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制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

曳山回顧(昭和62年統前相染町)

2012年07月09日 21時01分58秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は昭和62年の統前町、相染町さんです。


「雷鳴轟く桶狭間 梟雄信長 破竹の猛攻」


かの有名な桶狭間の戦いですね。
まさに統前といった山車でしょうか。

前面に倒れ掛かってくるような毛利新介と
まさにやられる寸前の今川義元、動きがあって素晴らしいのでは。
後ろの信長の振り上げた右手もいい感じではと。

外題の書体もいい感じに勢いがありますね。


よく見ると毛利新介の鉢巻きの巻き方が若干変わってるような・・
こだわったのでしょうか?
そして髪の毛がモッサリしてて、それまた迫力を増しているのではと。


ん・・なんか立ち波の先っぽが折れているような。
厚紙っぽく見えますね。この頃はそんな波もあったのでしょうか?
飛沫が纏められているところを見ると早朝まだ準備中でしょうね。


それにしてもこの2体を飾るというのはかなり贅沢ですよね。
THE 統前!



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(昭和62年古川町)

2012年07月08日 13時04分30秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は昭和62年の古川町さんです。


「逆巻く波濤 海商一代 男の誉れ」


ざっくり書くと、
高田屋嘉兵衛が択捉島を開発したという場面(場面?)。

これ、かなり珍しい外題じゃないですか??
主役の他は「船頭」が二人。
戦いの場面じゃなく、開拓した個人を称えるという面白い外題かと。


人形もいい感じに雰囲気が出てるのでは。
後ろの左側の船頭さん、特にいい雰囲気出してます。
何に喧嘩売ってんだべ。
でもかっこいいですね。この顔、形、最高です。

船を真ん中にドカッと置くなんて、後にも先にもこの山車だけではないでしょうか。
さりげなく碇も置いてたりして良い演出ではと。



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳き山回顧(昭和62年壹騎町一区)

2012年07月07日 20時29分54秒 | 土崎港曳山祭り

今回は昭和62年の壹騎町一区さんです。


「五条に結ぶ 主従の絆」


日本人なら誰でも知ってるであろう有名な場面。

日本各地、どこの祭りでも使われる外題ですが、
どこの祭りでも牛若丸は無表情です。
やはり余裕で剣をかわしているという印象のためでしょうか。

今日はもはや戦意喪失なんでこの辺で。
弁慶右手に何か持ってるな~
なんだべな~弁慶かっこいいっすね~
これからもいいより一層良い人形作ってくださいねー

曳山回顧(昭和61年将軍野一区)

2012年07月06日 20時46分26秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は昭和61年将軍野一区です。


「英傑果断 亢進の鵯越」

※ 下に写ってるのは、
右から2番目が私でその他は従兄弟、左端が祖父です。


有名すぎる場面なので外題についての説明は割愛します。

将軍野一区、昔は郡道通りから自衛隊通りに出て「いとく」の前を通り、
現在の若松町さんを通過して鉄道社宅さんを通り神明社に行くというルートの時がありました。
上の写真は今の自衛隊通りの「いとく」辺りです。


下の写真は鉄道社宅さんの陸橋の下です。
今じゃ有り得ないルートですね。



この写真は2日目の朝、郡道通りから穀保町を目指すところです。
まだ町内出発してすぐのところですね!

※ 私は左端で一人で曳いてます。従兄弟は寝てたんだべな・・



この頃の将軍野一区は
人形にしても雰囲気にしても今とは結構違いますよね。


後ろの義経の顔ですが、今は裸人形に使われてますね。(去年の穀保町さん)
目が細いこの顔が、まさに土崎土着の基本の顔だと個人的には思っています。


しかし改めて見ると将軍野一区懐かしいですね。
今でもやっぱり一番思い入れのある町内で、一番気がかりな町内でもあります。
おじいさん写真撮ってくれててありがとう!
そして馬鹿に育ててくれてありがとう!(まだまだじいさん健在です)



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(昭和62年将軍野四区)

2012年07月05日 21時04分59秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想です。悪しからず。


今回は昭和62年の将軍野四区さんです。


「暗雲払う 紫殿の鏑矢」


以下、しおりの概要です。
1150年、近衛天皇を夜な夜な悩ます怪獣がいた。
召された源三位頼政が郎党猪隼太と退治の期を狙う。
丑の刻、舞い来る黒雲あり、南無八幡を念じ鏑矢を放てば手応えがあり、
それはぬえという怪獣だった。
猪隼太がとどめを刺し退治するという故事伝説の名場面。


「ぬえ」ウィキによると
「日本で伝承される妖怪や物の怪である伝説の生物」とある。


実物は誰も見たことがないでしょうから何も言えませんがとりあえず怪獣だったんでしょう。
この写真のぬえも尻尾がヘビになっており、
顔が真っ赤で脚が寅さん、いや虎になっている。

良く見ると眉間に矢が刺さってますね。


この後ろの弓を打ってる人形は今は裸ですね。
右側の人形は、最近よくブログでも書いてる人形ですが・・良かったですね。



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)