リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

平木収さんのこと

2023年05月21日 | 懐かしむ

大学時代にサークルのたまり場になっていた喫茶店「茶房早稲田文庫」(先輩の『春秋堂日録』ブログにリンク)では同じ大学の先輩たちがカウンターでオーダーに対応していて公私ともにお世話になっていました。

いま吉祥寺の「茶房武蔵野文庫」オーナーである日下さんは、このお店の跡継ぎのようなものです。大学最寄りのその喫茶店が閉店してからも40年ちかく経ってしまいました。

日下先輩と交代でカウンターに入っていたのが平木収さんです。自分たちより2,3年上だと思いましたが、当時はどんな方かも知らずお店で時折無駄話をする程度の関係でした。

平木収さんの経歴についてはWikipediaに載っていましたので、ここにリンクを貼っておきます

卒業して一年も経たないころ、サークルの先輩や同輩、その友人たちに誘われて奈良と京都に遊んだことがありました。今から思えばその時のメンバーで自分以外はみんな美術史の大学院生かそうなる予定の人たちだったんですね。
どうりで、その時の記録を繙くと、奈良博(正倉院展)、法隆寺上御堂、夢殿救世観音。翌日の京都は藤井有鄰館、鹿ケ谷の泉屋博古館、真如堂、黒谷(金戒光明寺)など、なかなかシブいチョイスでしたね。

その中に平木さんもいて、一泊目は京都競馬場のそばにある彼の実家にみんなで泊めてもらいました。平木さんのお父上が篆刻をやっておられ、初めて接するものに興味を惹かれました。その頃、平木さんと写真が自分の中で結び付いていたかは記憶にありません。

それからの十数年はときおり風の便りを聞く程度でしたが、あるとき丸の内の某カメラメーカーにてばったりお会いすることになります。
その頃には平木さんが写真関係の美術館などでご活躍されているのを知っていましたが、自分が営業に異動して毎日のようにお邪魔する得意先の受付でお会いできるとは・・・。若い頃と同じように頻繁にまばたきされる癖と多少白髪が交じるものの相変わらずのおかっぱ頭に、懐かしい再会でした(自分もヒゲなど生やしていましたが)。

平木さんが50代の若さで亡くなったのを知ったのはだいぶん時間が経ってからだったと思います。ご冥福をお祈りするにも少し遅すぎるなと我ながら情けなくなりました。それほど頻繁なつきあいではありませんでしたが、今こうして勝手に懐かしむのを許していただけるとは思います。

写真は茶房が店を閉めた後にいただいた平木さん撮影と聞いている絵葉書です。










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平木収追悼文集 (加藤春秋)
2023-05-27 08:41:13
平木君の一周忌に出版された「追悼文集」に寄稿した文です。

平木収君
 平木君にはじめて会ったのは、茶房早稲田文庫でした。いつものように茶房へ行くと、店長の日下さんといっしょにいかにもみすぼらしい格好でカウンターの中で仕事をしている人がいました。日下さんが新人だと紹介すると、実は二文の学生で美術の専攻に行きたいのですが、と私に相談を持ちかけてきたのが最初だったとおもいます。あとで、私と同様に茶房の常連だった齋藤君がじつは平木君の高校の後輩だったことがわかり、大学では先輩で、高校では後輩になるといったことから、打ち解けていきました。平木君は茶房には1年位しかアルバイトはしていなかったと記憶していますが、持ち前の人づきあいのよさから、やめたあとも茶房にかかわりをもって、オーナーの富安さんや我々常連と話をしたり、飲みにいったりしていました。
 ある時、私が仏像の調査をしたとき撮った写真の焼付を平木君に頼みました。写真は6×9のネガだったので、写真部の引伸機を使わしてもらい、100枚程度を手慣れた仕草で、焼き付けしてもらいました。乾燥ドラムが美術史研究室にあったので、それを使いに研究室にいくと、バッタリと佐々木剛三先生に出会ったのです。先生は平木君を学部の授業で知っていたらしく、「なんだ君は写真をやるのか」とおっしゃったのです。その後、先生はいろいろ写真のことで、平木君にたのみごとや、相談をしていたようです。
 そのうちに、平木・齋藤の先輩後輩は、既定の学年を過ぎ、両君を心配した先生は、二人を図書館の特別資料室に送り込みました。そこで、和本の修復の技法も身につけていきました。その後、先生の紹介で出版社や博物館で仕事をしていたようです。
 10年程前、私の先輩の葬儀の時に久し振りに会いました。その時、昼食をともにしながら、今やっていることこれからのことなどを、二人で話しました。その当時は、大学の非常勤講師や、雑誌にコラムなどを書いていましたが、もうそろそろ落ち着いたらどうだ、と私が言うと何となくうなづいているようでした。さらに、体系的な写真史の本を書いたらどうだとけしかけると、まんざらでもなさそうでした。それから、風のたよりに平木君が九州産業大学に就職したのを知りました。やっと落ち着いて研究にとりくんでくれると思っていました。
 
加藤 春秋(正治)(かとう しゅんじゅう(しょうじ))1948年生まれ。春秋堂文庫・加藤硝子(株)
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