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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

天使の卵(冨樫森)

2007-08-02 13:16:41 | シネマレビュー
【ストーリー】
美大在学中ながら大学に行かず、土木作業のアルバイトに明け暮れる一本槍歩太と、高校で国語教諭をしている斉藤夏姫。二人は、決して忘れる事のできない辛い過去を共有している―
4年前。美大を目指して浪人中の歩太と、一足早く大学に入学した夏姫は、小料理屋を営む母も認めるお似合いの、高校時代からのカップルだった。しかし、生活のリズムが違っている二人は、少しずつその関係に違和感を抱き始めてもいた。
そんなある日、歩太は満員電車の中で、凛としたたずまいの中にどこか陰のある、美しい女性に出会い、その表情に心を奪われる。見知らぬ年上の女性でありながら、その横顔が脳裏に焼きついて離れず、歩太は、それをスケッチブックに描き続けるのだった。
数日後、精神的な病で10年間入院している父の病院で、歩太はその女性と突然の再会をする。父親の新しい主治医である彼女は、五堂春妃といい、夏姫の8才上の姉だった。しかし、絵描きになるという夢を応援してくれる春妃に対し、歩太の密かな恋心はますます加速していく―
ある日、春妃は歩太を呼び出し、「歩太の父が回復の兆しを見せているから仮退院をさせてあげたい」ということと、「妹(夏姫)が歩太の事で悩んでおり『他に好きな人ができたんじゃないか』」と言う。思わず歩太は、「・・・あなた以外に、誰がいるっていうんですか」と打ち明ける・・・
その後、夏姫と別れた歩太の、ピュアな愛によって春妃の心は少しずつ開かれ始めてゆくのだが・・・思いがけない運命が二人を待ち受けていた―!

【主演】
市原隼人(一本槍歩太役)/小西真奈美(五堂春妃役)/沢尻エリカ(斉藤夏姫役)

【コメント・感想】
1994年に刊行されて以来、100万部を突破した村山由佳原作のベストセラーを、豪華俳優をキャスティングし、2006年10月21日に満を持して公開された、ラブストーリー映画です。
私は、「天使の卵」そのものは、一番初めはHPコンテンツ内にあるように小説から入り、続編の「天使の梯子」の小説、そしてテレビドラマ版「天使の梯子」を見てから、最後にこの映画を観るという流れで触れてきました。

まさに、「謎は全て解けた!(コミック・『金田一少年の事件簿』)より」という感じにさせられましたね。
小説の中では描かれなかった部分―とりわけ、「歩太の時間が凍りついて止まってしまった『あの日』」から4年後の世界が描かれているのも興味深いところです。つまり、小説とドラマ・「天使の梯子」の橋渡しをしてくれている作品といえます。また、別な捕らえ方をするならば、お話の舞台が、小説では東京ですが映画では京都ということ、歩太と春妃の出会う場所が、若干違うところ、タイトルであるところの「天使の卵」のもともとのネタが違うところなど、さまざまに異なる点があるので、まるで、アニメで言うところの「テレビ版とOVA版では、設定や話の本筋は変わらないけど、別物」という「パラレルワールド的」物語が展開されています。

男である私は、メイン2人の女性の像を、自分の世界の中で創造(想像)していたのですが、改めてキャスティングとその演技を見たときに、「あ!ぴったり!!」と思いました。特に小西真奈美さんは、20代になったばかりの頃から較べれば全然違ってオトナの魅力を湛え、光と影の両面を併せ持つ27歳の「五堂春妃」を見事に演じきっていたのはとても好感が持てました。
撮影の多くが京都で行われたということで、背景に見える街並みや寺院など、作品全体を通して邦画らしい作品に仕上がっていることや、メインテーマのメロディも雰囲気に合っていますし、ラストに「Sunset Swish」が歌う「君がいるから」が流れてきたらもう圧巻です。

演出について少し触れると、「天使の梯子」が、「天使の卵」の舞台から8年後というコトで、その間を取った4年後の世界を使用しているのはいいと思いました。が、お話が夏姫の一人称で語られるところが多いところ、美術の世界を意識して春妃の表情を長い時間クローズアップしすぎていて、原作で描かれていた、春妃と歩太の心の接近がどうなっていくかの過程があまり描かれていなかったのが残念です。
あと、意外な面かと思いますが、「精神的に病んでいる」人間を診るということの大変さ、難しさ、それを抱える家族の苦労を垣間見ることもできました。それは、知的障害者更生施設で勤務していた事のある私ならではの視点なのでしょうか・・・。
そして、小説を映画化するというのは、やはり監督の技量にもよりますが、難しいということを実感した映画作品でもありました。でも、「あ~、なるほど、ここはこーしたのかア」という面白さがあって、結構楽しめました。

ただ・・・本当に全てを知るには、この世界に纏わる全ての作品媒体に触れることです。この映画と小説だけでは何も解りません。

あなたは、年上の女性に恋をしたことがありますか―?
大切な人を失ってしまったら、そのとき、そしてその後どう生きますか―?
今大切な人がいるあなたは、その人を何があっても守り抜く、そういう力を持っていますか―?

バベル 『BABEL』(監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)

2007-08-02 12:53:44 | シネマレビュー
【ストーリー】
物語は、モロッコ(と解るのは少し後なのだが)のとある村から始まる。包みに隠され、ある家族に売られたとある銃猟用ライフル銃。それが(もっというなれば、この銃から放たれた「銃弾」が)この物語のキーになる・・・!
とある哀しい出来事がきっかけで壊れかけた夫婦の中を取り戻すため、アメリカからモロッコへ旅をしていた、リチャード&スーザン夫妻。幼い娘・息子の二人は、メキシコ人の家政婦に託していた。しかし、山道を移動中のバスの中で事件は起こる。どこからか放たれた銃弾が、窓ガラスを突き破り、スーザンの肩を打ち抜いたのだ。
辺りに病院はない。リチャードはバスを移動させ、スーザンを医者がいる病院に運び込むが、大量の出血を止める応急処置がやっとだった。リチャードが、救助に来ないアメリカ政府に苛立ちを感じている間に、徐々に事件は解明され、やがて、銃の元所有者であった一人の日本人男性に辿り着く―
その銃を手に入れたモロッコのヤギ飼いの少年達、銃の元所有者の男性とその娘である聾唖の少女。リチャード・スーザンの子供の子守をする女性と、彼女が息子の結婚式のためメキシコに連れて行った子供達―
それぞれが、「生命と魂の危険に晒されてしまう」ことになる彼らの運命は―!?

【出演】
ブラッド・ピット、役所広司、菊池凛子 他

【感想】
タイトルの「バベル」という言葉を聞いて率直に「観に行きたい」と思った映画でした。たまたま、協賛の化粧品会社からチケットを手にしたのですが、それを無しにしても興味がある作品でした。


「神(エホバ=正確には、ヤハゥエ、またはヤーヴェと呼ぶのが正しい)下りて、かの人々の建つる町と塔を観たまえり」
「『Go to, let us go down, and there confound their language that they may not understand one another’s speech.』=(いざ、我ら下り、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに心を通じることを得ざらしめん)」
「ゆえにその名はバベルと呼ばる」
(旧約聖書:「創世記」第11章)


旧約聖書「創世記」を読んだことがある、あるいは、劇場版アニメor小説版「機動警察パトレイバー」をご覧になったことがある方はご存知であろうこの部分。「かつて人類の言葉は一つだったが、神に近づこうと天まで届く塔を建ててしまったがために、神の怒りに触れ、言葉をバラバラにされてしまった、やがてその街はバベルと呼ばれた―」というのが現代語訳です。
ですが、題名の「【バベル】の塔」との直接的な関係はありませんでした。ただ、この聖書の内容を、深みのある要素として組み込んでいるだけです。

しかしながら、これは観に行って大正解。「難しい」というのが第一印象ですが、「マトリックス」にあるような「一度見ただけでは世界観がわからない」という難しさではありません。もっと深~いところにある難しさです。主軸にあるテーマと、それに絡む要素があまりにも重過ぎてしかも数が多いので―
でも、その多数の要素を、映画という手法を用いて2時間23分で見せてしまう、しかもぐいぐいのめりこんでいくようにしたててあるのが興味深いです。いきなり場面が飛ぶ始めの方は「え?え?」と思いましたが、そこがだんだん繋がっていくことにある種の「面白さ」「旨み」があるのだと言えるでしょう。


それにしても、「面白い」「いい」、と「くだらない」「難しすぎる」と意見が半ば面白いように真っ二つ。

【どこの国かの説明もなく唐突に物語は始まる。銃を子供に与えるバカ親父。バスを射撃し岩陰でマスターベーションをする子供。銃で撃たれた被害者を放置し犯人探しに疾走する警察。ヘリコプターを飛ばせない理由も釈然としない。あとでここがモロッコとわかるというもったいぶったシナリオ。長いだけで意味の無いメキシコの結婚式。子供を乗せて飲酒運転での国境突破。酒を飲み飲食店や歯医者で色情狂とかし全裸で刑事を誘惑し父親に抱きつく日本の女子校生。それを驚きもしない父親。撃たれた女房の排泄を手伝うアメリカ人。こんなシーンが次から次から。こういう人達を描いて一体この映画で何が言いたいのか全くわかりません。観る価値なしの不愉快で下品な映画です(とあるレビューより)】

私個人から見れば、「甘い」。「とらやの羊羹」に砂糖と蜂蜜ぶっかけたかのようにアマいナ―と。
でも、こればっかりは仕方がありません。この映画に限ったことなくですが、見る人の感性・バックボーンにより、こんなにも分かれて当たり前、と言える映画だと思いますから・・・。


まず、この映画には、観客の喜びや笑いを喚起するような場面は全くと言っていいほどありません。この作品は大きく分けて4つのエピソードで構成されていて、その4つのエピソードが入り乱れながら展開されます。各エピソードは共通点で結ばれていますが、最後に全てのエピソードが「ハッピーエンド」を迎えるわけではありません。

言ってしまえばこの作品は、【届け、心】というキャッチコピーどおり、「人間は孤独である」ということや、「他者と気持ちが通じないことから起こる悲劇」「人間の誤解の悲しさ」を主軸にした作品です。エンディング付近には「希望の『兆し』」が見えてくるモノもいくつかありますが、少なくとも希望がワァッと湧くような結末ではないと思います。
何はともあれ、ストーリーの連鎖性からくるいろいろなものなどは変に追ったりせず、素直な心で観た方がよい作品だと思います。ストーリーだけを追いかけ過ぎて、あまり気持ちに響いて来なかった人には、「なんだヨ…」と捕らえどころのない作品として映ったと思います。
逆に、本作の持つメッセージ性を強く受けた私は、言葉では言えない位の感動を受けたといえます。高評価を出した方々もおそらくそう思われたのではないでしょうか。


特に「コトバ」というものに注目したとき、ちゃんと言葉にしなければ伝わらないし、聞こえなければ、わからなければ言わなかったことと同じ―。しかし、しっかりと伝えようとしなければ、あるいは言葉そのものを取るだけでは、誤解を生んでしまう・・・「自分はそういうつもりじゃなかったのに」など・・・。
逆に言葉では伝えられないことは、他の方法で伝えなくてはならない。でも、現実は、伝わらなかったら「あぁもういいや!」と諦めてしまう・・・だからなおさら誤解する、される・・・といった感じなのですね。
しかし、「この世界は言葉から始まったわけではない」ということもいえるわけで。
そういう面を考えたときに、触れ合いの大切さ、気持ちや心の通じ合いというものは、どうしたらより深くなるのだろう、逆にどうして人は離れたりくっついたりするのだろう、ということも考えさせられます。


演出面について触れると、物語の舞台がかわるがわるになっていて、それが繋がるまでに時間こそ要するものの、それが視聴者をひきつける効果になっているのが見事。
性的表現が頻繁にあるので(PG-12)誰かと一緒に観に行くのは避けた方がいいかもしれません。が、少年の自慰行為・チエコのヌード・結婚パーティー前の鶏のなど、こういったシーンに不快感を覚えた人が多いそうですが、「こういう世界」「そんな現実」が存在しているコトそのものや、変に本質を捉えない批判をする人々が、この世の中に沢山溢れかえっている「不快」を生んでいる原因そのものだ、ということを頭の片隅においておくべきでしょう。
オフィシャルサイトなどで警告を促していたクラブ内の照明がキツイシーンは、結構キツいものがありました。何もあそこまでしなくても・・・というのが率直な感想でしたが、その分、聾唖者であるチエコと、一般人(健常者≠聴力にハンディのない人)との差が描かれている場面が多くでるので、そこでカバーされている、と評価しましょう!

観る者の心を掴んだまま最後まで離さず、揺さぶり続ける傑作だと思います。


もっと「人と人が繋がる」にはどうしたらいいとみなさんは思いますか?
仮に「一つの言葉で通じ合う手段、そして歓び」を手にしたとして、果たして世界はどうなると思いますか―?