報告、というより、やはり文章を書く暇が惜しいので、写真のみで ・・・ と思ったけれど、少し、最低限だけ、記しておきたい。
2015年12月6日(日) 大阪水上隣保館~ゆりの礼拝堂にて 古楽ユニット Pastime With Good Companyで、アヴェ・マリア コンサート。は、120名ほどの、地元のお客様と、私達がお呼びできた、幾人かの知人に応援してもらって、大好評でした。(動画も、Youtubeにアップしています。 https://www.youtube.com/watch?v=Lb4U1D2pD8U https://www.youtube.com/watch?v=8eJl4yoEPtU )
..ほんとうは、ライブ写真ばかりでなく、ほんとうに、本当に、この山崎の土地で、戦前から大阪水上隣保館が作りあげられてきた人の尽力、愛、そんなものがある事を知って、また、当日、お世話をしてくれた主催側の方々と、朝から夜までご一緒して、最後には、打ち上げ(西村亭)をし、ざっくばらんに、土地の話、いろんな事を話しできたこと。私は、また、ここ、ゆりの礼拝堂で、朝から(日曜)ここに住む、子どもたち200数名のうち、とくに中学生が出席するという、礼拝に参加した。朝は、車ではなく、1人先だって、JRの山崎駅に降り立ち、ここまで徒歩で来た。途中、JR高架下をくぐり、”京都府と大阪府”の府境になるという、小川沿いを歩きながら。自然の道をたどって、ここについた。中学生たちと、幾分か話もしたし、また、毎週、持ち回りで、外部から礼拝のサービス(ボランティア)に来ている、教会、ちょうどこの時は、江坂のライフ・チャーチという教会から、外国人宣教師を含むグループが奉仕に来ていた、ので、礼拝(クリスマスのプレゼントも配られた、中学生達は喜んでいた)が終わったあと、その奉仕などについても、しばらく、話をうかがうこともできた。
また、コンサート終了後に、隣保館から、「懐妊の聖母」の本を贈呈された。何も宗教的な内容ではない。日本の、戦後の社会福祉の在り様、キリスト教と社会奉仕活動の関わりについて、また、このゆりの礼拝堂がなぜここに建てられたのか。マドンナ・デル・バルト(懐妊の聖母)という、中世のピエロ・デル・フランチェスコが、イタリアの片田舎=モンテルキの村の墓教会の内壁に(1465年か)描いた、というその絵の現物を、模写した、野村義照という、日本画家がいたこと。その人の熱意がこの施設に礼拝堂を建立し、ひいては老朽化していた、児童の住む棟の全面改築の実現を果たせた経緯と、そこへ至るまでの多くの分野の人々の様々な生き様の織りなすドラマよりもドラマチックなノンフィクションが、そこに正確に(当事者がお墨付き)記されています。ぜひ、一読をおすすめしたい。
ほんとうは、山崎の自然を撮った写真なども、少しあり、ここに載せたいし、様々な人と話した内容、感じたこともここに書きたいが、今は、次の予定の準備があるので、ここまでにしておく。