今はツアーもなく、少しゆっくりしてるので、この前、先輩ファンさんにお借りした雑誌の記事をふと読みました。
これは何かの雑誌のインタビューだと思うのですが、35歳のときのものです。
この頃、シングルが売れなくなり、少々焦りぎみかな、とも思える発言もあります。
↓
もう沢田研二という商標だけじゃ通用しないんですよ。ファンとは別の浮動票をまきこまないとヒット曲は生まれない。とはいうものの、いまは何が売れるかわからん時代やというのが実感です。
この頃、出したのが、渡り鳥はぐれ鳥。
その前の晴れのちブルーボーイは好みで押し通したら全然売れず、わかりやすい歌として出したどん底もだめ。
こんどはタイトルも歌詞も演歌みたいだし今までにない曲でもある。
一等賞の沢田研二は、売れてたから口にできたけど、今や気分は一等賞じゃだめ。あくまでも結果がともなわないと。
結局、この世界はコケるか、どっちつかずか、売れるかのどれか。
売れる状態ってのは、不特定多数の人が自分の方に向いてるという異常な状態。売れてるときは無我夢中で、なんで売れてるのかもわからない。
売れなくなると、マネージメントとか制作の裏の仕組みとか、わかってきて、敏感にもなる。
映画やったり、大河ドラマに出たり、いろんなことやりますね、と言われるけど、
わしゃこれしかやらんというのはきらい。コントでバカやるのもプラスマイナス0。何をやっても自分を見失うことはないから。カッコ悪いとこも見せとかんと、かっこいいとこが目立たへんしね。
スターは、遠い存在でなきゃだめ。生き方自体を演出して、ひとりでいるとき以外は演技しなきゃなんない。
同級生なんかもうおっさんですよ。ぼくはこういう商売やから、ふつうの神経がパーになってて、40になってもこのままやろうと思うけどね。売れないことがあたりまえになってくると、急におっさんになるかもしれない。
タイガースで売れ、ソロになって売れ、今も売れる。そのトリプルを達成できたら、沢田研二はすごい歌手やと思う。
ちゃんとトリプル達成できてるじゃない。セールス的にはどうか知らないけど。
この写真のジュリー、好きだなぁ。
これは何かの雑誌のインタビューだと思うのですが、35歳のときのものです。
この頃、シングルが売れなくなり、少々焦りぎみかな、とも思える発言もあります。
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もう沢田研二という商標だけじゃ通用しないんですよ。ファンとは別の浮動票をまきこまないとヒット曲は生まれない。とはいうものの、いまは何が売れるかわからん時代やというのが実感です。
この頃、出したのが、渡り鳥はぐれ鳥。
その前の晴れのちブルーボーイは好みで押し通したら全然売れず、わかりやすい歌として出したどん底もだめ。
こんどはタイトルも歌詞も演歌みたいだし今までにない曲でもある。
一等賞の沢田研二は、売れてたから口にできたけど、今や気分は一等賞じゃだめ。あくまでも結果がともなわないと。
結局、この世界はコケるか、どっちつかずか、売れるかのどれか。
売れる状態ってのは、不特定多数の人が自分の方に向いてるという異常な状態。売れてるときは無我夢中で、なんで売れてるのかもわからない。
売れなくなると、マネージメントとか制作の裏の仕組みとか、わかってきて、敏感にもなる。
映画やったり、大河ドラマに出たり、いろんなことやりますね、と言われるけど、
わしゃこれしかやらんというのはきらい。コントでバカやるのもプラスマイナス0。何をやっても自分を見失うことはないから。カッコ悪いとこも見せとかんと、かっこいいとこが目立たへんしね。
スターは、遠い存在でなきゃだめ。生き方自体を演出して、ひとりでいるとき以外は演技しなきゃなんない。
同級生なんかもうおっさんですよ。ぼくはこういう商売やから、ふつうの神経がパーになってて、40になってもこのままやろうと思うけどね。売れないことがあたりまえになってくると、急におっさんになるかもしれない。
タイガースで売れ、ソロになって売れ、今も売れる。そのトリプルを達成できたら、沢田研二はすごい歌手やと思う。
ちゃんとトリプル達成できてるじゃない。セールス的にはどうか知らないけど。
この写真のジュリー、好きだなぁ。
吉川さんの人気も出てきて、事務所は“ファーストアルバムにこの曲を入れさせてくれ"と、(佐野元春さんに)頼んできたけど“沢田さんの為に書いた楽曲だし、御本人でさえ、まだ歌われてないから"と断り“沢田さんの歌として発表した後で、カヴァーすることは許可した"と聞いたことがあります。
このころ事務所は、ジュリーよりも吉川さんにご執心だったそうで、ジュリーは随分と悔しい思いをしたと思います。
6年前の「ジュリー三昧」、私はエアチェックをしないまま聴き流したので、ハッキリと覚えていないのですが、確かアルバムは、番組の中で年表のように思い出話を交えながら発売順に紹介し、収録の楽曲を かいつまんでオンエアしていたと思います。(勘違いだったらゴメンなさい。)
それで『NON POLICY』に話が及んだ時、シングル曲の「渡り鳥はぐれ鳥」が収録されていることを明かした上で、「だけど私は(放送する楽曲として)、この曲を選びました。」みたいなことをおっしゃって、この「すべてはこの夜に」を、採用されたのでした。
ジュリーにしてみれば、悔しい思い出の詰まった楽曲だったと思いますが、吉川さん陣営に横取り(先録り)されそうになったことは、番組では語られなかったと記憶しております。
この時、語られなかった気持ちを思い、涙が出ました。
その後、「ジュリー祭り」で披露されましたが、吉川さんバージョンしか知らない方々に“これは元々、ワイの持ち歌やぞ!吉川ちゃうねんぞ!"とアピール出来たことでしょう(笑)。
吉川さんが、この楽曲をシングルとして発表出来るまで、2年半も要したわけですが、「それだけ待たされても諦められない程の名曲のオリジナル歌手に、我等がジュリーを選んで下さってありがとう!」と、佐野元春さんには、感謝の思いで一杯です。
ゆかりんさん、記事の御紹介を頂き、ありがとうございました。これからのライヴのレポートも、楽しみにしております。
長々とすみませんでした。
お返事が遅くなり、ごめんなさい。
詳しいお話をありがとうございます。吉川さんのも聞いたことはあるんですが、そんないきさつがあったとは知りませんでした。
とてもいい曲ですよね。ジュリー祭りの時もすてきでしたよね。