今日はいい加減なことを言ったので調べました
漱石は留学はイギリスだけでした
ドイツ語は堪能ではなかった
牡猫ムルの人生観が日本で翻訳されたのは
1935年ころ
漱石の 猫はその30年前くらい
じゃ どこで漱石がムルを知ったかというと
イギリスで漱石が精神を病んだという話が伝わって
ドイツから何たらいう先生が文部省の帰国命令を伝えに行ったんだって
(命令は取り消されたようだ)0
でその人が文学に詳しく盛んに文学論議をした
ので そこでムルについても伝わったのではないかとか
イギリス文学との関連で ホフマンについてもいろいろ論議もあったろうとか
どこで漱石がムルに出会ったかは
いろいろな話があると分かった
以上 報告なり!