徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

ワタシら、払ろた 電気代の行方・・?

2014-07-29 20:19:36 | 政治・社会問題
ワカルわ・・これって、その、法治国家・日本において、許容範囲?それとも、法律違反な事?法律違反ではないが、モラルには反するって事?何なのか知らんが、・・どちらにしても、さもありなん、って感じで、驚きもしないったら。

自分のささやかな経験から・・(何度も出すけれど、独身時代のビンボー・ネタから、またひとつ。)”派遣切り”に会ったり仕事のない時期が出ると、独り暮らしには生活に相当打撃がでる。2000年頃のハナシ、神戸市兵庫区に1人住まいをしていたが、派遣会社からの仕事がなかった(無給)の時期を挟んで、生活費は切迫し(貯蓄ないよ)、電気代滞納に至る。光熱費系でいうと、水道なら半年近くは待ってくれる。ガスでちょっときつくて、電話で泣き落し・折衝して温かい対応がある時には、3か月待ってくれた。NTTはそら、すぐ切るわ。・・で、関西電力、待ってくれないね。2カ月貯めると、すぐアウト。人が家の中に居ても、夜、電力源、落として行きます。・・そらええんやけど、その、貧しい者から、ナケナシの金銭を奪い・・いや、かすめ・・いや、えっと とりあげて、いや奪って・・違う 回収していく様子が尋常でなく、ガッツリ・迅速で舌を巻いた。例えば、電気料金の、口座引き落としでは、指定日に残高が足りず、弾き落とされなかったならば、次の1か月まで見過ごされる、という甘い事はなかった。何日か置きに、(自動的にでしょうが)コツコツ、こつこつ残高をチェックして、入金されていれば、すかさず、電気代の引き落とし!が実施される。ようやく、仕事にありついて働き始め、くたくたになって、夕方、「自分の口座に、¥3500が残っているはずだから、今夜は材料アレ買って、ささやかにアレ作って食べよう」とATMに行くと、ちゃっかり残金は¥0に近く、記帳したら、「カンサイデンリョク(引き落とし)」とあるもんだから、鬼かと。・・貧しい者から、すかさずかすめとる(・・)血も涙もない、そのスキのなさを見て、「これは、公共料金ではないな。関西電力、営利企業だ。」と身をもって知ったのであったが。その裏に、どういう仕組みで、どういう金の動きしてるんだかなんて知りもせなんだが、まあ、その一部はこういった以下のような、政治献金に、ということか。ふーん。
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歴代の首相に、一回1000万円×年2回、関西電力から、献金シタ ・・会長に付き添った関西電力副社長の、暴露↓
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『(原発利権を追う)三木(元・首相)さんは「足りない」と言った』

http://digital.asahi.com/articles/ASG7N5GTQG7NUUPI002.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG7N5GTQG7NUUPI002

(関連記事より↓)

■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白
 盆暮れに現金を渡した総理大臣は、角さん、三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹さんまで。選挙のあるなしは関係なく、1回1千万円で年2回。
 《関西電力元副社長の内藤千百里(ちもり)は、元会長の芦原(あしはら)義重が現職首相に現金を渡す場面に立ち会ってきた。明確に記憶しているのは田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登。1974年に電力業界が政治献金の廃止を宣言した後も続いたという》
 関電の中でやめようという話は出なかったね。具体的な目的で渡す汚いカネではないという意識だった。天下国家のためのカネ。一に電力の安泰、二に国家の繁栄。
 三木さんは事務所で私のひざを触りながら「足りない」と言ってきたことがあった。芦原さんが現金を渡すとニコニコして「お元気で何より」。福田さんは東京の自宅が多かった。何十羽のごっつい大きな鳥が飛んでくる家だ。天下国家の話をして帰り際にあうんの呼吸で置いて帰る。福田さんは玄関まで見送り「ありがとうー」と言っていた。
 大平さんも自宅。現金をもらうと「いやあ、お疲れさん」。鈴木さんは照明の暗い家だった。中曽根さんは事務所。「ありがとうございます」とさっと受け取った。竹さんも事務所やね。ベテラン秘書が一手に仕切っていた。
 私が現金の入った紙包みを関電の経理から受け取った。総理の家や事務所に着いて、車を降りる時に芦原さんに「はい、これ」と手渡す。総理との現金のやりとりはトップ同士。代わりがするわけにはいかん。芦原さんも「自分でやる」とプライドをもってやっていた。私はその間、秘書と前室で雑談しながら待っていた。(敬称略)
■朝日新聞社 2014年7月28日(月)

安定ヨウ素剤・50mg配布..のニュースに思うコト

2014-07-29 00:20:10 | 政治・社会問題
7月27日に、鹿児島の川内原発の”半径5km”(たったの)に住む3歳以上の住民約4700人に、安定ヨウ素剤が配布された、ニュース。
『川内原発5キロ圏内の住民にヨウ素剤配布』~NHK Webニュース 7月27日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140727/k10013324061000.html

・・実は、この安定ヨウ素剤の包装を見て、ハッとした。
私ぁ、これとまったく同じこの錠剤(おそらくこの写真も同じ50mg)を、服用していた時期がある。2年前くらいにバセドウ氏病(甲状腺の機能亢進症で、比較的軽症の)を発症して、この安定ヨウ素剤を処方されて、飲んでいた。(不思議な生物のホメオスタシスの機能からか、甲状腺ホルモンをつくりすぎる病気にかかった場合は、その材料となる”(安定)ヨウ素”を人工的に多く摂取すると、人体は、逆にホルモンを作らなくなる、という現象を利用した治療法である)今、この包装を写真で見て、自分が飲んでいたのとまったく同じなので、いやはや、と感慨深く思って眺めている。・・
私は、福島県内で過ごした時間はほとんどないけれど、何度か行った東北行きの往復のバスは必ず福島圏内を通過したし、(あの頃はまだ認識が甘く)そこのみやげ物を買って食べもした、ある旅程では、帰りのバスが夜中、福島の(ホットスポットだった可能性もある)たぶんそこそこ線量の高いポイントで立ち往生して、そこに滞留した時間もあった。だから、だから私が被曝した?とはいえんが(見えんし計れんし証拠もない)、人によっては、低線量でも被曝した場合、敏感に甲状腺等にも影響を受けて、私なら以前から傾向があった、甲状腺の異常を促し、亢進症を発症した・・という因果関係が”絶対に万が一つもない”と言い切れるだろうか、しかし考えすぎと言われれば、それまでで、証拠がないし、証明もできないし。また、この3月には、こんなことがあった。大阪で原発反対集会にて、福島産の巨大ドラ焼きを1つほおばったあと、(疲労もあったが)みるみる全身に、むくみ(浮腫)と、酷いじんましん。・・・(これまで経験もないもの、他にアレルゲンも思い当たらない。)私は、アレルギー科で、ただちにステロイド点滴を受け、それは1週間つづき、続いてステロイド剤の内服と通院は1か月に及んだ。(アレルゲンは特定できず。やがて、ステロイドによる副作用を感じ、自主的に通院止め。)笑うなら笑うがいい、だれも因果関係を証明できないんだ。・・
..しかしまあ、行政がこれを配る、ということは、原発事故の可能性、がナイ!とは言わん、ということやな。しかし、過酷事故の時には、放射性ヨウ素だけが放出されるワケでもあるまいに。これだけ配って安心せい、はないわな。しかし、またあんな火山性の爆発に原発が巻き込まれてしまったら、コレを飲むまで生き残れるか・・しかも、たった半径5kmかい。私が住民やったら、こんなモノを配布されるようになったらその場所に、よう居らんナ・・「受け取るその行為」=(イコール)「ここでもしかしたら、原発事故が起きる可能性があることの認識を得ます」の了承のサインやんか。おかしいないか?
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「分裂症の少女の手記」セシュエー著/30年ぶりに再読

2014-07-27 16:51:27 | 生活





セシュエ―女史の書いた、1955年初版の、この本の、内容の前半大部分は、題名通り、(精神)分裂症(今では”統合失調症”であるが、当時の呼び名がそうであったことと、出版社も以前から既刊の書物については、題名をそのままで出版することを、了承願いたい、としているので ご理解ください)であった少女の手記(回想録)で構成されている
なぜ、今この本を読むのか?・・1984年頃、私は医療関係の大学(ワケあり自主退学)に行っていたが、そこで、2年目くらいに、読まされたのだった、その時のインパクトが強く、20年以上もたった今、急に気になり、取り寄せ 再読してみた 当時の時の印象はそのままに、しかし ある程度以上 ずいぶん理解力も当時よりは上回り(成長したということか?)、よりいっそう、得る所を得られた、という感がする。しかし・・それにしても、やはり一読して、衝撃と、やるせない悲壮感と、あと今、親になってみて、また自分の親はもういないが、その子として、両方の立場から、ひしひしと思い当たる節、また感じるところがある。
自分自身、統合失調症という体験や診断を受けたことがないのだが、それにしても、このルネという少女の体験を通し 知ることは、愛情の欠如、というものが、いかに人間としての人格等の形成を妨げるどころか、生きる意欲・エネルギーと、普通に生命を維持していくだけの力と方法(!)の獲得に影響するのか、と言う事。逆にいうと、生まれてから注がれる愛情こそが、大きくなってからの人間の生きる力につながるのだということをひしひし感じた。
生まれる時からあまり母親の愛情を受けず、生まれてからもミルクをうまく飲ませてもらえなかったり、下手に育てられたこの子は、”自我”というものの形成が成されず、思春期を迎えるにあたって、社会的な関係を築くことが出来ない・・ばかりか、無形成の自我は、イド(ido)に支えられることなく、外界と自我の区別が出来ない事により、遠近感を失い、外界の全ての事物(モノ、椅子・景色何でも)が意味を失って、大きく膨らんで見え、生きて、自分に襲いかかるように見える。生物は、人であれ、ロボットのような無意味な動きをする。視界に入る物はすべて非現実の世界となり、人・事物は存在の意味を失って、機械のように動く。その非現実感は本人にとって耐えがたい恐怖と孤独感である。
 このルネの症例の頃には、まだ精神薬や電気・インシュリン療法が存在する前であったので、精神分析医のセシュエ―夫人が、18歳のルネと初対面(その時には、紹介した医師は、ほぼ見込みはなく絶望ししていた)してから、”精神措置療法”つまり、対話のみで、ほぼこの子を、完治に導いたのだった (その過程には感動的なものがある・・その中には、専門的には 象徴的実現、「投影」「模倣」という過程が含まれるのですが、つまりは、幼い時に”食事をもらう”という原始的欲求さえ満たされたことのない、”母”の存在に”成り変わった”分析医との関わりの中で、胎児期にまで退行してしまった”自我”(ego)の再構築をしていく、というものなのでしたが)
これらを通じて、わかったような気持ちになったこと、というのは・・いかに幼い時に受けた愛情が、人間の人格の構成、というものに関わるのだということ、と。自分が最低でも、この少女のような悲劇的な者とならずに済んでいるのは、自分の努力でもなく、なにかと親に対して不満を感じたりした自分ではあったが、それでもこのようなことにならないように育ててくれた、という恩と。
それから、愛情の欠如や無関心・憎しみは、親子の間で、また他人同士の間で、負の連鎖をし得るものであるが、・・反対にいえば、愛情を増す、肉親の間でも、また隣人に対しても。それは正の連鎖であり、それを促していくことも、努力次第で可能であるのだということを、強く感じだ次第で、この本のレビューのようなものとして、書きました。かくして、30年近くたって、(少女の頃から?)読みなおした本に対する感じ方は、より一層深くなったような気がした。

釜が崎(あいりん)、”いこい食堂”、炊き出し。

2014-07-27 16:12:03 | 社会活動
トンネルをくぐると、そこは・・・。

阪堺電車のガードを、・・地下鉄堺筋線”動物園駅”9番出口から、西へ一歩、くぐると、そこは。

あいりん地区、といわれる、釜ケ崎で、風景は、まったく一転します。



7月25日(金)、毎月第4週目の金曜日であった。たまたま、以前、古郝(こかく)荘八牧師が、家の祈祷会に来てくれたときに、日本キリスト教団の南の方の地区の教会の有志で、「いこい食堂」という所で、炊き出しをしている、と情報を入手できたので

私、最近、いや 気になっているといえば、常に 薄々・・ 過去に1度だけ、自分が単独で、何か食糧を少し携えて、(石鹸とかも)神戸から1人で、年末の釜が崎まで行って、配りながら・・そんなことをしたりしたのも、1回きりで、しかも20歳代のころ。今じゃ、そんな力も、また余り軽はずみな行動もできないし、・・でも、”飢え”というものの苦しさ(1人で勝手に貧乏暮らしの体験あり)が多少なりとも理解できるし、住むところもないなんて、考えるだけでも やるせなくて・・ ただ、その感覚だけで、なんとかできるわけもなく、その後は、何の助けもすることなしに、過ぎた。そして、こうやって主婦になって、安定した住み処と食事をゲット出来てからは、なおさら、冬の寒い時、雨の降る時、また・・そんな折には、心配で。といっても、私が何もしてない間にも、ちゃんと、組織で取り組んで、長いこと、いつもいつも継続的に、されてる団体がある。・・

それが、クリスチャンの人やったら、なんのためらいもなく、参加させてもらえる、と思い

..それが、毎月第4金曜、といえば、私が必ず予定がある。早朝、7時(家はAM5:55に出発する)から、上本町の、「シェラトン都ホテル大阪」で、朝の祈祷会だ。パイプオルガンの奏楽の担当になっている、私。

1部の祈りの会だけで(2部の食事、ホテル・バイキング(゜o゜)は、8時)途中で出てきたら、ここでの9時以降の炊き出し活動には、間に合う。な。

ということで、初めて、だいたい、教えられた、西成警察署となりの、「四角公園」を目指して、来ました。8時半。太陽、めちゃめちゃ照りつけて、もはや午前中から、ギラギラです・・帽子忘れた、どうなる?

いこい食堂、わかりません~・・おっちゃん達に、尋ねる。・・(この地区で女性の割合は数パーセントやろね)
すぐ、目の前でした。「いこい」の字が、褪せて、わからなかった(>_ 

ここの創始者は、金井愛明という牧師さんで、今は故人。家族が、やっておられる?。事情は私は全部存じないけれど、この日は、日本キリスト教団の南海地区、という処からの有志のようです、といっても、私が到着したら、だ~れも、家族以外はまだ未着。

私は、ここの人に、「・・で、何で。あなた、ここへ来たん?(目的も、伝わってないようだ)」 私「今日1日、させていただきます、古郝牧師の繋がりです。」
「ああ・・そうなんだ、で、教会は、何処?」 私「ええ~っと、セブンスデー・アドベンチスト・・」
「うん、。で、教会名は??」私「だから・・わからないと思うけど、教会が、セブンスデー。」
「ワカラン!」 と言われた。ハハ

で、しばらくすると、古郝さんたち、(南海地区でなかったけれど)と教会の人が、4名、やってきました。

 

おにぎりを握りますが、1個が手に余るほどの大きさで、しそ梅を中に入れて、合計で、300個。
黙々にぎります、もちろん、クリスチャン同士 通じるハナシをしながら・・あちらの近隣教会のつながりで、意外や共通の知人もいたり。

手のひらからご飯の熱が伝わって来て、・・クーラーは(入り口開放し放しだし)ほとんどまったく効いてません。

それより、37℃という予想のこの朝、すでに午前中から目の前の四角公園は、大層な太陽の照りつけかたで、並んでいた人の列も、いったん数名になり、とうとう、0(ゼロ)に。・・



9時すぎから握って、(奥ではさらに大変な、汁物を作る作業をしている)10時すぎには(早いペースだったそうです)終わり、次回以降の備蓄の梅干しの作業をして、10時半ごろからお茶と談話。

さて、11時前に、・・・帽子は貸してもらえて、ほんと、炎天下のところ、めっちゃめちゃたくさんのおにぎりや、汁物を台車に乗せて~

7名程度で、公園の (日よけが、ないのね?まさに日なたで) 列の先頭へ、行って、積み荷を降ろし。

・・すごいのは、横の別の団体の炊き出しで、ここは釜が崎労働組合の関連で、毎日(盆・正月なし)、朝と夕、お粥を配っている。・・

たくさんの列の人は、先に、その隣のお粥をもらって、その足で、こちらのおにぎりを受け取り、また、こちらの、もう1つの、野菜の汁物を受け取ります・・

私は~ おにぎりの列で、その方たちに、それを直接・手渡しで・・渡す役目をしました・・
躊躇しました、最初、握る時も素手ですし、渡すのも、ラップもなしです。ハンド to ハンド。手が触れたりしますね!。
けっこうなスピードで、渡して行きます。
お礼を言われる方、すばやく無言で受け取って行く人、持参したコンビニの袋に入れてくれ、という人、また隣のお粥の椀の中に、おにぎりを入れてくれ、という人、さまざまでした。
なんだか、用意した300人には、人数は満たなくて、2回目を回っている人がある、という状態でした。

あとは、食堂に戻り、洗い物をして、解散、食事の集い、という流れだそうであるが、自分は、子どもが夏休み中であったので、そこら辺りで、退出させてもらった。(炊き出しの)人員は、充分足りている、とはいえないようで、自分もお役に立つなら、無理しないでいい時、また行くつもりです。

公認後初、第10回、自宅での家庭集会(超教派・祈祷会)

2014-07-10 22:52:57 | 家庭集会=”旭高殿朝祷会”
”ゆるされ、恵まれまして、ここに第10回目の、旭高殿朝祷会を、開かせていただきます・・”
を、冒頭の祈りに置かせていただき、開会しました、天候が台風の上陸で、昨日の準備の時点では、催し自体が、できるかどうか、やや不安気味でありました、が準備をしまして、無事、7月10日に、第10回目の会を、合計私を含む、16名の男女信徒(超教派・・カトリック系=7名、プロテスタント系=8名、ノンクリスチャン=1名)で11時~より。

第1部の説教にあたる、奨励(お話)は、今日は、カトリック阿倍野教会の、吉岡秀紀神父でした。社会派活動が活発な神父、この先日の日曜日も、”秘密保護法ロックアクション”絡みの集会・デモ活動で、扇町公園でお会いしたばかり。

今日の話は、「ルカ福音書の“熱”~『この子は、反対を受けるしるしとして定められています(ルカ2.34)』」を話されました、大変興味深い話でした、一見おだやかな調子で描かれているかのようなこのルカ書、から読みとれる”(情)熱”。カトリックの神父さんですが、マリアを過剰崇敬することなく、むしろ淡々とマリアの真の性質とはどのようなものだったか。を、ご自身の洞察から話してくださり、興味深く、うなづけました。また、キリストの癒し。それは身体の癒しだけでなく、人としての尊厳の回復、罪に陥った状態からの癒し。それから、イエスご自身は、神の子たる身分であるが、この世界においては人間の身体を持って生まれ。正しい言葉を教えるだけでなく、自らが犠牲になるまで、人を愛し、尽くした、ということ。それが・・私達キリスト者も、この世で同じように、他人と社会のためになし得ることができる、しなければならない、その理由となるのだ、というような要点でしたね、それは、吉岡神父の今日の、現実の社会活動の、裏付けとなって根底にあるのでしょう。





     

  

ところで、人数が増えますと有難いのです、ですが、料理の全体量を割りますと1人あたりの量が減ってしまって、どうもすみません。

  

大事な1品を、出すのを忘れてしまい、最後に皆が帰ったあと、冷蔵庫の鍋を発見し、途方にくれています。(^_^;)


...なお、次回の、「全国朝祷誌」に、わが旭高殿朝祷会の紹介文が掲載されるそうです、ので
以下のように、文章を添えて、送らせていただきました。

旭高殿朝祷会は、大阪市旭区にある一個人宅で毎月第2木曜11時に開かれる、家庭集会的な特性をもった集会です。2013年10月に第1回目が開かれ、2014年7月に第10回目を迎えました。近隣や比較的遠方からも、プロテスタント、カトリック、聖公会の各教派の信徒が集います。第1部の「祈りと讃美」の後、第2部では、家庭料理のメニューが出され、和気あいあいと教派を超えて、活発な交流がもたれます。
(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)

しかして・・今日、早めに切り上げ、15時前には皆、お帰りになられた直後の青空。台風は、この時点で、まだ紀伊半島付近。



次回は、8月14日(木)午前11時、ご奨励は八尾福音教会 曙チャペルの”弓場 彬人”(ゆみば・あきひと) 兄です。