あさひ福祉まつり (2023/10/22)
釜ヶ崎越冬闘争
ステージは以下 ↓
自分(徳井由美子)の出番は、2019年1月1日午後3:0~4:10 もちろん1人です!
また、越冬闘争全体のスケジュールは以下
「街歩き」ほか、できればお礼参り(4日)などに参加したいと思っている。
ステージは以下 ↓
自分(徳井由美子)の出番は、2019年1月1日午後3:0~4:10 もちろん1人です!
また、越冬闘争全体のスケジュールは以下
「街歩き」ほか、できればお礼参り(4日)などに参加したいと思っている。
8件、行きましたわよ・・ ゆりの礼拝堂のアヴェマリアコンサート(12/4)終わってから、10日(日)の第一博愛(西成区)を皮切りに、計8件、~22日(木)の守口市内の施設を最後にでしたから、そりゃ、キツかったです。
訪問・出張演奏は・・、形態はほぼ、アイリッシュ・ハープ(小型)とエレ・アコギターをもって(それに、マイク、アンプなどの機材一式)かついで&キャリーでゴロゴロ、の地下鉄移動、行き先は、近場は区内から、今回は、遠方といっては宝塚市、または大阪市内でも、地下鉄&バス乗り継ぎなど、・・で。まあ、1人で何もかも移動がイチバンの苦難、というところでしょうか。4連日、というのもあって、非常にくたびれました。20日(6日目)の宝塚などは、行きの阪急電車内では、荷物を片隅に置いて、気を遣うこともなく、完全にグタ~ッと、眠りこけてまして、目も開けられないほど。着いて支度している際にもシャキッとせず、どうなるんだろ・・と思いつつも、時間が始まると、シャキーン!とよみがえり、歌・演奏だけでなく、しゃべりも全開・1時間、終わって帰るときには元気、ということで、何なんだろう、と思いながら。対象は、施設で、高齢者、また障がい者(大人・子供)、その家族、また職員・・また、ある時には、町内会、地域活動協議会で閉校になった小学校跡へ、というような。内容は、クリスマスということで、ハープで讃美歌、またギターで童謡・唱歌、昭和歌謡にオリジナル曲!しゃべりは、最近、またこの1年間でいろいろ行ってきたところ、見てきたこと・感じたこと、・・また、クリスマスにちなんだ聖書の話(を少し)!。最後の22日は、知人を介しての紹介ということで、その方が車で来てくれて、大きい方のアイリッシュ・ハープを持参しました。その様子の写真を少し
今年も、最後まで怒涛なかんじでやってまいりました、
まだ、年末まで、2回の、自分的なライブが2タイプ、残っています。
(29日午後8:45~ PWGC(古楽)の30分演奏、 30日午後4:30~釜ヶ崎越冬闘争ステージ<西成区・三角公園>ソロ、30分ギター弾き語り)
来年もやっていきます!
訪問・出張演奏は・・、形態はほぼ、アイリッシュ・ハープ(小型)とエレ・アコギターをもって(それに、マイク、アンプなどの機材一式)かついで&キャリーでゴロゴロ、の地下鉄移動、行き先は、近場は区内から、今回は、遠方といっては宝塚市、または大阪市内でも、地下鉄&バス乗り継ぎなど、・・で。まあ、1人で何もかも移動がイチバンの苦難、というところでしょうか。4連日、というのもあって、非常にくたびれました。20日(6日目)の宝塚などは、行きの阪急電車内では、荷物を片隅に置いて、気を遣うこともなく、完全にグタ~ッと、眠りこけてまして、目も開けられないほど。着いて支度している際にもシャキッとせず、どうなるんだろ・・と思いつつも、時間が始まると、シャキーン!とよみがえり、歌・演奏だけでなく、しゃべりも全開・1時間、終わって帰るときには元気、ということで、何なんだろう、と思いながら。対象は、施設で、高齢者、また障がい者(大人・子供)、その家族、また職員・・また、ある時には、町内会、地域活動協議会で閉校になった小学校跡へ、というような。内容は、クリスマスということで、ハープで讃美歌、またギターで童謡・唱歌、昭和歌謡にオリジナル曲!しゃべりは、最近、またこの1年間でいろいろ行ってきたところ、見てきたこと・感じたこと、・・また、クリスマスにちなんだ聖書の話(を少し)!。最後の22日は、知人を介しての紹介ということで、その方が車で来てくれて、大きい方のアイリッシュ・ハープを持参しました。その様子の写真を少し
今年も、最後まで怒涛なかんじでやってまいりました、
まだ、年末まで、2回の、自分的なライブが2タイプ、残っています。
(29日午後8:45~ PWGC(古楽)の30分演奏、 30日午後4:30~釜ヶ崎越冬闘争ステージ<西成区・三角公園>ソロ、30分ギター弾き語り)
来年もやっていきます!
大阪市の社会福祉協議会に、音楽パフォーマンス・ボランティア登録しているせいで、市内各区の社協を通じて、市内全域の(主に)高齢者施設などから、訪問演奏の依頼がかかる。私は、過去はさておき、現在は1人の活動で登録しているので、呼ばれれば、たいていは応じている。
今回は、西成区の、今まではその区内でもさまざまなところから依頼がかかってその都度行ったが、比較的交通の便利なところが多かった、地下鉄の動物園前駅、天下茶屋駅、またJRの新今宮駅などから、徒歩圏内の。
ところで、今回は、電話口で、依頼をかけてきた施設の担当者が、すまなさそうに言う、「電車の最寄りが・・地下鉄が遠くて、一番の最寄りが、難解電車の”汐見橋(しおみばし)線”という路線で、1時間に2本しか、列車がないんです・・。ホーリー・ホーシーさん(私)のところからは、どうやって乗り継ぎされたらいいのか??わかりません」
すぐさま地図を見て、・・そうだなあ、地下鉄千日前線の桜川駅。そこから、徒歩で2~3分のような感じだ。その行き方にした。
当日、なんと荷物の多さを心配して、途中まで、出迎えに来てくれた、担当者の方。
いっしょに、桜川駅から地上を歩いて移動し・・、(途中、阪神電車なんば線の、新しい駅舎「桜川」駅を見ながら)
やがて、その、南海・汐見橋線の始点、「汐見橋駅」について、驚いた。すんごく年季が入って、ローカル的で、昭和的で、小さくて・・タイムスリップしたのかと、思った。こんな駅・路線あるなんて!ー。しかも、都会の・・ごくふつうの、大阪市のなかに、突如として、現れたという感じ。駅舎にも驚いたけど、改札の中に入って、線路と電車を見て、またびっくりした。すごいなぁ・・。時が止まったような。
始点・汐見橋駅
目的駅の1こ手前の木津川駅(停車中の車内から撮影) と、 目的駅の「津守(つもり)」駅
ここって、後からわかったけれど、・・あの、繁華街・なんばから1km圏内。
しかも、これも、当日あれこれfacebookに投稿したせいで、他の詳しい方から、たくさんコメントいただいて、わかったこと・・ここは、過去、南海・高野線の、始点だった駅。ということ。・・ 今は、始点を汐見橋、終点を岸里玉出として、完全に切り離された支線となった、汐見橋線。1985年に、立体交差事業が行われる前は、岸里玉出を経由して、南海高野線と乗り入れが出来ていたらしい。そんなことを知らなかった。・・ふう~~む、ためになった。西成区でも、ここは、(これも、今日の到着駅である、「津守」駅の1個手前に、「木津川」駅というのがあって、これにもなかなか驚いたんだけれど)木津川をはさんで、対岸・西側には、大正区が目の前。西成区の、西の方・・ということで、よい見聞ができた。
津守駅から数分のところの、高齢者グループホームで、PM12:30~敬老の演奏をさせてもらって、また帰りに、1人、津守駅のホームにて。
30分に1本しかないが、幸いにも数分で来てくれた。地元の人が乗りに来るかと思ったけれど、だれも来なかった。
駅構内に、まだ「高野線・時刻表」という表示があって、なぜだろう?とこの時にはわからず、不思議に思った。
先にも書いたように、この時、携帯から写真を投稿して、記事を見た人が、何人か、経緯を書き込んでくれたので、事情が次第にわかった。
だれもいない駅・・線路には、ペンペン草が生えている。
しかし、この路線を、2年前の秋に、1泊避難所体験として、西成区出城、というJR新今宮から南西の方向に徒歩可能の場所に、「大阪市社会福祉協議会」の研修センターがあって、宿泊したことがあり、・・そこで、”防災ハザードマップ”つくりの模擬体験のために、西へ皆で歩き、この線路(汐見橋線)をまたいでさらに西へ、木津川まで行きあたり、そこで、水門と、無料の渡し(船。市民の足。大正区⇔西成区、計4か所ある)を目撃したのを、思いだした。
2014年10月に写した、写真。やや小さい。 その水門と渡し。
この南海・汐見橋線をめぐって、いろいろな経緯があったこと、また今後は、あるかないかは知らないが、なにわ筋線(新大阪から梅田を経由して、この汐見橋まで、また難波まで、直通の列車を通し、関空へのアクセスをよく・・などと)の構想が消されてないことなど、この線のことだけでも、いろいろと大阪のことが見え隠れしてくるんだなあ、深いなあ、と勉強の必要をまた感じましたがな。(私はまだ神戸の人間だなあ)
あと、・・やっぱり、川のことね。山崎で3川合流する前の川の名前は、「桂川」「宇治川」「木曽川」で、また淀川本流が河口でも、「安治川」「尻無川」「木津川」となるとはね。
また水門など・・含む、治水。こうして地図を見るだけでも。・・大阪の西側の、とくに土地の低いこと。川の多いこと。災害に対しての危機管理、備えについても、素人目にも、すごく大事なことが、わかる。
ちょっと、呼ばれた訪問演奏から、また、大阪についての、着目点が増えた。
今回は、西成区の、今まではその区内でもさまざまなところから依頼がかかってその都度行ったが、比較的交通の便利なところが多かった、地下鉄の動物園前駅、天下茶屋駅、またJRの新今宮駅などから、徒歩圏内の。
ところで、今回は、電話口で、依頼をかけてきた施設の担当者が、すまなさそうに言う、「電車の最寄りが・・地下鉄が遠くて、一番の最寄りが、難解電車の”汐見橋(しおみばし)線”という路線で、1時間に2本しか、列車がないんです・・。ホーリー・ホーシーさん(私)のところからは、どうやって乗り継ぎされたらいいのか??わかりません」
すぐさま地図を見て、・・そうだなあ、地下鉄千日前線の桜川駅。そこから、徒歩で2~3分のような感じだ。その行き方にした。
当日、なんと荷物の多さを心配して、途中まで、出迎えに来てくれた、担当者の方。
いっしょに、桜川駅から地上を歩いて移動し・・、(途中、阪神電車なんば線の、新しい駅舎「桜川」駅を見ながら)
やがて、その、南海・汐見橋線の始点、「汐見橋駅」について、驚いた。すんごく年季が入って、ローカル的で、昭和的で、小さくて・・タイムスリップしたのかと、思った。こんな駅・路線あるなんて!ー。しかも、都会の・・ごくふつうの、大阪市のなかに、突如として、現れたという感じ。駅舎にも驚いたけど、改札の中に入って、線路と電車を見て、またびっくりした。すごいなぁ・・。時が止まったような。
始点・汐見橋駅
目的駅の1こ手前の木津川駅(停車中の車内から撮影) と、 目的駅の「津守(つもり)」駅
ここって、後からわかったけれど、・・あの、繁華街・なんばから1km圏内。
しかも、これも、当日あれこれfacebookに投稿したせいで、他の詳しい方から、たくさんコメントいただいて、わかったこと・・ここは、過去、南海・高野線の、始点だった駅。ということ。・・ 今は、始点を汐見橋、終点を岸里玉出として、完全に切り離された支線となった、汐見橋線。1985年に、立体交差事業が行われる前は、岸里玉出を経由して、南海高野線と乗り入れが出来ていたらしい。そんなことを知らなかった。・・ふう~~む、ためになった。西成区でも、ここは、(これも、今日の到着駅である、「津守」駅の1個手前に、「木津川」駅というのがあって、これにもなかなか驚いたんだけれど)木津川をはさんで、対岸・西側には、大正区が目の前。西成区の、西の方・・ということで、よい見聞ができた。
津守駅から数分のところの、高齢者グループホームで、PM12:30~敬老の演奏をさせてもらって、また帰りに、1人、津守駅のホームにて。
30分に1本しかないが、幸いにも数分で来てくれた。地元の人が乗りに来るかと思ったけれど、だれも来なかった。
駅構内に、まだ「高野線・時刻表」という表示があって、なぜだろう?とこの時にはわからず、不思議に思った。
先にも書いたように、この時、携帯から写真を投稿して、記事を見た人が、何人か、経緯を書き込んでくれたので、事情が次第にわかった。
だれもいない駅・・線路には、ペンペン草が生えている。
しかし、この路線を、2年前の秋に、1泊避難所体験として、西成区出城、というJR新今宮から南西の方向に徒歩可能の場所に、「大阪市社会福祉協議会」の研修センターがあって、宿泊したことがあり、・・そこで、”防災ハザードマップ”つくりの模擬体験のために、西へ皆で歩き、この線路(汐見橋線)をまたいでさらに西へ、木津川まで行きあたり、そこで、水門と、無料の渡し(船。市民の足。大正区⇔西成区、計4か所ある)を目撃したのを、思いだした。
2014年10月に写した、写真。やや小さい。 その水門と渡し。
この南海・汐見橋線をめぐって、いろいろな経緯があったこと、また今後は、あるかないかは知らないが、なにわ筋線(新大阪から梅田を経由して、この汐見橋まで、また難波まで、直通の列車を通し、関空へのアクセスをよく・・などと)の構想が消されてないことなど、この線のことだけでも、いろいろと大阪のことが見え隠れしてくるんだなあ、深いなあ、と勉強の必要をまた感じましたがな。(私はまだ神戸の人間だなあ)
あと、・・やっぱり、川のことね。山崎で3川合流する前の川の名前は、「桂川」「宇治川」「木曽川」で、また淀川本流が河口でも、「安治川」「尻無川」「木津川」となるとはね。
また水門など・・含む、治水。こうして地図を見るだけでも。・・大阪の西側の、とくに土地の低いこと。川の多いこと。災害に対しての危機管理、備えについても、素人目にも、すごく大事なことが、わかる。
ちょっと、呼ばれた訪問演奏から、また、大阪についての、着目点が増えた。
9月23日、朝7時30分~9時半すぎてもまだ続いていた、シェラトン・ホテルでの「国家朝餐祈祷会」から1人、移動して、釜ヶ崎は、西成会館で、伝道を続けている、K井氏(女性牧師)らと現地合流し、「賛美(ハープ)と証」で、参加した。終わってからは炊き出しも、K井氏の持ち出しにより、ふるまわれた。
労働者の方々で、公園での炊き出しの列とまた違い、この西成会館の2Fまでご自身の意志で上がってきて、礼拝に参加してくださる数十名の方たちの前で、今日、私が自主的に、ハープ・鍵盤での讃美歌の前に、入れた、私の証(経験の話)、以下。
『みなさん、こんにちわ。今夏、私は、ホーリー・ホーシーとして、”釜ヶ崎夏まつり”の参加公園のステージに参加することができませんでした。広島の原水爆禁止大会の方で活動をしたので、両方は無理と思ったからです。また、越冬闘争や夏に来て、歌を歌いたいと思います。また、私はこれまで、ここの他に、炊き出しのお手伝いに来ていたりするのは、私も生活が大変貧しく、1日¥100という食費で暮らしたりすることの苦しさを知っているので、それで、今もそのことを忘れないように、ここへ来るのです。
ところで、ここへみなさんが来るのは、神のことを学んだり、また礼拝したりするために来ているのですが、以前は私も、神の事を知らずにいました。しかし、ずっと神がいるのかいないのかわからず、青年期になるにつれ、不安に感じ、人間が信頼できず、他人も嫌いで、自分のことも嫌いで、自分との折り合いがつけられず、やがてだんだん死にたいとばかり思うようになりました。
そんなことが20代のころに何年も続き、あるころ、仕事のないときにアルバイトとして滞在した上高地で、・・とうとう神様が見かねたのか、私は実際に、神様に出会う、その存在を確かにわかる、という経験をしたのです。
それは、五感で、姿を見る、声を聞く、という体験の仕方ではありません。聖書(ヨハネ福音書4章)に「神は霊である」とあるように、神は霊の存在であるから、私たちがそれを知り得るときには、同じく霊、つまり魂で、知るよりほかないのです。普段は、その魂が準備されていないと、神の存在を知ることはできません。私がその時知ることができたのは、神が、その備えをしてくれたので、知ることができたのです。神がいることを証明してみよ、と言われても、言葉で説明できないのは、自分の魂(霊)でもってでしか、霊たる神を知ることができないからなのです。
その後で、教会へ行き、また聖書を手にとるようになりました。今日はもう時間が少ないので、一番核心の部分だけ触れたいと思いますが、この聖書を読んで、私が最も驚き・喜んだ部分は、「キリストがまた来る(再臨)」ということです。この聖書の最後の部分に、預言書(これから起こることが書いてある)の、”ヨハネの黙示録”がありますが、この1章7節には、「見よ、彼は雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに彼を刺し通した者たちは、彼を仰ぎ見るであろう」。
この意味は、”(私たち人類の罪を背負って身代わりに)十字架でなくなったキリスト”が、その後どうなったか、知っている人がわりと少ない(世間)のですが、よみがえり、今は、天におられ、そこで今も私たちを見守っておられます。が、これだけでなくて、その時が来ればやがてもう1度この世に来られ、そして私たちを迎えに来られて、そこで私たちは永遠に神とともに生きることになる、という約束のことです。
そのことを知ってから、私は非常な幸いを覚えて、不安がなくなり、生きる力がでてきて、それからは死にたいと思うことは、なくなりました。』
というふうに、端折ってはしょって話しましたけれど。・・以前のA香山病院の精神科女性入院患者さん達の前で、証させてもらった時もそうでしたが、なんだろう、できるだけ、相手の立場・心情に寄り添った(つもり)気持ちで、なるべく一方的にならず、心から伝わるように、話をしたつもりです。自分にとってはつたない証ですが、相手の人々に何か、届いただろうか?。自分にはよくわかりませんが。伝えたいことは、伝えたいときに、伝えたい!(相手が迷惑しない範囲で。)
労働者の方々で、公園での炊き出しの列とまた違い、この西成会館の2Fまでご自身の意志で上がってきて、礼拝に参加してくださる数十名の方たちの前で、今日、私が自主的に、ハープ・鍵盤での讃美歌の前に、入れた、私の証(経験の話)、以下。
『みなさん、こんにちわ。今夏、私は、ホーリー・ホーシーとして、”釜ヶ崎夏まつり”の参加公園のステージに参加することができませんでした。広島の原水爆禁止大会の方で活動をしたので、両方は無理と思ったからです。また、越冬闘争や夏に来て、歌を歌いたいと思います。また、私はこれまで、ここの他に、炊き出しのお手伝いに来ていたりするのは、私も生活が大変貧しく、1日¥100という食費で暮らしたりすることの苦しさを知っているので、それで、今もそのことを忘れないように、ここへ来るのです。
ところで、ここへみなさんが来るのは、神のことを学んだり、また礼拝したりするために来ているのですが、以前は私も、神の事を知らずにいました。しかし、ずっと神がいるのかいないのかわからず、青年期になるにつれ、不安に感じ、人間が信頼できず、他人も嫌いで、自分のことも嫌いで、自分との折り合いがつけられず、やがてだんだん死にたいとばかり思うようになりました。
そんなことが20代のころに何年も続き、あるころ、仕事のないときにアルバイトとして滞在した上高地で、・・とうとう神様が見かねたのか、私は実際に、神様に出会う、その存在を確かにわかる、という経験をしたのです。
それは、五感で、姿を見る、声を聞く、という体験の仕方ではありません。聖書(ヨハネ福音書4章)に「神は霊である」とあるように、神は霊の存在であるから、私たちがそれを知り得るときには、同じく霊、つまり魂で、知るよりほかないのです。普段は、その魂が準備されていないと、神の存在を知ることはできません。私がその時知ることができたのは、神が、その備えをしてくれたので、知ることができたのです。神がいることを証明してみよ、と言われても、言葉で説明できないのは、自分の魂(霊)でもってでしか、霊たる神を知ることができないからなのです。
その後で、教会へ行き、また聖書を手にとるようになりました。今日はもう時間が少ないので、一番核心の部分だけ触れたいと思いますが、この聖書を読んで、私が最も驚き・喜んだ部分は、「キリストがまた来る(再臨)」ということです。この聖書の最後の部分に、預言書(これから起こることが書いてある)の、”ヨハネの黙示録”がありますが、この1章7節には、「見よ、彼は雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに彼を刺し通した者たちは、彼を仰ぎ見るであろう」。
この意味は、”(私たち人類の罪を背負って身代わりに)十字架でなくなったキリスト”が、その後どうなったか、知っている人がわりと少ない(世間)のですが、よみがえり、今は、天におられ、そこで今も私たちを見守っておられます。が、これだけでなくて、その時が来ればやがてもう1度この世に来られ、そして私たちを迎えに来られて、そこで私たちは永遠に神とともに生きることになる、という約束のことです。
そのことを知ってから、私は非常な幸いを覚えて、不安がなくなり、生きる力がでてきて、それからは死にたいと思うことは、なくなりました。』
というふうに、端折ってはしょって話しましたけれど。・・以前のA香山病院の精神科女性入院患者さん達の前で、証させてもらった時もそうでしたが、なんだろう、できるだけ、相手の立場・心情に寄り添った(つもり)気持ちで、なるべく一方的にならず、心から伝わるように、話をしたつもりです。自分にとってはつたない証ですが、相手の人々に何か、届いただろうか?。自分にはよくわかりませんが。伝えたいことは、伝えたいときに、伝えたい!(相手が迷惑しない範囲で。)