。少なくとも、五分の四くらいは、ほんとうです。普通に生活していても、けっこう妙なことがおこるものだなあと、読み返しながら、なつかしく思いだしております。」
百閒の「東京日記」ほどの不思議さではない日常の「妙なこと」という不思議さです。ですから実際に起きた日常での出来事という点ではほんとの話で、本にして出版する点での配慮や作品として仕上げる上での「嘘」が五分の一という事だと思います。
今回の作品も、やはり五分の四はほんとで。。。。と、あとがきに書いていらっしゃいます。
春。。。竹の子が食べたいと思う川上さん。すると一箱の竹の子が届く。茹でておいしくいただいていると他の方からまた竹の子が一箱届く。また茹でる。するとまた他の方から竹の子。竹の子を茹で続ける川上さん(笑)
こんな妙なこと、そして竹の子をどんよりしながら茹で続ける川上さんの姿を想像してクスクス笑ってしまいます。このようなお話しが集められている作品です。
先の「東京日記」に比べると、文章がさらに短くなりなんとなく俳句趣味がより進んだように感じます。俳句の中には趣のある滑稽が有りますが、まるでその俳句をを読むような感じで読める作品だと思います。
俳文というものがありますが、ある説によれば俳句をする方の文章一般をいうらしいのですが、俳句趣味の文章という意味で捉える事ができるのなら、まさに両「東京日記」は俳文と呼んで差支えがないのかと思います。そしてその俳文の中でも滑稽さを出した俳文。
作品中に「シュール。」という文章がありますが、俳文の中の俳句趣味の滑稽というのは、シュールなおもしろさといってもよいのかもしれません。その時は真面目なのですが、後で思い起こせばなんだか自分を自分で笑ってしまうという事もありますし、人の行動の中にはなんだかわけのわからない面白さ(笑い)があるものです。川上さんもクスクス笑いながらお書きになったのではないかな。
本の題名のネタバレになりますが、川上さんは、誰もいない部屋の中で「一人東京音頭」を踊ります(笑)
それは「一人東京音頭」を踊るという誰も見ていない中の川上さんの面白さでもあり、その面白さは川上さんご自身でしか、川上さんご自身の心の中でしかクスクス笑えないものです。それを読者が読むという中の面白さ。自分を自分で笑ってしまうおもしろさ。なんとなく自分を遠くから眺めているような風景。そこにこの作品のおもしろさがあるのではないでしょうか。
人は生きていれば大きな出来事があり、その中に心が大きく揺れる喜怒哀楽があります。しかし、このような大きな喜怒哀楽というものはそうは毎日起きないものです。かと言って毎日がまったくの平凡かと言えばそうでもなく、心が小さく揺れる小さな喜怒哀楽があるわけです。それが「東京日記」で書かれているおもしろさだと思います。
あとがきは、
「どのひとのうえにも、ひとしく幸いが訪れますように。
そして、もしまんいちなにがしかの不運をこうむったひとにも、近く幸いが訪れますように。」
と、結んでいます。
「妙なこと」の中にはおもしろい事もあれば不幸な事もあります。その「妙なこと」にも大きさがあります。それを自分を遠くから眺めるように、これもすべて「妙なこと」のあった一日として眺められれば心も休まるかもしれません。また、平凡さの中にある小さな喜怒哀楽を引き起こす「妙なこと」これを滑稽な笑いにできれば幸いかと思います。
気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
暖かな日差しの中、土産品を売る売店が並んでいた。
ある土産物店に高く和菓子の箱が積まれていた。少し聞いたことのある和菓子なのでみていたら試食をくれたので食ってみたらうまい。
買おうかなと思ったら、店の人が「日持ちしますよ」と。
たしかに土産物は日持ちがしたほうが良い場合があるが、
「車の中に入れておいても大丈夫」
「〇日ぐらいは大丈夫」
「日持ちしますよ~・・・・・」
と、何度も繰り返す。
和菓子ですからねぇ。。。。
そう何回も日持ちがするからといわれると、かえって大丈夫かなと思ってしまう。添加物たっぷりとか。まぁ、今は包装の技術がすすんでいるから昔のようにたくさんの防腐剤が入っているというわけはないと思うがやはり何度も「日持ちします」といわれると。。。。
和菓子でもほんとの土産物!といったものはそんなもんかと買いますが、しっとりとした和菓子ですからなぁ。。。。
たぶん、あの「日持ちしますよ」は逆効果だと思った。
気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。
【2011年】ツイッターつぶやき
野田総理がILOアジア太平洋地域会議に出席をして演説をしたようだ。
演説の中身の一つとして「世界の中間層の危機」を取り上げて貧富の二極化を是正すると。
日本ではすでに中流意識は薄れている。中流というのは相対的なものだから常にその社会には社会の中流がいるわけだが、全体的に賃金は下落をして雇用も失業率は増えて不安定雇用が多くなるなどこれまでの自民党政権から政策的に行われてきた。年金をはじめとした社会保障の切り下げも行われ、この切り下げの中に言われた100年は大丈夫な年金改革は破たんをした。この全体的な生活の低下や不安定さの増大が中流という意識を消し去ったのである。
このような状態の中で野田総理は中流層を厚くする政策を強調するわけだが、どうもそのために何をするかとなると具体的なものはほとんどない。それどころか消費税の増税を積極的に行うという。中流意識を吹き飛ばしてしまった現在の生活の実態にその生活を苦しくするために油を火にそそぐようなことを行おうとしている。
様々な中間層を厚くする政策も財源が必要なわけでその財源を消費増税として行うということになるのだが、これでは国民の生活の豊かさは出てこないでしょう。庶民の生活向上を庶民からの増税ででは。。。。
賃上げはもちろん、派遣法の改正もままならず、失業はほとんど改善されず、政策仕分けでは社会保障の切り下げの提案、抜本的な改善がない上に競争というグローバル社会には手を付けない中に行おうとするわけだから改善される具体的なものはないわけです。
朝日新聞の今日の社説では「社会保障と税の改革 消費増税は避けられない」とあった。
ここにも何かしら具体的な政策提案があるのだろうか?野田総理と同じことを言っているだけである。
【2012年】ツイッターつぶやき
社会を支えていくものに「三助」の考え方がある。自助・共助・公助という三つの社会における国民の最低限の生活を保障するという事や富の再配分そして自治体や企業を健全化するなどを目指したシステムである。
自助は、個人が社会のために労働をしてその中で個人の生活を維持していくという事でしょう。今でいえば自己責任とか自立した国民という意味にもなると思います。
共助は、互いに助け合っていくという事でしょう。今でいうと年金問題が大きくなっていますがその中で若い人がリタイヤした御高齢者を年金などで支えるといったようなものでしょう。
公助は、国家がその行政の役割として地方自治体なども通じて国民生活の安定化を図ることにより助け合うという事でしょう。
今回の総選挙の争点もこの「三助」考え方にあると思います。
一つは自己責任や自立した国民を強調する新自由主義的な「自助」を前面に出した政策です。
たとえばリタイヤしたお年寄りを個々の家庭において支えるといったようなものであると同時に、この各家庭の収入もまた個人の努力で得ることを言う。しかし、日本のバブル崩壊時やアメリカのリーマンショック時に典型的に表れたように企業というものは利益を上げている間は自助ですがいったん破滅しそうになれば手厚く保護されるといったように企業には自助の責任はありません。助とは国民一人ひとりに対するものと見た方がいいでしょう。
二つ目は年金制度や健康保険制度のような国民から徴収をされた資金+国の税金を活用した福祉国家あるいは社会民主主義的な政策である「公助」を前面に出した政策です。ここには富の再配分としての税の使い方も含まれるわけで、様々な社会保障が行われます。各家庭においては自助とともにリタイヤしたお年寄りは年金で自立した生活をおくります。問題は高齢化社会や国の借金問題が対置されます。
こう見ると自助を言う政策は、企業や富裕層に有利なわけで、格差社会といわれている現在においてはこの自助社会は破たんをするでしょう。一方では公助社会は国の借金を膨らませると言われる。
こう見たときに矛盾が出るわけですが、その解決をどこに見つければいいのでしょうか?
それは「共助」の中身の問題となります。早い話が富の再配分のやり方です。
現在の共助の中身は先にも書いたように、年金で言えば若い人(現役世代)が年金受給者を支えるというような一般国民同士がそのぎりぎりの生活をしている中に自助を求めています。ここに社会の富を多く得る企業や富裕層の役割が出てきません。厚生年金掛け金は個人と企業の折半し+公的資金ですが、こういったものが広がりを持たなければ本来の共助とはならないでしょう。消費増税にしても大衆課税という性質からある意味一般国民の共助的な中身です。しかしここには富裕層の所得税や法人税の減税が続いてきましたしそこの改善は見られない。
今後の日本を支えるのはこの共助部分の改革により公助を広げることでしょう。
自助だけを強調するならさらなる貧困化は避けられませんし、それはデフレもさらにひどくするでしょう。その中で国や企業も衰退していきます。
【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法案が強行可決(一部国会審議のない修正による4党の可決か?)されようとしていますが、日本社会は自粛と萎縮の社会にますますのめりこんでいくでしょう。
自粛は小泉政権内で広がりましたしそれ以前の昭和天皇崩御でも顕著でした。自粛は広く社会に広がりそれが経済にも影響を及ぼし、特に勤労国民は国や企業のためには我慢といった意識や諦めが蔓延しました。それが失われた10年ないし20年です。そしていまさらに安倍政権の中で加速をして失われた30年に向かいつつあります。今回は自粛だけではなくて国民の萎縮を呼び込むことになります。
勤労国民の自粛や萎縮は一時的にはカンフル剤として作用しますから国や企業にとっては都合のよいものです。しかしそれは長期的な社会の低迷をもたらします。
なぜ日本では起業が行いにくいか。。。。これも含めて勤労国民はその自主性による自由な発想が鈍くなり、勤労国民一人ひとりに夢や自由がなくなればそれは社会の停滞を引き起こします。国や企業の言うことを聞くだけの一面では都合のよい国民がそこに現れますが、打ちひしがれた国民に活力は失われます。
財界も今のままでよいと思っているのでしょうか?特に内需関連や中小企業のかたがたは?
勤労国民が自粛・萎縮すれば企業活動も鈍るということです。日銀や政府の経済政策が異次元といわれるほどに行われてもその恩恵は少ない。経済工は株・金融そして一部輸出企業にしか広がらない。来年4月には消費増税ですぐに10%にもなる。賃上げを検討しているのは一部の10%にも満たない企業でしかない。社会は萎縮していくのです。
安倍政権はこの経済政策を抜きにしたかのように秘密保護法案に集中している。
経済と政策は自粛・萎縮の中に停滞をしていく。
裏を返せば、自民党政権が復活をして今後も政権を維持するには自粛・萎縮した社会という統治しかなくなっているということです。
自由と民主主義の党。。。自民党は、保守勢力の一部の力により変質してしまう。もちろん自民党がこれまで自由と民主主義の党だったかといえばそうではなかったのですが、55年体制も含めて国会そのものは重要視して修正も議論されて政権は維持をした。この自民党は保守としてはまじめな面もあったのです。しかし今はどうでしょうか?議会制民主主義すら危うい状況を作り出している。
保守層の建て直しも含めて左派と中間層による自由と民主主義平和の理念を再度構築しなければならないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
1ドル120円に行くか?と見ていたらいきなり121円に。これが瞬間風速化122円に向かうものか?
円安が早すぎるという声が多いがこの速すぎるが加速度を増している傾向にあることは間違いないでしょう。
株価が騰がって喜んでいる方々がたくさんいて、121円に!と週明けを楽しみにしているのでしょう。。。。
しかし急激な円安が懸念されはじめてそれが加速度をもつようになっているなら、もう水ぶくれの株価に喜んではいられないでしょう。その株高で景気がよくなったとまだ喜ぶべきなのでしょうか?
円安→物価上昇→貯蓄の目減り。。。もちろん財布の中身は軽くなる。
円安が急速に進みどこまで下がるか不安になれば円を売ってドルなどに替える。すると円安はさらに進む。物価はさらに騰がる。結局円安は円の信用がなくなるという事。
これは経済の根幹にかかわるものでしょう。
今は政治家も選挙で忙しいのですが、やはりこんな時期に選挙などやっている場合ではなかったのです。
「円安、異例のハイペース…食品系で値上げ相次ぐ 読売新聞」
「2倍の速度で進む円安、前回円高時に比べ関連倒産件数は3倍超 | Reuters 」
円安は経済の足かせとなりつつあります。
円安が経済の足かせとなるにもかかわらず円安が株価を吊り上げ続けるというのは株価バブルです。
日銀はまだ追加緩和を捨てていないし、物価上昇目的に突き進む。経済が成長していない中で純粋な経済成長からの物価上昇を思い描いているのですから。しかしバブルの様相を示した場合は出口(引き締め)しかなくなるでしょう。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
日本社会総体で見ると日本は閉塞した社会になっており、この中で閉塞感が広がっているのではないか。
一時テレビ番組でも「日本、すごい」といった番組がたくさんありましたし、北朝鮮や中国時には韓国を批判することによりやはり日本はすごいなどの優越感を持ったり、時にはそれがヘイトにもなった。
しかし現実を見れば日本の閉塞感の裏返しのように見えてくる。
政治は選挙公約などどこ吹く風と国民生活の不安定化を加速させるような政策が矢継ぎ早に出され、改憲という形での自由や民主主義の制約にも閉塞感が出ている。上位下達的な、国家が国民の上に立つ逆立ちが大きく感じられてくる。
自民党から民主党そしてまた自民党への政権交代が行われたが、その中で決められない政治が社会の閉塞感のように報道されたが、一強政治がなおさらこの閉塞感を深めているというのは一つの皮肉です。
日銀の黒田総裁が、現在の日銀批判に対して答えているが、結局は経済の好転がない中でその過熱による2%インフレが達成されないことに日銀緩和失敗の答えは集約されているのであり、様々な答えは大丈夫だという言葉による期待そのものです。
企業の不祥事は音からあとから発覚をして、時間外労働の実態や過労死問題により大企業と言えどもブラック化している。そしてその企業というのが政治献金。
この閉塞感を打ち破ろうとする新党結成は、言葉だけは勇ましいが結局は希望の党のように自民党の補完勢力ではという疑心暗鬼が強まって国民の信頼が得られなかった。
閉塞感が深まると言葉による国民統制が進むがこれは悲劇です。
閉塞感はデフレマインドを作り出しますし、国民の疲弊は犯罪(いじめもそうでしょう)の増加を引き起こす。犯罪までも行かないまでも国民同士の中に互いの対立という構図を作り出している。トランプさんが国民の融和を言っていましたが、この失敗と同じことが日本でも起きている。「和」や「絆」などなどという言葉はたくさん出るが社会全体としてみれば分断されている。国民が国など力による統制によって和や絆をというものは失敗をする。
それでも国民は頑張っている。
ここの国民はこの社会の片隅において地道に労働をして家族を守り融和を求めている。
この国民をまた日本人の優れたところだと日本はすごい敵な権力者が出る。
このほころびは拡大していくでしょう。それが経済危機としてあらわれるでしょう。これまでの日本社会が築いた貯金を失いながら。
【2018年】ツイッターつぶやき
東名高速でのあおり運転の裁判が始まった。
弁護側から被告に対してパーキングエリアで「邪魔だボケ」といわれたときどう思ったかという質問に「カチンときた」と答えている。
邪魔だボケという言葉でなくても感情むき出しのクラクションとかもあります。
ここに今の社会の人と人との関係が現れていますね。
たしかに相手側に落ち度があるにしても、その相手の人格を傷つけるような言葉や行動に正当性はない。店の店員にミスがあったので土下座まで要求するようなこともあります。
こういった言動が正当化される時代なのでしょうか?正当化されないまでも相手が逆切れしたらどうするんでしょ?逆切れを「あおっている」ようなものです。
もちろんこの事件で被告を弁護するつもりはありませんが、逆切れをあおるような言動にも問題があるということです。
逆に運転していると後ろに目が付いていないドライバーがいますね。
低速でずっと高速道路の追い越し車線を走っていたり、上り坂で上り坂車線があるのにその車線の移らない低速の車。左車線あるいは上り坂車線からみんな追い抜いていく。
こういったものも「邪魔だボケ」の挑発の言動にも結び付く。
まぁ、どっちにしてもこういったトラブルは「後ろに目が付いていない人の言動」が引き押しかねないものなのでしょう。
【2019年】ツイッターつぶやき
はとバスの運転手さんがインフルエンザの高熱のために意識がなくなり事故を起こし衝突されたタクシーの運転手さんが死亡した。
結局は運転手の責任でこの事故は片づけられるでしょう。
しかし一つの疑問がある。
なぜ運転手は自己申告しなかったのでしょ?
体もきつい中無理に仕事をしなくてもよかったでしょうし、したくもなかったでしょう。
運転手さんは体の異常があるようなときはもちろん日常的に休暇などを採れていたのでしょうか?急に体に異常が出たときに変わりに運転をしてくれる乗務員はいたのでしょうか?いたとしても帰りにくい実態はなかったでしょうか?
こういったことから会社も自己申告で大丈夫ということにしてしまう。
働き方改革と言いますが、まだ無理な働き方をせざるを得ない実態があるのではないでしょうか。
ここを改善しなければ同様な事故が今後も起きるでしょう。
普通のサラリーマンも同じです。
【2020年】ツイッターつぶやき
Go Toトラベルを利用した人がのべ5600万人(泊)だそうで、関連でコロナに感染した人は240人程度だといわれています。5600万人も出かけているのに240人程度ならGo Toは感染拡大とはつながらないだろうと思ってしまいまうね。
でも、5600万人というのは1人の人が何拍もしたりしている延べ人数ですから実際は多くて2000万人ぐらいでしょうか?240人に対しての分母がだいぶ少なくなるのは確かでしょう。すると感染率は高まります。
もちろんこれでも240人という数字は少なく感じますね。
でも、この240人という感染者が特定された条件というのはどのようなものかというと政府の発表では人数の数字だけです。例えばクラスターのようなものがあって後追いして判明したとか限定された条件での数字ではないかと思いますがどうでしょう?地方の人が東京や大阪などの大都市圏に来て繁華街で飲み歩いていたとか。そういうところで感染が判明されれば確かな数字となりますが。
しかしGO Toでの感染はむしろ大都市圏の人が地方に出かけた場合の方が心配されます。
この場合、地方の方が大都市圏の方から感染したとなると特定ができるでしょうか?友達が東京からGo Toで来て飲み会をやったとかであれば特定はできますが、旅行客となれば特定するのは難しいでしょう。
でも大都市圏の人が感染させてしまったという特定はできませんが、全国の感染者の増加とGo Toの前倒しの実施とリンクするのは確かでしょう。この辺は現在の感染拡大で政府もGo Toを一時停止するようになっていますし、東京や大阪からの他県への移動を自粛するよう要請していますので、人の移動による感染拡大自体は否定をしていません。そのうえで個々人に感染拡大防止策を自己責任で行いGo To自体を全国的には継続をし、継続どころか来年半ば(下手をすればオリンピック終了まで)延長しようとしているだけです。
Go Toの影響はかなりあると見たほうがよいでしょう。
これからクリスマスや年末年始ですからね。GO Toの利用やGO Toを利用しなければ大都市圏にも人が押し寄せることもあり得ます。ただ10時以降は飲めなくなるかもしれないというだけで。
第三の波はピークアウトかもしれないという分析もありますが、それが正しいとしてもGo Toとそれに関連したゆるみから再度感染拡大や新規感染者が下がりきれない状態が出るでしょう。
今後死亡者数も増加をしていきます。それを尻目にGo toの経済政策(大企業救済)が続きます。
【2021年】ツイッターつぶやき
オミクロン株の感染がWHOが発表してからわずかな期間の間に南アフリカから世界12ヵ国で市中感染がはじまるようになった。日本では入国者の2名でまだ市中感染は発表されていない。
そのような中で群馬県の会社で42名のクラスターが発生した。もちろんまだ今回のクラスターがオミクロン株かどうかは今後の検査を待つことになるでしょう。しかしオミクロン株かどうかがわからないにしろクラスターも市中感染の結果ですから国内においても市中感染からの感染拡大が心配されます。
もちろんクラスターはごく狭い範囲内での結果ですからこれ以上の感染の広がりがなければおさまるでしょう。しかしその感染者には家族がいる方もいるでしょうし、社会的活動もしているわけですから濃厚接触者の検査結果次第ですね。
もう一つ心配なのが、ワクチンを接種した人が29人と多いことです。
全国的な感染拡大があり得ることを考えればワクチン効果にあまり期待は持てないでしょうし、ワクチンパスポートやワクチン証明の信頼度は下がります。ワクチンを接種したかどうかでの差別化はできないでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
冷たい雨が降っています。
ベランダに出ると息が白い。
昼間も気温は上がらずに10度以下だったようです。
明日の朝は4度だとか。。。。。
もう少し気温が下がったら霙になるかな。
昨日、炬燵を買ったのですが、ものすごくシンプル。
今まで使っていたものは電気の紐の近くにコントローラーが付いていて炬燵の音頭を細かく設定できたのですが、今度の炬燵は昔ながらのものと同じように炬燵中に温度設定のくるくる回るスイッチが付いている。
まぁ、安かったのでいいですが、炬燵自体もあまりつくらなくなったようで有名家電メーカ製はない。
そのうちに炬燵文化もなくなるかも。
去年、お客が来て炬燵を見たら「炬燵だぁ・・・・♪」と喜んでいました。
うん、炬燵文化は守らねばならない。蜜柑を置いて食いながらテレビを見たりごろっと昼寝をしたり。。。。。
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