暁に咲く幻の花

花が咲くように生きていきたいな。日々のあれこれ、嬉しいこと楽しいこと好きな人のことを、花や自然にことよせて綴ります。

母と娘。愛と怖い感情

2015-07-03 00:24:59 | シンガーソングライター
久しぶりの晴れ間でしたが、体調不良とは悲しく子供達の習い事の送迎だけは頑張りました。
近くに母がいるのもやっばり心強いんでしょうね…
 私は、母とは水と油。学生時代も結婚してからも二.三年間隔で他愛のない話から喧嘩に発展し、双方引くに引けずに歩いて10分の距離ながら、お互い話しもしない無視という状態を半年から一年続けた事も数知れず。
 私は、結婚して実家を出たのに私の持病を盾に母から近いところに住まうことになりました。
マスオさん状態の夫は、私の弟 よりも数百倍は頼りになり気が利くので、やたらと母は、用事を頼みます。母は感謝なのか懐柔策なのか夫の誕生日には、プレゼントを贈ります。
ちなみに弟はめちゃくちゃ頼りないので、そばに置いておかないと心配らしく、これまた自転車で10分のマンションに頭金を出してやり、そこに弟夫婦は住んでます。
 私の話に戻しましょう。
学生時代は、無視はされても食事は出ます。
大切なプリントも無言で私も渡します。見かねた祖父や祖母が子供なんだから謝りなさいとアドバイスしてくれますが、私は、全く理不尽な言いがかりを母に言われて、私の話を信じず一方的にあんたが悪いといわれて、悪いことなどはしてないのに謝る理由がわかりません。
 私は、ただ母に、認めて貰いたかったんですね。
小学生の頃から良い点数を取っても褒め言葉一つなく、運動会で、1等をとっても、市内の弁論大会で金賞を取っても、大学に合格しても、ゼミ代表で大学発行の冊子に、私の卒論が載っても、褒めてもらえなかった。父は手放しで偉いとさえ言ってくれますが、
母は別にケンカ中でなくても、私を褒めませんでした。
 私が結婚したのは大学卒業後一年経ってからです。友人の中では最速で、それは同じ年の夫もそうでした。
日取りも場所も、母が決めて細かい点を二人で決めました。
 結婚式の最中も、これが花嫁の母なんだろうかと思うほど、冷静な顔。しかし、とにかく結婚したら私は何かから自由になれると感じたことを覚えています。
 でも結婚しても子供をを産んでも、母は母で私を母親になったと暫くは認めてないようでしたね。
 でも私は、その頃から変わりました。
母を必要としなくなったのです。私には私を必要としてくれる子供たちがいて、何もかも理解し何時までも母を求め泣いていた心の中の【私】を、受け止め頑張らなくていい、何かをしなくちゃ認められないなんて思わなくていいよ、そのままの私でいてほしいと夫は母になることに恐れを抱いていた私を、見抜いて刺さった無数の刺を抜いてくれました。
 【母親は娘が幸せになることを望んでいるが、それは自分を超えた幸せではなく、母親よりも少し不幸な幸せを望んでいる。稀に世の母が娘が子供を沢山産めば「また?」と顔をしかめる母がいる。
それは育児が大変とか経済的に大変とかを危惧してではない。娘が何人も子供をを産むくらい夫に愛されてる事に嫉妬し、挙句は汚らわしいとさえ思う母親もいるのだ】
母の呪縛か、母の呪いみたいなタイトルの本に書かれていた文章です。私は、雷に撃たれた様に理解したと震えました。
私は、幸せになってはいけない呪いががかっていたんだ!
友だちが多い私を、母は数だけいたって親友がいないとね、などよく言ってました。親友もいるんですけどね。
 
 私は、絶対に娘に呪縛をかけたりしません。
 私は、夫や子供に、全てを満たして貰い、もはや母に飢えてないからです。
思えば仕事人間だった父、母より祖父母になつく私。マイペースな弟。母の愛情を受け止める人はいなくて愛は歪み、私の幸せをいつも邪魔するか、壊すことでアイデンティティを保てたのかもしれません。
 お母さん、お母さんに頑張ったねと褒めてを貰いたかった少女の私を、無視したようには、私は決してなりません。
娘の成功と幸せしか願っていません。
お母さん、あなたも愛でいっぱいにしてあげたい。
そんな人生を味わって欲しいです。
たった一人の母と娘です。幸せに楽しく生きていきましょうね。

 読んでいただき、ありがとうございました。
   では、また明日…




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