徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

「原発と日本」(映画)から考える・・

2015-05-31 21:05:52 | 政治・社会問題

 原子力ムラ(村)、という存在は聞いていたが、どこか遠く・・ごく一部に近い、まあ想像するに、多くて日本の1~2割程度の産業・人口などに、関わりのあるものだろう、とこれまた勝手にイメージしていた。が・・

 


 ど~して、どうして、・・今日の映画「日本と原発」の中で得た知識で、もっとも衝撃的だった事実が、日本の原子力ムラというモノに属するのは・・、電気会社の周辺に、ゼネコン、重工業、経済産業省、官僚、経団連、銀行、メディア、御用学者(大学・病院)、ほか・・あれこれと、ざっと産業全体の6割にのぼるらしいではないか。それを、それ以外の4割が ”電気料金と税金” でもって、支える仕組みになっているのが、日本の経済の実態だったのか。ハア・・道理で、庶民は働く以上に搾取されている(むさぼり取られている)気分になるのは当然なことであるし、また・・”原発反対”というと、なぜか、ふつうの人であっても、そこはムキになって、”経済のためには、原発必要” 言ってみたり、また果ては、反対する人を ”サヨク(左翼)呼ばわり” したりまで、する・・その理由が。なんとなく国民全体の意識が、一丸となって危険な”原発不要”論にまで展開しにくいわけが、わかった。全体の6割が、なんらかの形で、原子力ムラ社会の体制に、恩恵を受けている。これが実態。


 しかし、・・なにせ、大飯原発での判決にもあったように、”原発は、いったん事故が起こったときの環境汚染はすさまじ”く、また今日の映画の中では、”原子力は、種の存続を脅かす”つまり人間という種を絶滅させる可能性をはらむ存在であるから、これを失敗をくりかえしながら、発展させるべき科学技術である、とするのははななだ愚かしいことである、と。

  


 福島第一原発では、過酷事故でありながら、いくつかの好条件があって、ぎりぎりのところで、1~4号機すべての原子炉を放置して作業員が全員退避せざるを得ない状況を免れた、という幸運があったことを、忘れてはいけないのだが・・もしそれらの幸運がなければ、ほんとうに、国の半分が住めない場所となり、経済どころか日本全体が大変なとりかえしのつかないことになっていたのを、なぜ教訓にできないのか。あまりに目先のことにとらわれすぎていないか。
 あの時の幸運を今こそ生かすべき、考えて選択する岐路に立っている、日本。今、特に地震や火山の噴火も多い。原発がなくなっても、おそらく、いや日本はそれ以上によくやっていける。だが、原発がこの先また事故を起こしたときには、日本はほんとうに終わってしまうかもしれない。


ある方と再会(中之島公会堂の映画で)

2015-05-31 21:03:48 | 政治・社会問題

箕面の、高級な住宅街の不自由ない生活の、ご婦人だと勝手に想像してた・・


その方と知り合ったのは、こういう分野とまったく関係のない、優雅なアイリッシュ・ハープやフルートの交流演奏会、というようなシチュエーションで、それは今から3年ほど前になるでしょうか。そこで知り合った、内田富美子さん(現72歳)とは、アイリッシュ・ハープをこちら側からお貸ししたり、また、あちらの所有だった、中国箏(長さ160cmほども)を譲り受けたり、たったそれだけの事があった間柄で、3度ほど会ったあとは、お別れして、次に会う事はなかなか、ないのだろうな、ということを思っていた。
けれど、3年ほどして、今年の3月に 場違いなところで再会したのが、・・扇町公園での、3.8原発反対行動の会場だった。あまりに場面が違いすぎるので、声をかけられても、最初はとっさに判らなかった。顔をみて、しばらくしてから気づいたのですが、ものの数分話して、すぐに別れた。


今日、中之島公会堂で、映画「日本と原発」、上映3分前に、・・入場してただ1人、着席したところの私に、またこの内田さんが、声をかけてくださった。「(人を)まちがってたら、ごめんなさい、だけど徳井さんよね?」あ・・また、内田さんだ。内田さんは、音楽でだけごいっしょする人、優雅な暮らしの人、というイメージが、勝手乍らあった。2度目にこういった場面で再会した私が、口に出たのは、「私、こういう場所来てるけれど、実際はどの団体にも組織にも所属してなくて、1人で考えて、いつも自由に来てるんです」・・内田さん「私も、私もよ」と言って、”いわき市に行った際の、ご自分の活動の事” が載った新聞記事のコピーをくれた。・・映画が始まる時間になったので、互いの席に離れて座ってから、すばやく、記事の内容を見た。キルト作家だったことも知らず、また、福島に行って、こんな事をされるような方だとも、この日まで知らなかった。でも、1人で思うように動いている、こんな人が周囲に居て、たまたまでも再会できる事をうれしく思った。