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遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

ナツさん原風景記事更新しました

2013-08-11 07:53:54 | 原風景

http://yuukoubosss.fiw-web.net/gallery/natu.html

頂いた原稿は全画面表示でしたが

幅900ピクセルにしましたが

どうしたらいいでしょう?

わたしは全画面表示で皆さんのブログも見ているのだけれど

そうするとうんと幅が広くなってしまう

でも全画面表示だと皆さんの見る画面に合わせて

伸縮自在なのよね

チェックして支持しててください

私がくたびれ果てていようがどうしようが

みなさん

構わずご注文ください

眠れば治りますから

治れば働きます!

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広島 長崎

2013-08-06 09:51:41 | 原風景

この二つの原爆の仕組みが違うなんて

つい最近まで知らなかった

アメリカで育った子供たちは

原爆投下は戦争を終わらせるための大事な行為だったと

徹底して教えられた

というのも最近知った

プルサーマル計画だの

プルトニウムだの原発だの

世界戦略だの

そういうことが 全部結びついているなんて

W

(↑ 広島で原爆に遭った山本節子さんの作文を元に作った電気紙芝居の

一場面)

そういう一環の中で

原爆に遭い

原発事故に遭わされてしまった人々 って

そういう三人称で言ってはいけない現代 なのだなと思うけれど

今の子供たちにとって

広島は 遠い歴史の中の

野蛮な時代の出来事

みたいに 思えてしまうのだろうか?

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原風景ギャラリー更新報告

2013-08-04 19:45:21 | 原風景

久子さんへ

96歳の遺言のページを作りましたが

チェックしてください

KIMITOH氏へ

最近の絵を加えましたがチェックしてください

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柳田昭さん

2013-08-02 14:02:57 | 原風景

わたしの住む筑西市の画家

柳田さんは昨年11月に

亡くなった

http://www.geocities.jp/madrid2002jp/yanagida.html

20120216163432da5

日本の農村の原風景の作家と言われる

アンドリュー・ワイエスの影響を受けたと言われる

よくわからない

でも 柳田さんの描いた農村風景はプロバンスを描いたのはともかくとして

ここ茨城の風景を見ると

柳田さんのように描いてみたいと思う方も多いようで

どこの展覧会に行っても

そういう絵が 必ずある

そういう心の揺さぶり方をするのって

やはり原風景かもな

もう一人

版画家の飯野農夫也↓という人の作品も心揺さぶられるものがある

http://www.iinonobuya.com/gallery.html

わたしはの農村出身ではないけれど

それでも 農村というのは日本人の心の故郷なのかもしれないな

この地域にきて 改めて魅力を感じるのは

里山

おばさんに話を聞くと

抜かしの暮らしに里山は欠かせないものだったようだけれど

今は薪も取らないし

木の葉を浚って堆肥を作るという暮らしではなくなっている

里山は荒れ放題でシノダケのジャングルになってたりする

わざわざ里山を守る会などができて

いろいろな活動もあるようなのだけれど

里山というのも謎の存在だ

そもそもは縄文時代にさかのぼるらしいけれど

人間の力が入り込んだ森 人間の暮らしと結びついて利用されてきた

森 林 というのが里山だろうが

調べてみたら孟宗竹の竹山になっているところは

管理ができていないために

孟宗竹に占領されたのが竹林だって

もっともわたしなんか筍の恵みは受けているんだけれど

真竹の子をいただく竹山は

管理しきれないということで

全てひっくり返して平地にしてしまった

思い返せば東京西部 野猿峠のあたりは

子供時代は散策に出かけてよい景色の中を歩き回ったものだけれど

いまや見る影もない

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おじいさん

2013-08-01 04:34:06 | 原風景

久子さんのところで

孫ちゃんたちがパパの足に乗っかるの大好き

という記事があった

A0050728_19224931
↑久子さんちから持ってきた写真
わたしも子供のころ

この手のことが大好きで

足の裏の感触(子供の柔らかい足にはお父さんの足の裏はがさがさ感じた)

覚えている

久子さんの坊ちゃまは靴下履いているけど・・

わたしは多分サーカスを見た後

お父さんの手や足を使って

色々お転婆な曲芸をするのが本当に

楽しかった

右の方からよじ登って頭の上によじ登って反対側から降りてくる

なんてね

自分はおさるで お父さんは猿山って感じ

そうすると 泊まりに来ていた親戚のおじいさん

(実は直系の実の祖父だった)

この人は私が父親をおもちゃにするなんてそんな失敬な

と思ったのでしょうよ

昔人だから 父親にはひたすら敬服しているべきだと思ってる人だったのかな?

「これこれいけません」

とたしなめるんだけれど

いいのいいのお父さんはおもちゃなの!

という感じでした

私の父は母の親族(私の血を分けたほうの父は母とはいとこ同士だったので)

と接触するのをひどく嫌って

やむを得ずお付き合いしないといけない時は

あとが恐ろしい

荒れ狂って飲んだくれて暴れたものです(私のおもちゃの父は酒乱でした)

然しこのおじいさんのことを 父は好きだったみたい

(これは ほとんど奇跡です)

おじいさんは人を蕩かす の  名人だったんだ 多分

このおじいさんは家に泊まりに来ると

朝 外に ラクダの股引とシャツ姿で出て行って

おいっちに さんし と体操をするの

もうご隠居さんで働いてなくて

湯治が趣味の人

ハハ 孫のわたしは 近場に温泉があって

湯治旅行しなくても温泉を楽しんでいるよ

今思うと

おじいさんは戦争で二男(戦死したほうの私の父)を亡くして

忘れ形見の私に会いに泊りがけで遊びに来たんだ

私の子供たちにはおじいさんという記憶何もないのだけど

だから

おばあちゃん にかわいがられた記憶だけが孫としての思い出だけど

あらあ

わたしも ちゃんと 孫だった日があった

と思うと おじいさん 恋しいですよ

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私の芸術論

2013-07-27 05:12:37 | 原風景

な~ンチャってね

わたしは退職後の暮らし

相当面白おかしく暮らして居る

わたしはそう長命な家系ではないので

残り時間は少なそうで人生面白いこと味わいつくせないまま死んでいくのだろうなあ

みみっちく考える

子供のころ親は私にどんな人生を夢見ていたか

父は貧しかったのでくいっぱぐれなく豊かに暮らしてほしいと思ってたみたいで

算数が好きな私に税理士という仕事があることを話して

能力に見合ってるかもしれない

食いっぱぐれない仕事だぞ

というようなことを言ったことがあるが

読みが浅かったね おやじ

私が算数が好きで得意だったのはパズル感覚で

そういう仕事には几帳面さとか分類能力とか

いるんじゃないの?よくわかんないけれど

ごみ屋敷生成才能のある私には無理よ

母はともかく男に頼らないで自力で生きていけるようになれ

というのが願いだった

ともかく二回の結婚で幸せになれたとは言えない人生だったから

男は頼りにならないわよというのが信念だったのよ

で子供の私が心惹かれたのが

芸術の分野

中学生の時に学校から国立博物館に連れて行かれ

ゴッホ展を見たときの感動が圧倒的で

絵描きさんてすごいことをするんだなあ

と憧れでいっぱいになった

この時の本心は ゴッホという人が

遠いオランダやフランスで昔表現したものが

日本の幼い自分にこんな衝撃を与える

すごいなあと 芸術のパワーって すごい

と 強いものにあこがれるのと似た心理

自分自身は絵を描くのは好きだったけれど

小学校の時は図工の先生に嫌われていたし

自分はあまりセンスのある方じゃなかったし

中高と美術の先生は何の良い影響力も及ぼしてはくださらなかったけれど

・・・・

それでも音楽を聞いたり 演劇を鑑賞したり 絵画を鑑賞したり

本を読んだり

そういうことは ご飯と同じくらい 必需品で

暮らしてきた

・・・・

味わいつくせないほど 面白い!!

だから今お絵描きサークルに入れてもらって

絵を描く老年生活は飽きることがなく

モチベーションは途切れることなく 面白い

なぜか

それはさ 常に新しい視点が開けて

新しい世界が展開してくるから飽きない

そうだ! 芸術とは何か

それは常に新しい  常に革命的

しかも それは 表現者だけの話ではなく

芸術をご飯みたいに食べるというのもそういう美味しさがあるということなのだわよ

今渡辺崋山を読んでいてもそう思う

この人のことを読んでいて

人物画について 新しい視点がどんどん広がってきた

Img_1650325_43722595_3
Issai_zou

これは佐藤ー斎像

↑はその画稿の2

人物画について考えることはそのうち

時々記事の方に書く


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昨日は集落のお祭り

2013-07-21 04:59:53 | 原風景

Img_8953

この集落の神様は小さなお稲荷さん

Img_0697

ここから神様が

御神輿に乗って

集落を経巡るのをお迎えするのが

お祭りのようだ

出店が出るとか

金魚すくいとかそういうのはない

おばさんは

このおみこしを てんのうさまと言って

これを門口でお迎えすることになっているらしく

いつまでも門のところに佇んでいるので

椅子に座れば?というのだが

いらね!

と頑固なんだけどね

見かねて椅子を出した

Img_8959

武蔵も夜帰ってきたら

わたしにおみこし見たか?

と聞くので

多分おみこしを迎えて

ちゃんと神様にいい子いい子してもらったのか?

という意味なのだろう

Img_8958

御神輿は

いつもこの交差点のところのラーメン屋の駐車場で一休みする

写真を撮りに行ったら

顔見知りのおじちゃんが(誰だっけ?)子供たちに配っていた

ガリガリ君をくれた

おばさんは門のところでビールだとかお茶だとか貰った

全然覚えのない人が

まあお久しぶりでしたね

お元気でしたか?

と嬉しそうに声をかけてくれた。

お祭りだと言ってよそ者の私が野次馬をやっているのを歓迎してくれてるんだな

と思ってうれしくて

話を合わせたが

武蔵が畑で働いていると近くの人が氷水をくれたりする

と言ってたので

そこのおうちの人かも と思って

いつもいつもお世話になってありがとうございます

というとそのおばあちゃんは

いえいえとんでもないです

といい奥の道からは若いお嫁さんみたいな人も出てきた

あああ ご近所の人のこともわたしはよくわからん

Img_8955

この集落は
人手も足らず

前はお祭りは二日にわたって行われたが

今は1日だけ

こういうおみこしを担ぐ若者も

多分お祭りのとき担ぎに実家に帰ってくるんだろう

 

私が子供の時のお祭りは

菅原神社が町の神社だったので

お祭りになると小遣い貰って神社に行くのだが

ほしいものはあまりなく 水中花ってのを買ったことがあるのを覚えている

面白いのは舞台で奉納されるお神楽

これを見るのが大好きで

だいたい神様に奉納される芸能が好きになったのはこれ以来に違いない

 

私の子供たちがお祭りを楽しんだ小学生時代は

千葉県の浦安の公団住宅で

そこのお祭りは自治会が行った

子供たちは何日も前から太鼓の練習に通って

盆踊りの太鼓をたたくのだ

だから子供たちの体の中には和太鼓のリズムが身に染みていると思う

高校生の時の

文化祭の夜祭では

秩父ばやしの太鼓が鳴り響く生徒作の山車が何台も

校庭中を練り回るお祭りで

花火やら トトロやら猫バスやらのライトアップされたアドバルーンが上がったり

お祭り騒ぎも

若者時代の血をたぎらせたようだよ

下館の方のお祭りは

何日も続くらしい

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96歳の遺言

2013-07-19 20:15:44 | 原風景

久子さんの聞き書きがまとまりました

まず行ってみて読んできてください

http://hisakobaab.exblog.jp/18126416/

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原風景展

2013-07-17 06:34:44 | 原風景

今作ってある原風景ギャラリーは

8月1日から31日まで公開ってもう公開はしているけど・・・

すでにリンク先が切れている人が

お二人いますが それは構わず1日までには それなりにあるものは展示させていただいておこうと思います

会期中の更新も受け付けますので

お申し出ください

8月が過ぎたら引き続きおのせしておくお申し出があった方以外

削除して常設展にします

★★

思えば 地震以来 家族との連絡が

ツイッター以外では通じなくなって

わたしもツイッターのアカウントを作りました

人の意見を見るだけなんですけど

私がフォローしている方たちは

科学者 原発作業員さん 医者 政治家などなど

いろいろな人なのだけれど

みなさん本来自分の任務は何なのか

真摯に考えておられる方たちで

意見が合わないとすごい論争にもなるし

読ませてもらうと考えることが多いのです

本来 科学者は何をするべきか

どうあるべきか等 思想の背景なくて

何にもならない

全く人生と関係ない純粋な  なんかなんてないのよね

皆人間の営みなわけだから

今は政治の世界のことは気になるけれど

無力感もあって

だいたい直接民主主義が行きわたらない規模の国家なんか

結局は権力なく運営はできないし

帝王学も仁も愛も礼も持ち合わせない人間の性では

もう滅びの道 まっしぐら?

などと思ってしまう

本来 これは なんなんだろう?と

いろいろの場面で考える軸として

原風景 というテーマは ずっと持っていたいな

と思っている次第です

お付き合いくださる方たちありがとうございます

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海を好きなわけ

2013-07-11 19:52:31 | 原風景

自分がどうしてこういう人間になったかというとね

よくよく考えれば みな お父さんのせいよ

結局私の原風景は お父さんだわ

お酒は飲まない 酔っ払いは嫌い というのも

お父さんのせいだけれど

実際アルコールにアレルギーもあったけれどね

酔っていい気分になったことがないというのは

わたしには計り知れないけれど

多分 ヘンな人生になったことだろうな

私の父は(育ててくれた方)子供の時に両親を亡くして

おばあちゃんに育てられ

そのおばあちゃんも死んじゃって みなしごだったのだが

わたしから見ると おじいさんにあたる人は

島根の出身で 海にあこがれ 船乗りになりたくて

若者の時横浜に出てきて  船乗りになった

それで 外国航路の汽船の機関長という仕事をして世界を巡って

子供のわが父はほったらかされてたのに

そういう父親の憧れと憧れを実現したことに誇りを持っていて

わたしにさんざん自慢話を聞かせたのだわ

だから

わたしは自分のやりたいことを実現するために

ふるさとを捨てて飛び出していくのかかっこいいという価値観を持って育った

今思えばおじいさんの名前は直二郎 だからね

昔は長男で家督を継ぐ立場じゃないものは

自力で世の中を漕ぎ出だす宿命でもあったのだよね

で小さいころから父が私を海に(って江の島あたりだ)連れて行って

泳ぎを教えた

わたしは泳ぐのを好きな子に育った話は前も書いた

親と行ったり学校で連れて行かれたところは

遠浅の砂浜で海の中を覗いて面白いというほどでもないけれど

自分一人で海に遊びに行くようになって

磯の生き物のいるような

そういう海の面白さを大いに楽しんだ

それも なんの機材も使わない

ただ 体だけで 水中メガネくらいで

シュノーケルも使わない

ただもぐったり 漂ったり 面白いのを見ていていつまでも飽きない

これで 私自身クラゲみたいになっちゃった

好きなことだけして ふわふわ暮らし

なにも頑張ることもなく

ただひたすら 自由な気分でいられることだけを追い求めて

人生は終わりそうだ

ホント 私って クラゲの化身ね

遺伝子をくれたほうの父は戦争の時 船に乗っていて

(?陸軍だったのだけど?)

オホーツクの海で沈められ

遺体もなかったので 海の藻屑と消えたんだわよ

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