いたちのこもりうたを見て
何でおばあちゃんが よその子と遊んでいけないなんて言うんだろう?
と思ったって
教えてもらった
日本の子も
きっと
そこん所はわからないだろうな
TARO君は日本の給食を食べられないらしい
日本の子は アメリカに行ったら 食べ物に違和感
やっぱり感じるだろうな
すごくいいなあ
そういう違和感を感じる世界に滞在するということ
考えてみれば
おじいちゃんおばあちゃんというのも
実に違和感のある世界ではある
何でだろう?
と思って
子供時代はいろいろなものをじっと眺めたよな
と思いだす
今の爺婆はどうだろう?
違和感のある世界を子供の前に展開しているだろうか?
私は爺婆のいる育ちではないのでわからないが
わが子たちは 婆ちゃん付きで育った
それって けっこう豊かな得難い体験だなんとはた目では思っていた
もう一つ
あの子もいかん
この子もいかん
という親も爺婆も 今は いない
でも
つい最近までは
そういう差別的なことはあった
今はないかもしれないが 実はあるかもしれない
だから物語の中でそんな話に出会っておくことは
貴重なことだなと思った
いままで
この物語のそうした面に気づかなかったこと
TARO君に教えられた
YOU-TUBEに上げてみて
この物語の読み方いろいろあるんだなと
改めて垣間見た
フム 開幕ベルのような発声を何とかする以上に課題がある
味が違う という表現が鋭いな~と思いました
違和感 そういうことだと思います^^
無条件にかわいいとも言いますし
(これまた孫のない身でわからん)
婆ちゃんのあの厳しさは
もちろん嫁女の眼を通しているのですわ
子供向けの民話とはいえ
深いわ