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制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

曳山回顧(平成4年統前旭町三区)

2013年06月14日 07時44分15秒 | 土崎港曳山祭り
毎日毎日雨ばっかりだとさすがにイライラしてきます。
祭りだけはどうか晴れますように!

今回は平成4年の旭町三区さんです。

「豪力智勇 櫂刀の一撃」


安東家の発展の礎となった海戦。
いつも安東絡みの外題はどこかで使われてますが
今年は400年祭ですから更に増えるのでは。

この統前セットですが、今となれば「またか」ですね。
この当時はヤラレの顔が今とは違うと思いますが
いつから変わったんでしたっけ?

後ろの花は桜でしょうか?変わった花の付き方をしてますね。

・・うーん、無難過ぎて書くネタが思い付きません。
さて、週末だから頑張って今日一日乗りきろう!



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(平成元年将軍野三区)

2013年06月13日 08時16分16秒 | 土崎港曳山祭り
毎日梅雨でジメジメしてて最悪です。
今日の秋田は晴れて32℃あるとか。羨ましい。

さて、今回は平成元年の将軍野三区さんです。

「豪将実季 生鼻の雄叫び」


男鹿の生鼻での戦い。
小学校の頃住んでたトコロです。ヘビたくさんいました。
アイナメたくさん釣れました。

それはさておき、2体で、目線も合ってないですがバランスいい山車っす!
計算されてるようには感じられず、力が抜けた自然体の飾り方というか、
おっと思う飾り方です。
この時の攻撃人形、
昭和63年の旭町二区さんの時も良かったですよね。
あの時は船と鳥居と碇が派手さとバランスを、
この時は釣鐘がその役目を果たしているのかなと。
これ、普通に刀持ってたら物足りなくてあまり良くなかったかなと。

それにしても釣鐘を背負うなんて凄い人です!



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(昭和53年将軍野一区)

2013年06月12日 20時12分58秒 | 土崎港曳山祭り
さてさて、
梅雨の憂いを吹っ飛ばして今日もやります。

今回は昭和53年の将軍野一区です。

「皇威燦然 洛中の勝鬨」


まずこれ、私が生まれる3年前です。
そして、真ん中が親父、左がおじさん、右がじいさんです。
みんな若かりし頃・・そして今現在みんな元気です。
俺がまだ出会ってないと思うとちょっと不思議な感じです。

さて場面ですが、足利尊氏が朝廷に叛乱を起こして敗れて逃げるという場面。
まさに逃げる感じが出ててこの裸人形好きです。
今じゃ有り得ない首の向きも最高です。

この当時この3体、ちょこちょこ登場してますよね。
立ち人形が後ろにそのまま倒れたようなヤラレとでかめの後ろの人形、
更に、動きがあって顔もかっこいい馬乗りハダカ!
今じゃ見ることができない人形達のような気がします。

馬も今とはデザインがちょっと違うような。
この時代を生で見てみたいっすね。
夫婦岩くん、連れてって!



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(昭和62年将軍野五区)

2013年06月11日 22時39分57秒 | 土崎港曳山祭り
京都から帰ってきました!
神社仏閣を廻りすぎて、どこがどこだかごちゃごちゃになっちゃいましたが
色んな意味でとても勉強になった旅でした。
両親もとても満足していたようで、本来の目的は果たせたかと思っています。

と、いうわけで気持ち新たにまたやっていきます。

せっかくなので京都に関わる外題、といきたいところですが、
目についた写真が将軍野五区さん。

今回は昭和62年の将軍野五区さんです。

「果断の識見 鵯越の坂落とし」


迫力のある素晴らしい山車です!
ヤラレ、攻撃人形の躍動感!
その上、義経も馬に乗って坂を下ろうとしているなんてなんとも贅沢な山車だと思います。
強いて言えば、畠山重忠が馬を担いで坂を下りた場面なのに
馬をブン投げようとしているように見えるというか・・
いや、でもそんな細かいことは気にしなくていいくらいいい山車だと思います。


この攻撃人形、今の顔よりこの時の顔の方が良かったような気がしますね。
今の顔はもしかしてあのヤラレの顔とかなり前に交換してますかね?(去年の新町さんのヤラレ)

あーだこーだ言っても、この山車は私はとても好きです。
動きが感じられる山車って見ていて気持ちがいいです!



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)

曳山回顧(昭和63年相染町)

2013年06月10日 08時13分02秒 | 土崎港曳山祭り
今日は京都に来ています!
計画はすべてオヤジ任せですが、京都の伝統を肌で感じ感動の連続でした!
という訳で、今日も土崎の伝統に触れたいと思います。

今回は昭和63年の相染町さん。

「猛牛火と降る倶利迦螺峠 剛勇義仲夜襲の勝鬨」


若干長い外題ですが、これもよく使われる有名な題材ですよね。
ちょっと調べてみたら巴御前は義仲の妻ではなく、妾だったらしいです。
知らなかった。羨ましい・・

さて、牛は去年の社宅さんで虐殺されていたアイツでしょうが、
この時はしっかり敵にジャレていっています。(違う)
牛のツノに付けてる松明の炎ですが、この当時は布か何かで表現していたのでしょうか。
今使われている、スタイロフォームで作ったであろう炎の方がリアルな気がしますね。
この攻撃人形、左手をちょくちょく変えてますが、この時代の左手が一番自然だった様に感じます。
今年はどんな感じになるのか、楽しみです。



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)