遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

たけくらべ2

2013-08-28 19:27:20 | 朗読

何かで割合最近樋口一葉のことは調べたことがあったりして

わたし何かで朗読したのか

しようと思って勉強したのか

忘れた

私が目指したのは にごりえ だったような気がする

自分のブログを検索してわかった

2009年4月の記事が出てきた↓

http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/04/post_75f8.html

わたしが朗読を初めて

初めての発表会で読んだのが

泉鏡花の「外科医」だった(すごい心臓)

← 外科医の台本用切り絵

近代文学って 私なんかから見るとほとんど古典で

そこんところ 原文で読むって もう一層 読み進めたい魅力があるけど

残念 朗読のお稽古やめちゃった

体力が持たないのだ

そこ行くと花てぼさんはすごいよな。

浅草というのも広くて

ホント 浅草寺の北側は革細工を教材にしたとき

材料を安く大量に手に入れるために紹介された工場を訪ねっていったくらいで

足を踏み入れてない

上の記事にも書いたが

戦死したほうの父は

若者時代浅草に下宿?してて

浅草オペラなんかに通い詰めたりしたようなのだ

だから 浅草には詳しかった

武蔵は若者時代 高校をでて中央郵便局に就職したが

あまりの安月給に驚き

彼は長男で 苦労した母を養わねばならない

親孝行をしなければならないのに

これじゃあ無理だ

と思ったんだって

それで職を離れ点々と大量の職業経験を積むことになる

(ほら 私と似てるだろう?私も相当の数の職業経験がある

わたしも武蔵も労働を大学として育った経緯が似てる)

で 親戚に浅草で豆腐屋を営む人がいて

そこで豆腐屋のお兄ちゃんとして行商してあるいた時代がある

まだ花魁とかいたんだってよ

で 豆腐屋のあんちゃんは 大いに贔屓されたそうだ

だから 彼は 浅草界隈は強い

豆腐やつながりの話もいろいろある

わたしの母方の祖父たちは豆腐屋だったこともある

じき病気になったり死んじゃったりするんだけど

富山から出てきて 両国界隈いで

飾り職人をやったり豆腐屋をやったりしたらしい

母はわたしという子連れで再婚した夫が生活力のない人でというか

家族を養う責任感のない人だったので

お店屋さんをやって(お菓子やパンを売る店をやってた)

わたしを育てた

わたしの出奔後もそうやって酔っ払いの父を養い

父の死後 私が病気になって青浮腫んだ母をそこから引っ剥がすまで

小さい商売を続けて自分で生きてきた

それに力になってくれたのが豆腐屋の行商のお兄ちゃんだ

彼は そういう小さい商売で細々生きている人たちの

組合みたいなのを(民商という)紹介してくれて

いろいろ助けてくれた

その組合に母が我が家に来たあと空き家になった松原の家を

事務所に貸してたのだった

豆腐はいい食べ物だけに

近しい性格の人がかかわって作る食べ物だなあと思う

何だ 豆腐や談義にどんどん脱線だ

田舎に来ても 山下屋という 贔屓の豆腐屋があるんだ

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