高齢でも元気だった叔母の突然の訃報で、コロナ禍のなかではありますが、ひとり午後の新幹線でふるさとへ向かいました。
新しい広島空港ができてからは飛行機とレンタカーでの往来が多くなっていましたが、青雲の志(?)を抱いて1971年に上京して以来、何度となく往復した新幹線沿線の風景はとても馴染みがあります。
とりわけ山陽新幹線に入って、姫路から相生、備前焼の伊部(いんべ)や刀剣の長船(おさふね)あたりを過ぎると、何処とは言えませんがこの地方独特の姿のいらかが立ち並び、懐かしみを込めた何とも言い難い感慨が湧いてきます。
岡山も過ぎて、降り支度をはじめる頃には山のかたちや見知った建物の一つひとつにも心を震わせるものが潜んでいるように感じます。
こんなとき思い出すのは中原中也の詩の一節――
これが私の故里だ
さやかに風も吹いている
心置きなく泣かれよと
年増婦の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
詩集「山羊の歌」から『帰郷』(一部)
新しい広島空港ができてからは飛行機とレンタカーでの往来が多くなっていましたが、青雲の志(?)を抱いて1971年に上京して以来、何度となく往復した新幹線沿線の風景はとても馴染みがあります。
とりわけ山陽新幹線に入って、姫路から相生、備前焼の伊部(いんべ)や刀剣の長船(おさふね)あたりを過ぎると、何処とは言えませんがこの地方独特の姿のいらかが立ち並び、懐かしみを込めた何とも言い難い感慨が湧いてきます。
岡山も過ぎて、降り支度をはじめる頃には山のかたちや見知った建物の一つひとつにも心を震わせるものが潜んでいるように感じます。
こんなとき思い出すのは中原中也の詩の一節――
これが私の故里だ
さやかに風も吹いている
心置きなく泣かれよと
年増婦の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
詩集「山羊の歌」から『帰郷』(一部)