徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

2016年・行動の総まとめ(ふりかえり)ざくっ。と

2016-12-27 19:17:57 | 生活
2016年、総まとめ!?この1年間で、自分がどこへ行って何をしたか。あまり、いつも気にしませんが、今年はいろんなところに、ちょこまか行って、見て、知って、出会いがあって。いろんなモノに出たり、しゃべって。回数や場所はすべてつけて(記録して)いませんが、ちょっと調べてみました。すると、・・。以下は、思い出したり、記録できてたりした部分のうちの、主なところを記載。

2016年頭、ライブはまず、1月3日の釜ヶ崎からスタート、1.17の阪神淡路の震災関連ライブは、今年は泊りがけで!行ったのを皮切りに、六甲氷の祭典が変化した、氷の切り出し・氷室では思い切りTVに露出の新年スタートから、故郷・神戸市兵庫区を探索したり。あと、主だったとこで印象に残ってるのは、4月は奈良の大和榛原、そして宇陀郡曽爾村の屏風岩の桜の終わったあとの景色。大阪水上隣保館の桜バザーに初参加し、島本町~山崎界隈の、京都と大阪の境目の場所に、ワクワク!蒸溜所見学にも。今年の夏は暑かった。広島(原爆の歴史と核兵器禁止運動の勉強)に初めて行ったから。3日間の行程のほか、前後の種々の催し・勉強会への参加、また、帰阪してからは15分、30分、というような人前での発表の機会もあり。今年は、デモに出る機会が少なかった。が、替わりに、政治社会問題についての勉強会参加や自己学習、ディスカッション、発表の場によく参加した。また、平和の会・憲法9条関連のつどいでの、ハープ演奏の機会が数回与えられた。教会関連でのイベント、ハープを弾く機会も数回あった。福音と社会問題と、切り離しては考えられない、と思っているから、成り行きまかせの行動ではあるが、こういう流れになってきたことは、非常に驚き、感謝である。

・・春には大阪キリスト教連合の日帰りバスで、比叡山延暦寺(他宗教訪問)に行った、秋には大阪クリスチャンセンターから、丹波篠山・日帰り旅に行った。長野(安曇野)にも泊まり(女性の集いで勉強会)で20年ぶり以上で行けた。明石には2度行けた、秋には、明石川の河口と海の境目に立つ発見をした!神戸によく行った、一度は友達が関東から来て一緒にいった、1人でも行った、だれかとも行った、子どもとも行った。他にも、いろいろ行けた場所・したことがあると思うが、思い出せない~♪
ライブもした、各場面で15回でている(記録分で)、ほか訪問・慰問演奏は、40回以上~50回未満だった。ライブ、ユニットで5回と、少な目だった。

2016年 (わかってる分だけ)
1月
3日 釜ヶ崎街歩き
  越冬闘争ステージ (ソロ)
17日 阪神淡路大震災1.17 (宿泊)慰霊とライブ出場
20日 六甲枝垂れ 氷の切り出し(TV)
29日 神戸湊川~平野 探訪

3月
27日 イースター礼拝と神戸北野散策 
31日 子どもと明石 (天文台、明石焼き)

4月
9日 大阪水上隣保館 桜バザー (ライブも)
13日 淀川資料館(枚方) 見学
24日 奈良県宇陀市 まなのと訪問 ○大和榛原教会・礼拝とあいさつ・交流、 ○宇陀郡曽爾の山桜を探しに、屏風岩 散策

5月
1日 野崎キリスト教会と、野崎の周辺。
11日 山崎へ。戸田さんと散策、加國さん・戸田さんと昼食。1人で山崎蒸溜所見学。
16日 比叡山延暦寺 見学 (大阪キリスト教連合)

6月
4日 大阪宗教者9条ネットワーク6周年の集い(スピーチした)
7日 旭区 千人つか 慰霊祭 出席

7月
4日 国民平和大行進
11日~12日 佳代子さん 来たる 神戸と弁天町慰問
19日 旭区原水協総会出席(広島前)

8月
1日 海外代表と語ろう(広島前)
4~6日 広島行き 原水爆禁止世界大会 広島平和祈念式典等

9月
3日 旭区平和のための戦争展 (15分の、パワーポイントを使った発表)
6日 新婦人の小組、アロマの高橋さんと知人になる
9日 旭区平和の会・例会にて 30分間の広島報告
23日 釜ヶ崎伝道の手伝い (証と賛美、労働者に向けて)
24日 西成区の津守、というところへ(演奏他)

10月
17日 丹波路 OCCバスツアー 
20日 布引ハーブ園・高橋さんと
28~29日 長野県・安曇野(いわさきちひろ美術館、無言館、平塚らいてうの家) 新婦人の会・都島から

11~12月は、各方面で様々なスタイルでの演奏催しがありいっぱい(生野教会、ゆりの礼拝堂、また12月後半は、慰問連続)の中で
9日 箕面
11日 男山(ケーブル) 方面へ1人紅葉狩りへ行けた。

・・・

<ライブ>
ソロ
神戸ロイ 1
阪神淡路大震災1.17 神戸市役所前 ライブ (ソロ) 1
反原発 1
大阪東教会 1
桜バザー 1
ダッシュ隊 結成○周年記念パーティー (ハープ) 1
野崎フォークジャンボリー 1
高殿9条の会・ハープ 1
旭区社会福祉協議会 ボランティア市民活動センター 開設イベント ハープ 1
Live Ship りりー船 1
都島区平和のつどい ハープ1
遺族の会(天満橋ドーンセンター) 1
旭区平和の会 ハープ (区民ホール、畑田重夫講演)
生野教会 あきのふぁみりーフェア ハープ1
釜ヶ崎越冬闘争 2016/12/30 ソロ 1 ~14回

PWGC(ユニット)
東成区(深江会館・落成記念)1
元町ミュージックウィーク 1
深江歴史文化まつり (2人) ハワイアン・ポップス 1
アヴェ・マリア・コンサート(大阪水上隣保館・ゆりの礼拝堂)1
(予)忘年会ライブ 時代屋 1  ~5回

音楽ボランティア
 定期 13
 その他 3港区 3西成区 宝塚3 旭区1 中央区2 東成区2 東淀川区3 守口市1 ほか計上できず
東大阪(阿部さんらと)1  ~40以上50未満

自宅 旭高殿朝祷会・開催(自宅・世話人)5回
○近畿ブロック大会・柏原教会(4/29)
大阪朝祈祷会 6回(計上できず(
シェラトン 9回

見たライブ 1回
カルチャークラブ 6/24

旭区平和の会 
 例会 1月 2月 6月 9月 ・・

憲法カフェ(今市)

尺八教室(鳳)1回 など・・

「分裂症の少女の手記」セシュエー著/30年ぶりに再読

2014-07-27 16:51:27 | 生活





セシュエ―女史の書いた、1955年初版の、この本の、内容の前半大部分は、題名通り、(精神)分裂症(今では”統合失調症”であるが、当時の呼び名がそうであったことと、出版社も以前から既刊の書物については、題名をそのままで出版することを、了承願いたい、としているので ご理解ください)であった少女の手記(回想録)で構成されている
なぜ、今この本を読むのか?・・1984年頃、私は医療関係の大学(ワケあり自主退学)に行っていたが、そこで、2年目くらいに、読まされたのだった、その時のインパクトが強く、20年以上もたった今、急に気になり、取り寄せ 再読してみた 当時の時の印象はそのままに、しかし ある程度以上 ずいぶん理解力も当時よりは上回り(成長したということか?)、よりいっそう、得る所を得られた、という感がする。しかし・・それにしても、やはり一読して、衝撃と、やるせない悲壮感と、あと今、親になってみて、また自分の親はもういないが、その子として、両方の立場から、ひしひしと思い当たる節、また感じるところがある。
自分自身、統合失調症という体験や診断を受けたことがないのだが、それにしても、このルネという少女の体験を通し 知ることは、愛情の欠如、というものが、いかに人間としての人格等の形成を妨げるどころか、生きる意欲・エネルギーと、普通に生命を維持していくだけの力と方法(!)の獲得に影響するのか、と言う事。逆にいうと、生まれてから注がれる愛情こそが、大きくなってからの人間の生きる力につながるのだということをひしひし感じた。
生まれる時からあまり母親の愛情を受けず、生まれてからもミルクをうまく飲ませてもらえなかったり、下手に育てられたこの子は、”自我”というものの形成が成されず、思春期を迎えるにあたって、社会的な関係を築くことが出来ない・・ばかりか、無形成の自我は、イド(ido)に支えられることなく、外界と自我の区別が出来ない事により、遠近感を失い、外界の全ての事物(モノ、椅子・景色何でも)が意味を失って、大きく膨らんで見え、生きて、自分に襲いかかるように見える。生物は、人であれ、ロボットのような無意味な動きをする。視界に入る物はすべて非現実の世界となり、人・事物は存在の意味を失って、機械のように動く。その非現実感は本人にとって耐えがたい恐怖と孤独感である。
 このルネの症例の頃には、まだ精神薬や電気・インシュリン療法が存在する前であったので、精神分析医のセシュエ―夫人が、18歳のルネと初対面(その時には、紹介した医師は、ほぼ見込みはなく絶望ししていた)してから、”精神措置療法”つまり、対話のみで、ほぼこの子を、完治に導いたのだった (その過程には感動的なものがある・・その中には、専門的には 象徴的実現、「投影」「模倣」という過程が含まれるのですが、つまりは、幼い時に”食事をもらう”という原始的欲求さえ満たされたことのない、”母”の存在に”成り変わった”分析医との関わりの中で、胎児期にまで退行してしまった”自我”(ego)の再構築をしていく、というものなのでしたが)
これらを通じて、わかったような気持ちになったこと、というのは・・いかに幼い時に受けた愛情が、人間の人格の構成、というものに関わるのだということ、と。自分が最低でも、この少女のような悲劇的な者とならずに済んでいるのは、自分の努力でもなく、なにかと親に対して不満を感じたりした自分ではあったが、それでもこのようなことにならないように育ててくれた、という恩と。
それから、愛情の欠如や無関心・憎しみは、親子の間で、また他人同士の間で、負の連鎖をし得るものであるが、・・反対にいえば、愛情を増す、肉親の間でも、また隣人に対しても。それは正の連鎖であり、それを促していくことも、努力次第で可能であるのだということを、強く感じだ次第で、この本のレビューのようなものとして、書きました。かくして、30年近くたって、(少女の頃から?)読みなおした本に対する感じ方は、より一層深くなったような気がした。