遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

海を好きなわけ

2013-07-11 19:52:31 | 原風景

自分がどうしてこういう人間になったかというとね

よくよく考えれば みな お父さんのせいよ

結局私の原風景は お父さんだわ

お酒は飲まない 酔っ払いは嫌い というのも

お父さんのせいだけれど

実際アルコールにアレルギーもあったけれどね

酔っていい気分になったことがないというのは

わたしには計り知れないけれど

多分 ヘンな人生になったことだろうな

私の父は(育ててくれた方)子供の時に両親を亡くして

おばあちゃんに育てられ

そのおばあちゃんも死んじゃって みなしごだったのだが

わたしから見ると おじいさんにあたる人は

島根の出身で 海にあこがれ 船乗りになりたくて

若者の時横浜に出てきて  船乗りになった

それで 外国航路の汽船の機関長という仕事をして世界を巡って

子供のわが父はほったらかされてたのに

そういう父親の憧れと憧れを実現したことに誇りを持っていて

わたしにさんざん自慢話を聞かせたのだわ

だから

わたしは自分のやりたいことを実現するために

ふるさとを捨てて飛び出していくのかかっこいいという価値観を持って育った

今思えばおじいさんの名前は直二郎 だからね

昔は長男で家督を継ぐ立場じゃないものは

自力で世の中を漕ぎ出だす宿命でもあったのだよね

で小さいころから父が私を海に(って江の島あたりだ)連れて行って

泳ぎを教えた

わたしは泳ぐのを好きな子に育った話は前も書いた

親と行ったり学校で連れて行かれたところは

遠浅の砂浜で海の中を覗いて面白いというほどでもないけれど

自分一人で海に遊びに行くようになって

磯の生き物のいるような

そういう海の面白さを大いに楽しんだ

それも なんの機材も使わない

ただ 体だけで 水中メガネくらいで

シュノーケルも使わない

ただもぐったり 漂ったり 面白いのを見ていていつまでも飽きない

これで 私自身クラゲみたいになっちゃった

好きなことだけして ふわふわ暮らし

なにも頑張ることもなく

ただひたすら 自由な気分でいられることだけを追い求めて

人生は終わりそうだ

ホント 私って クラゲの化身ね

遺伝子をくれたほうの父は戦争の時 船に乗っていて

(?陸軍だったのだけど?)

オホーツクの海で沈められ

遺体もなかったので 海の藻屑と消えたんだわよ

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>ただひたすら 自由な気分でいられることだけを... (natu)
2013-07-11 22:10:40
>ただひたすら 自由な気分でいられることだけを追い求めて・・・・・人生を終えることができたら最高じゃん!いいな!幸せだよ!
natu 様 (遊工房)
2013-07-12 05:09:22
そうね
幸せなことだと思う
わたしのお父さんは
私が成長するにつれ 私を縛るから
わたしは 捨てた

男は女を支配して縛るものだから嫌いだったけど
武蔵の価値は 私を縛らない
好き勝手にしてて平気

これはすごく価値のあることだって
この間Yさんに教わって そうだな
と思った

でも縛られて 傅くのが好きな人もいるし
それはそれで 幸せなんだろうけれど
傅かれるのも傅くのも嫌い

あら 面白い 縛ると傅くって 似た字だわ
読ませて頂きました。 (~☆そよぎ☆~)
2013-07-20 20:09:13
素晴らしいことだと思いました。
自分の生き方は意識するしないにかかわらず、、やっぱり父母の生き方が影響しているんだってこと、私もそうなので頷けます。
ある時は肯定し、別の部分では反面教師として自分なりの生き方を模索しながら来ているんだとしみじみ思います。
赤ちゃんの絵はそういうことのために描かれていたのね。
生物学的にも海から生命は誕生したのかと思っています。
そして夢的には命が終わったら、平凡だけれど天に昇って行きたいなあと思います。
遊工房さんの原風景は、かなり…(ごめんなさい、真似する訳じゃないけれど…。)私もそうかも知れないって思いました。
あの赤ちゃんの口のあたりが不思議なことに私の父に似ている……。

~☆そよぎ☆~ 様 (遊工房)
2013-07-20 21:08:09
私の青春時代は父を否定する一心
父から逃れるために家出して何年かは蒸発状態だったのです
母にだけ一年後に連絡をつけ3年後くらいに母の病気
(腎臓病が悪化したのに父に預けておくと殺されると思った)
のため 食事療法をちゃんとやるために帰ったのですが
それ以来 ほとんど父は 多分 耄碌しつくしてしまった

仇敵のようだったけれど
結婚するとき 父のことを武蔵に話したら
戦争でお父さんに何があったか
考える必要があるぞ と言ってくれて
全く別の視点も持てたけれど
大して和解できないまま 自殺されてしまった

クソ!傷ついて堪るか!と心にバリアーを張ったけれど
職場の友人に
一言 
あなたの結婚がお父さんにとって最後の一撃になったのよ
と言われ
その晩は 一人ワンワン 泣きました
何を思い浮かべても この父が私を作った部分は
作用反作用 激しいものだったし
母が 私と父の関係を どう見守ったかを考えると
若者時代
何で 離婚しないのよ!と詰め寄ったり
お母さんは理解できない!と反発もしたんだけれど
彼女もまた 思い返すと
大した母親でした

こどもというものが 親を蹴飛ばして巣立っていくことについて昨夜は
たまたま息子といろいろ話し合ったのです

絵の赤ちゃんは 実は 息子なんです

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