Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

富士見二丁目交響楽団シリーズ

2007-01-07 22:40:42 | 本を読んだ
ちょっと前までは、CDショップのクラシックコーナーは、スケート用のインストゥルメンタル曲一色だったんだけど(トリノオリンピックの後。「トゥーランドット」とか)、最近は、『のだめカンタービレ』一色。ドラマ化も好評のようで、広範な人気を博していて、サラリーマン向けの雑誌に「クラシックトリビア」なんかが特集されているのをみると、ちょっとびっくりしますね。どうもおじさん人気も高い模様。

なんですが、同じクラシックでも、学生に推薦されて、秋月こおの富士見二丁目交響楽団シリーズ(全30巻くらい?)を読んでみました。15年近くにわたるシリーズで後半はだらけて面白くないなどという感想もあったのですが、一気に読んでしまえば、むしろ後半の音楽論(?)的なところのほうがわたしには興味深く、BL風味のクラシック音楽小説、といった趣でした。

しかし。この懐かしい感じは何だろう…と思えば、今は無き(?)少女漫画の世界の小説版、なのだなぁと、しみじみと思いました(連載開始が1992年だとしても)。

ハンサムで、長身で、資産家の息子で、オペラ歌手かと思われるようなバリトンの美声の持ち主の天才指揮者桐ノ院圭という完全無欠のヒーロー役の設定自体が、なんだか懐かしい少女漫画。それに対してヒロイン(っつーか「受け」)の守村悠季は、新潟の農家の跡継ぎ(!)を振り切って東京に出てきた無名のバイオリニスト。身長は175はあるけれど、ひょろっとしていて、「ドンくさい眼鏡君」で、眼鏡を取ったら(替えたら)ハンサムって、70年代の少女漫画かぁと身悶えしてしまいました(いや、本当に面白かったんですよ)。

桐ノ院圭は、川べりを散歩していて、暗闇の中でバイオリンの練習をしていた悠季の音色を聞いて、「僕のバイオリンを見つけた!」と運命を感じます。これは、アレですね。真っ暗なスタジオのなかの練習で、周囲にみそっかすだといわれていたノンナの才能をひと目で見破ったミロノフ先生!っていう、『アラベスク』(山岸涼子)の世界ですね。

せっかくヒーローに見抜いてもらった才能なのに、ヒロインの悠季はウジウジしていて、付き合うようになっても、「どうせ僕なんか、才能も無いのに、釣り合わない。捨てられてもいいから、せめて傍にいさせて」とかなんとか、グジグジ悩む、「ドジでダメなわたし症候群」全開です。「君のすべてが好きなんだ。君には才能があるんだよ」というヒーローの力を借りて、どんどん成長していくヒロイン。古典的少女漫画の王道ですね。

しかし。ここでBLである必然性があるのは、ミロノフ先生は「ノンナに(表現の)女性性を教えることはできない」(←これを読んだときは、流石にちょっとなぁと思った記憶が)とかいって突き放したり指導したり、つねにメンターとして振る舞うのに対して、男同士であるがゆえに、「君はいつも僕のガーディアンでなくてもいいんだよ」と悠季は桐ノ院にいい渡します。まぁいってみれば、対等な二人のビルデゥングスロマンが成立していくところが、ミソ、なんでしょうね。

当初は「僕はホモじゃない。変態。社会の敵」と強いホモフォビアをみせる悠季なんですが、突き詰めてみると、彼の戸惑いはホモフォビアというよりも、自分がフェミナイズされることへの恐怖、のように見受けられる気がする。自分の肉体が欲望を覚えるたびに、「汚らしいオカマ」になってしまったとか、「自分の中の牝が」といったように自分を捉えるのは、ホモフォビアであるよりも強いミソジニーのほうを感じる(こういった前半に出てくる差別表現は、後半で世間のホモセクシュアルに対する抑圧にけなげに耐える二人の愛というかたちで、複線にならなくもないんだけど、差別表現であると自覚しているのだったら、もう少し補足してもいいような気もする。まぁ90年代前半だから仕方ないんだけど)。

悠季が内なるホモフォビアと闘うときにも、桐ノ院の男らしい身体は美しくて大丈夫なのだけれど、自分の貧相な身体、欲望を汚らしいと思う、っていうのは、ホモフォビアとミソジニーがそのようなかたちで結びついていることのしょうざなのかも知れないけれど…。

ふたりは「結婚」したり、悠希は甲斐甲斐しく食事の支度をしたり、まぁ生活感溢れる生活を楽しむのですが(これは結婚に夢をもっている女の子へアピールするBLなのかなぁ? せっかくのBLなんだから、外食でもして、あんまり生活臭ないほうが楽しいんじゃないかと、わたしなんかは思ってしまうのですが)、やはりなぞられているのは男女の排他的なラブラブの結婚生活です。悠季を慕う男の子空也ちゃんに、食事の支度をしてくれるから「マミー」と呼ばれたりして(『ツーリングエクスプレス』でシャルルが「ムッター(ドイツ語でお母さん)」と呼ばれていたのを彷彿とさせますが)、ゲイでありながらも擬似的な「家族」(いってみれば、二人が大切にする交響楽団もアットホームな擬似家族的関係です)を作り上げていく。

何はともあれ、面白かったです。何よりも、「真剣に愛し合う二人の純愛」が、傍目にはコメディの域にまで昇華されていることが、物語に軽やかさをもたらしています。とくに真面目な桐ノ院のメロメロぶりが、笑える、笑える。本人たちは苦しんで咽び泣いてるのに、悪いなぁと思いつつ、本人の苦悩が他人の娯楽、という不条理さが結構胸を打ちます。とくに有名な最初の強姦シーンで、なぜか大音量でワーグナーを掛けるあたりは、切羽詰った桐ノ院と苦しんでいる(快楽に喘いでいる?)悠季には悪いなぁと思いながらも、ここまで笑わせてもらったラブシーンは初めてでした。

まぁロマンティックラブイデオロギーに忠実なBL小説なんですが、そういえば少女漫画の『のだめカンタービレ』では、ロマンティックラブイデオロギーは、結構とっくに死んでますね。追い掛け回していた先輩がせっかく自分からキスしてくれたクライマックスシーンで、ピアノに思い悩むのだめは「今それどころじゃないんでちゅよー!!!」と絶叫して怒る、あたりは爆笑でした。そこまでは面白かったんだけど、最近は、ちょっとだれてるなぁと残念。