徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

『兵戈無用(ひょうがむよう)』・・地元の浄土真宗(本願寺派)のお寺に戦争体験伝承の話を聞きに

2016-09-13 20:13:58 | 政治・社会問題
『兵戈無用(ひょうがむよう)』・・の言葉が刻まれた、石碑を、門前に置く、「法栄寺」は、浄土真宗本願寺(西本願寺)派で、この付近、地元・旭区高殿4にあります。
本日は、住職(引退、1946年=終戦1年後に誕生)の、同じく住職だったお父上が、1945年6月7日の第3回大阪大空襲(この付近が被災)の折に経験された出来事を話してくれる時間があったので、旭区平和の会から行ってまいりました。すごく近所ですので、地元の戦争体験談を今のうちに多く聞いておきたいので。

 

ご住職は、(講話の前の雑談ですでにわかったのですが)私も最近少しずつかかわっている、「大阪宗教者9条ネットワーク」にも関わっているので、私との間に共通の知人もいたり、宗教は違うが、同じ思いで宗教者からの立場として、過去の戦争を伝え、反省し、繰り返さない事を心に刻んで、あちこちで話・活動をしている、ということを話してくれた。
 

冒頭の『兵戈無用』は、「武力も武器も用いる必要が無い」という意味の浄土真宗の教えに出てくる言葉だそうで、碑としまして、その中には、住職の父が、6/7に空襲でなくなった人の身元を2日かけて出来る限り調べて名前・住所などを書いた約200数十名の名簿が収められているそうです、私も最近広島に行き、原爆死没者慰霊碑の中に、今年あらたに5000余名の名簿が加えられて、計30万人余になった名簿が収められていることを思い起こしました。
また、同じく、仏教の「兵戈無用」から、聖書ではイザヤ書(旧約聖書)の、「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない(2章4節抜粋)」が連想されました。この文字が刻まれた石碑が、ニューヨークの国連前(公園)に、おかれています。住職は、ちょうど、その国連前に、広島で被爆した”親鸞上人の像”がある、ということを話していました。



また、今年、原爆ドームの斜め前(すぐ前)に、1つのお寺があって、そこは被爆当時から存在したお寺で、たたずまいは変わっていますが、再建して続ける、というのは人間のたくましさを感じます、と話すと、そこも同じ宗派(浄土真宗本願寺派)です、ということ(調べると、西向寺(さいこうじ))でした。・・

私は先週金曜日の旭区平和の会の例会でのスピーチの中で、宗教者としての連携(宗教者9条の会など)があって、そこでは、過去の戦争に反対できず、加担までしてしまった話を、だいたいどの宗教の宗派も教派も悔いている、ということも話したんですが、この住職の今日の話も、主にそこを強調されており、まず過去の反省、そして、二度と繰り返さないために忘れず、伝承、努力、という事に力を入れて話されていました。

 

いろいろ質疑も入れたんですが、私からは宗教者の観点で、しかも宗教が違うというところからの興味で尋ねることが多く、例えば、「教会などではそうなのですが、御宗派の門徒さんの中でも、さまざまな政治思想がおありでしょうが、たとえば憲法改正(悪)に関してもそうでしょうか」と尋ねますと、等しく、やはり同じ宗教・お寺の中にでも、右から左、また無関心層まで幅広いです。ということでした。

最後に、私から、「住職はドイツの牧師でナチスの収容所に捉えられていた、マルティン・ニーメラーのあの詩をご存知でしょうか」の問いに、「知っております」との答えでした。

ごく近いところに、別の宗教者の方で思いを同じくする人がいて、知り合いになれたという気持ちです。

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