徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

32年ぶりに、カルチャー・クラブ、来日公演を観た!

2016-06-25 09:59:26 | イベント・行事
 金曜日は、朝は、シェラトン朝祷会。朝は4時に起きてしまう。6時半に、ホテル(上本町)のチャペルに入って、7時スタート。オルガン&讃美を担当する。
祈祷会が終わり、・・場所を移動して、西成区の、あいりん(釜ケ崎)地区の方へ、自主的に参加、したのは 初めてその朝会った女性牧師の、ホームレス伝道(と炊き出し)の方法に興味を持ち(その朝、別の炊き出しに参加するつもりだったのを変更して)、そちらへ行った。また、こちらの動きは、後日。・・

帰って、しばらくしてフェスティバル・ホール(大阪)で午後7時~始まる、英国ポップ・グループの、Culture Club(カルチャー・クラブ)のコンサート、チケットを1人でとっていたもので(酔狂!?これでも、大ファンだった。)、これに出かけていった。行く前の感想は、文末に添付。・・会場に行って、始まる直前までは、ノリのわるい自分であったが、いざ始まると、かなりフィーバー(?!)してしまっていた。1人であったが、多分・・周囲のどの客よりも(恥)。まあ、ジョージも私より5歳上(1961.6.14生まれだったな、ファンだから覚えてる)だから55歳だろうが、バンドもようやってるわ!ちゃんと演奏・パフォーマンスしなかったら、怒!~と、辛口な気分だったけど、お見事なもんです。


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<行ってみた感想(Facebook既投稿)>
 奇しくも、本日、EU加盟離脱が決まり、大揺れの、英国から来た、ポップス・グループ、カルチャー・クラブのコンサートを、32年ぶりに大阪フェスティバル・ホールで、観た。
 会場の観客はといえば、想像どおり、私のような中年が大半を占め、1人で来ていた私は、始まる直前までは、やや冷めていたが・・いざ始まれば、急に゛懐メロ・モード゛スイッチが入り、会場一同ともに2時間オール・スタンディング。また、曲の半数以上の歌詞を、覚えていて、ずっと歌っていたのも、私。
 ステージ・メンバーは、オリジナルの4人に加え、総勢約14名の豪華人数。ステージングや演奏、歌、パフォーマンスのクオリティも、最盛期と、変わりなく。ボーイ・ジョージもお茶目で。
 でも、面白かったのは、ラスト・アンコール曲が、カヴァーで、・・なんとTレックスの、「GET IT ON」だったこと。ボーイ・ジョージが、元々グラムロック好きで、デヴィッド・ボウイやマーク・ボラン崇拝者。最後に、゛ゲリロ~ン♪゛で終わるとは思わなかったが、ロック好きの私としては、満足だった!!
 よかったよ、カルチャー・クラブ。がんばってるな・・!

(写真は、始まる前)

くしくも、6/25、イギリスEU離脱!国民投票結果がでた(フェスティバル・ホール前の、朝日新聞掲示板)

 

 

  


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<行く前の考え(当日)>
今日はしかし、これから フェスティバル・ホール(午後7時)へ、行かなきゃ、ならん。なんで、って・・チケットのように、・・カルチャー・クラブ(Culture Club・英国のポップス・グループ/’80年代に、一世を風靡したあの)が来日してるもんで、チケットをとってあるのだ、った。・・彼らを18歳の時に一度、大阪城ホールで観てから、実に32年ぶり。・・実は、今ではもう全然ファンじゃないんだけれど(醒めてる)、あの頃、あんなに惹かれたのは何だったのか、また自分にどんな影響与えたのか。ちょっとでも自分が歌っている今となっては、彼らのパフォーマンスに、何か学ぶところが、あるのか。・・という検証の意味で、(またチケットとった数か月前に、ちょこっとお金があったもので)つい座席を取ってしまった。しかし、オリジナル・メンバー4名で来る、というのもあったが、例のごとく、中心人物のボーイ・ジョージが、軽犯罪で罰に課せられたり、と試練も経たようなので、場末のような所で(リハビリ的)、ちょこっとギグ(GIG、小さいライブ)するような感じなのだろうな、じゃあ、応援しがてら、観に行くか!ってノリでその気になってみたら、どうしてどうして、場所はフェスティバル・ホールだし、チケット代もめちゃくちゃしっかり取りよるやんか。くそっ これでしょーもないパフォーマンスしよったら、しばき倒すからな、。・・(とファンではない、今ではすっかり、超辛評論客)(※18歳当時は、ボーイ・ジョージ ファッションとあの髪型~ドレッド・ヘアとリボン、をして行きました。今日は、どうしよう・・・ちがう、違う!普通ふつう)(しかし、6月、気候のいい英国を後にして、・・わざわざ来た日本は梅雨時やっつぅの 知ってないのかな、彼ら。)あー、座席は、わりと前の方。

6/7「千人づか」慰霊祭(大阪大空襲71年)~城北公園 でした。

2016-06-10 17:14:13 | イベント・行事
6月7日(火)は、旭区の城北公園付近で、昭和20年6月7日にあった、大阪での大きな空襲の一つ、・・その慰霊祭が、戦後ずっと、東浦さん(87歳)という、民間人の主催により続いている、「千人づか慰霊祭」に、出ました。

当時、このあたりで1000人以上がなくなった(主に民間人)うち、身元不明の方をこちらで、東浦さんのお父様が葬ったのち、塚を立て、ずっと供養をしておられます。

私は、旭区に住んで11年ですが、これまでに、旭区地域史などを通じてこの事を知り、いつも、一度慰霊祭に出てみたい、と考えていました。また、そのようなこをと続けてられる、東浦さんという人にも、お会いしたいなぁ、と思っていました。それが、最近、旭区(役所が、人権啓発のための)が製作し、催した、DVD映画、「体験者が語る戦争」を区民センターで上映された(語り部8名のうち、私が現実に存じている方が、それまでに3名いました。~特攻隊や、シベリア抑留の経験をした、ほとんど90歳前後の方々です。)のですが、東浦さんもそこに出て証言しておられましたので、上映が終わってからロビーで、声をかけさせてもらいました。その事で、直接、接触ができたわけです。

今年の6月7日(の午前10時半~)午前中は、強い雨でした。千人づかは、城北公園の裏手、淀川の堤防上にあります。通年、雨がひどい時には、近隣のお寺が会場となるはずなのですが、この日、とにかく堤防まで行ってみると、どうやら、そこで行われる(テント張り)ようです。

東浦さんに声をかけさせてもらった後、・・かなり、顔見知りの(議員の人、区役所の市民協働課長、旭区平和の会・会長に、また午後の”能”の主催のNPOの代表者の女性など、。)方が、ちらほら。・・

また、地域の小学校などが、先生に引率され、何組か入れ替わり、訪れてきました。

普段、この城北公園や淀川河畔に何気なく自転車をこいで来て、平和なこの場所でのんびりくつろいでいると、この千人づかが目にとまり、いつも、いたたまれない気持ちになっていました。”今日、たまたま平和の時代に生まれてきたのか、それなら、戦時中に生まれて来て、命が軽く扱われるのも、たまたまで済むのか。”というふうに。平和という状態については、なにもしないで作って行けるものではないと思うので、これからもよく考えたいです。



 

 

 

6月4日(土)『大阪宗教者9条ネットワーク結成6周年記念の集い』~ミニ・スピーチもした。

2016-06-10 11:54:12 | 音楽ボランティア

ふりかえり~ 2016年6月4日(土)

ひさしぶりに(私は実に、2013年12月7日、”秘密保護法制定”の翌日・・南御堂会館(真宗大谷派宗)での集会以来)参加、の
『大阪宗教者9条ネットワーク結成6周年記念の集い』へ出た。

場所は、(ここも初めて)玉造の カトリック玉造教会~大阪カテドラル聖マリア大聖堂、の別館。

仏教各宗派、キリスト教諸派が多数だが、ほかに天理教、他にも。


私は、知人で、ネットワークの運営に関わっている方から、前もって 「市民・宗教者の発言」の枠で、10分弱の時間を与えられていたので、
自分の普段の(音楽他の)活動と、平和、憲法などについて、思うことを決めて行って、発言した。
原稿とは見事、ほとんど違うことを話してしまったが、・・それはそれで、ウケがよかった(面白かった、と)ようだ。自分としても、すっきりした。
ただ、この事は、今後も真面目に考えていきたい。

この日の内容は、

・”にわか劇団宗教者プラス”の朗読劇、「憲法9条を抱きしめて」

・弁護士 梅田章二氏による「戦争法廃止へ共同の力を」講演

・「市民と宗教者の発言」
摂津市9条の会・会員、サドルズ・メンバー、ママの会メンバー、プロテスタント信徒(私)の順で、4名。

 会場には、真宗大谷派、真言宗、浄土真宗等の僧侶、・・カトリック神父、尼僧、聖公会、プロテスタント牧師、信徒ほか・・

 多方面での知人が、会場にいた。・・長谷川姉さんに、吉岡神父、N谷牧師、Y矢牧師、O太さんに、Nezuさんに、シスター・マリアさん、M本姉さん、ほかカトリック大東の信徒さん、大阪南朝祷会で顔見知りのお2人。(他にもいたかもしれない。)


最後に、「パレード(行進)」は、玉造・大阪カテドラル聖マリア教会出発→森ノ宮(大阪城公園)、解散、17:30。

新聞社の取材もあった。翌日、”載っているよ”と知人が教えて下さった。


<着ぐるみ=赤い色の”憲法9チャン”の中に入っている人は。知っている・・Y神父です。>

  

   
  

  
 



天王山へ~再び、『3つの川が出会う』視界を探して。

2016-06-05 09:45:24 | 街角・散策
あれ?前回のブログ記事も、「3つの川」を求めて、山崎へ、の記事だった。?続いているので、
こんなことばかりしているようだが、(実際はチガウ。さまざまなことを、日々しております。ブログ記事にするのが手間で・・FACEBOOKなどに頻繁に他の記事を書いています。)・・。

前回の山崎への訪問で、三川合流(桂・宇治・木津川が出会って、淀川となる)地点をはっきり目視できなかったので心残り、
また、なんとしても「天王山頂」へ自分の足で登ってみたい。と思ったので

(先週からのイベントやスケジュールで、疲れ・・ては 体力が戻り、また疲れて・・体力が一時戻った頃合いを見計らって!)

ついに、先週木曜(2日?)、阪急大山崎駅に下り立ち、計画実行に。今度は1人。

前回の時に、山崎の方々の案内で、目鼻をつけていただいたので、おおよその土地感覚と、今日の動きが決められる。

先ず、大山崎駅から徒歩で西方向、つまり山(天王山)側へと向かい、傾斜を上がって、「アサヒビール大山崎山荘美術館」へ行く。

(ここでも、『三川合流』が見られる、ということなので いささか期待しつつ)

ここでの期間限定特別展 「終わりなき創造の旅」~ピカソ、モネ、ゴッホなども有り~ が6月5日で終わるので、それを見たいのも一つの目的であった。

 元・山荘の美術館 この石のゲート付近から庭園まで、無料散策ゾーンも
 

 美術館外観      
 

2F喫茶テラスから・・、左側写真が、川の向こう(東側)の「男山」~京阪沿線

 

そして、写真右側・・が、目を凝らしてみた、三川合流ポイント・・



 ここでは、もっと完璧に「三川合流」風景が見られると思って期待していたのですが・・海抜がまだ40~50mと低めなのと、私の身長から目線の位置が低いこともあり?、川面すらよく見えなかった。よく目視できないまま、手元でズームアップして撮って帰った写真を見ると。手前の2本がが桂川、宇治川で、おsこに京滋バイパス(車道)かかかっているようすと、別に鉄色のラインは、府道13号線が写っていると思われる(2つの川の中州を通ってから、宇治川を横切っている)。しかし、残念なことに、その奥にあるはずの木津川の姿が見えない。・・

(アサヒビール美術館の館内の様子は、当然写真に写せず)

意を決して、予定どおり・・ここを出たあと、運動靴に履き替えて、1人天王山登山口に立つ。標高270m程度の山なので、(神戸出身の私は、意外に低山登りは、やっている。?)ちょっとナメてかかっていたのだが・・結果的には、この山、最初から終わりまで急こう配と、足元がゴツゴツした道続きで、一気に登りあがる感じがあり、息が切れた。が、モチベーションと決意があったせいで、よく登ったと思う。

で・・途中経過や、山頂、また下りながらの道での 三川合流地点を必死に垣間見ようとした、結果を以下に。結果としては・・結局、完全に、3本の川が出会う光景(を見える!と夢に見ていたのですが)は、なかった。・・他にポイントはあるのか?それとも、山の木々が生い茂るこの季節、視界がふさがれているということもある、もしかして、枯れ木となった季節にもう1度来てみようか。

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○青木葉谷展望広場より~ ここ、よく見えた、・・2川合流。3つのうち、先ず東に位置するの木津川と、中央に位置する宇治川とが合流したのち、西側の桂川と合流して、1つの淀川となる、その最後の方の合流の様子が、見えている。3枚目は、下山の際にもう一度確認した、合流後1つの川となり、大阪平野へ向かう淀川の様子。(・・行ってらっしゃ~い 淀川。あとで会いましょう~・・会いました。帰りの阪急電車から、淡路で乗り換え、地下鉄堺筋線で柴島付近の、下流域の淀川に。)

  

○旗立松展望台。歴史的には、秀吉が合戦の際、家紋の千成瓢箪の”旗を立て”たところ、戦況が有利になった、という説がある。その松がある処
ここから見る景色は、角度としては、天王山の中腹から、”北寄りの東”となるので、上流方向、とくに、手前=西側の桂川がよく見えている。その桂川に、車道の”京滋バイパス”が通っているのが見える。

  

理想としては。・・ほんとうは、こういう姿が見えなくてはいけない。(三川が見事に合流している様がいっぺんに見える)


○結局、一番標高が低い地点で、よく見える2川合流が、ここ、「宝(積)寺」門の外です。これは、前回の訪問で、見ていました。



さて・・天王山の山頂(270.4m)まで登れば、何もかもお見通し!なのかと思えば・・うっそうと茂った木々のせいで、街々の様子が見えるだけで、川はさっぱりでした。ここは、過去 山崎城もあったという場所。(秀吉の天下統一の起点ですって)自分ひとりで記念撮影。山頂の陶板画(No.8=秀吉の天下統一ですって)

     


行く道々で・・天下分け目の古戦場だった歴史をしのばせる跡が。秀吉陶板画(1~8枚めまで・・明智光秀を破った、ですって。)が野外の1~8までのポイントに飾られてある。また、お寺なども