この二つの原爆の仕組みが違うなんて
つい最近まで知らなかった
アメリカで育った子供たちは
原爆投下は戦争を終わらせるための大事な行為だったと
徹底して教えられた
というのも最近知った
プルサーマル計画だの
プルトニウムだの原発だの
世界戦略だの
そういうことが 全部結びついているなんて
(↑ 広島で原爆に遭った山本節子さんの作文を元に作った電気紙芝居の
一場面)
そういう一環の中で
原爆に遭い
原発事故に遭わされてしまった人々 って
そういう三人称で言ってはいけない現代 なのだなと思うけれど
今の子供たちにとって
広島は 遠い歴史の中の
野蛮な時代の出来事
みたいに 思えてしまうのだろうか?