徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

西成会館(釜ヶ崎)で、証と讃美

2016-09-23 18:37:42 | 音楽ボランティア
9月23日、朝7時30分~9時半すぎてもまだ続いていた、シェラトン・ホテルでの「国家朝餐祈祷会」から1人、移動して、釜ヶ崎は、西成会館で、伝道を続けている、K井氏(女性牧師)らと現地合流し、「賛美(ハープ)と証」で、参加した。終わってからは炊き出しも、K井氏の持ち出しにより、ふるまわれた。

労働者の方々で、公園での炊き出しの列とまた違い、この西成会館の2Fまでご自身の意志で上がってきて、礼拝に参加してくださる数十名の方たちの前で、今日、私が自主的に、ハープ・鍵盤での讃美歌の前に、入れた、私の証(経験の話)、以下。

『みなさん、こんにちわ。今夏、私は、ホーリー・ホーシーとして、”釜ヶ崎夏まつり”の参加公園のステージに参加することができませんでした。広島の原水爆禁止大会の方で活動をしたので、両方は無理と思ったからです。また、越冬闘争や夏に来て、歌を歌いたいと思います。また、私はこれまで、ここの他に、炊き出しのお手伝いに来ていたりするのは、私も生活が大変貧しく、1日¥100という食費で暮らしたりすることの苦しさを知っているので、それで、今もそのことを忘れないように、ここへ来るのです。

ところで、ここへみなさんが来るのは、神のことを学んだり、また礼拝したりするために来ているのですが、以前は私も、神の事を知らずにいました。しかし、ずっと神がいるのかいないのかわからず、青年期になるにつれ、不安に感じ、人間が信頼できず、他人も嫌いで、自分のことも嫌いで、自分との折り合いがつけられず、やがてだんだん死にたいとばかり思うようになりました。

そんなことが20代のころに何年も続き、あるころ、仕事のないときにアルバイトとして滞在した上高地で、・・とうとう神様が見かねたのか、私は実際に、神様に出会う、その存在を確かにわかる、という経験をしたのです。

それは、五感で、姿を見る、声を聞く、という体験の仕方ではありません。聖書(ヨハネ福音書4章)に「神は霊である」とあるように、神は霊の存在であるから、私たちがそれを知り得るときには、同じく霊、つまり魂で、知るよりほかないのです。普段は、その魂が準備されていないと、神の存在を知ることはできません。私がその時知ることができたのは、神が、その備えをしてくれたので、知ることができたのです。神がいることを証明してみよ、と言われても、言葉で説明できないのは、自分の魂(霊)でもってでしか、霊たる神を知ることができないからなのです。

その後で、教会へ行き、また聖書を手にとるようになりました。今日はもう時間が少ないので、一番核心の部分だけ触れたいと思いますが、この聖書を読んで、私が最も驚き・喜んだ部分は、「キリストがまた来る(再臨)」ということです。この聖書の最後の部分に、預言書(これから起こることが書いてある)の、”ヨハネの黙示録”がありますが、この1章7節には、「見よ、彼は雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに彼を刺し通した者たちは、彼を仰ぎ見るであろう」。

この意味は、”(私たち人類の罪を背負って身代わりに)十字架でなくなったキリスト”が、その後どうなったか、知っている人がわりと少ない(世間)のですが、よみがえり、今は、天におられ、そこで今も私たちを見守っておられます。が、これだけでなくて、その時が来ればやがてもう1度この世に来られ、そして私たちを迎えに来られて、そこで私たちは永遠に神とともに生きることになる、という約束のことです。

そのことを知ってから、私は非常な幸いを覚えて、不安がなくなり、生きる力がでてきて、それからは死にたいと思うことは、なくなりました。』

というふうに、端折ってはしょって話しましたけれど。・・以前のA香山病院の精神科女性入院患者さん達の前で、証させてもらった時もそうでしたが、なんだろう、できるだけ、相手の立場・心情に寄り添った(つもり)気持ちで、なるべく一方的にならず、心から伝わるように、話をしたつもりです。自分にとってはつたない証ですが、相手の人々に何か、届いただろうか?。自分にはよくわかりませんが。伝えたいことは、伝えたいときに、伝えたい!(相手が迷惑しない範囲で。)


  

 



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