つづきです。
解散後、高校に戻って大学に入り、教師になったけど、最初は教師には絶対ならないと思ってた。
ならないつもりだったけど、万が一のために教員免許をとっといた。そしたら、大学の先生がやらないかと言ってきて、やりたくなかったけど、なにもやることがないからいいかと思って。1年2年で辞めるはずだったのが、33年もやってしまった。どうなるかわからないもんですね。
タイガースというのは伏せてやっていたけど、回りから言われて伝わってくるもので、ふせてもふせてもふせあきら、みたいな。それは冗談ですよ。
僕は欲張りだから、タイガースのメンバーとタイガースの楽しみ方をして、大学に入ったら、大学のサークル活動とかで楽しんで、二重に楽しんでおります。
途中でもどりたいなぁというのは、完全に心のなかで消してた。
抑えて、でも、どこかでふっと浮かんでくることがあって、こういう形になって、もういっぺん火がついたというか。そのときは家庭の事情もありましたので。子どもの影響とかまわりが箝口令ひいて、いっさい言わなかった。
基本的に戻ろうとは思わなかったけど、夢はおさえられないから、ステージに上がってる夢を見たりする。それはステージが恋しい訳じゃなくて、やっぱり深く自分の意識の中に刻み込まれてるものがふっと沸き上がってきて、夢になって出てきたりすると、あーそうか、こんなやめて何十年もたつのに、いまだにこんな気持ちがあるのかな、というのを素直に認めないといけないと思うものの、現実はそれを必要としなかったので、あーそういうものだと絶えず自分の中で抑えてきた。
やめてそこから受験勉強というわけで、でもタイガースで一応日本一になれたので、ぶざまな形でその後を送りたくない、それなりの生き方をしなければと思ってた。やはり、タイガースが僕を育ててくれたんだと思います。
タイガースの同窓会のとき、僕は81年から83年まで北京に留学してて、そのときはわかんなかった。帰ってきてからやったことを知った。その前になんかあったような気はしないでもないけど、そういった話は僕は直接は耳にしてない。学校にあったかもしれません。
ただ、学校も、瞳はやめた人間だからそっとしておいてやってくれ、という配慮があったものですから。
そんなたいしたものではなかったけど、そういう意識は下にはあっても、表面の方ではそういう気はまったくなかったです。
漢文を30年くらい教えて、国語の教師として採用されたので、そのなかで漢文を主として、古文、現代文、そして、中国に81年から留学して帰ってきて、中国語をやって、やめる10年くらいはもっぱら中国語をやってました。
中井さんという元のマネージャーが2008年10月に僕の学校の文化祭に来られて、そのとき僕はいなかったけれど、そのときに名刺をおいていかれて、電話かけてくれということで。
中井さんわざわざ~と。
寡黙な人でかっこいいんですよね。
僕もずいぶん誤解してて、会社の回しもんだと思ってた。それでいっぺん会ってみようと思って、電話かけて会ったら、会うなり申し訳なかった、僕は会社のあれで意に沿わないことをやって、それが原因で、不仲になって解散してしまった、その責任は俺にあると言われたので、もうぐらっときましたね。
もう一度、瞳に会って、できるならみんながもう一度集まってやりたいと。
彼自身、新入社員で入って、一年目に当たったのが僕らなんですよね。僕らもそうだけど、彼も非常に印象深い。彼もその後、キャロルやったりしてるけど、最初に扱ったタレントということで、想いが強かったと思う。
あと少しあるけど、きょうは忙しいから、ここまでにします。
解散後、高校に戻って大学に入り、教師になったけど、最初は教師には絶対ならないと思ってた。
ならないつもりだったけど、万が一のために教員免許をとっといた。そしたら、大学の先生がやらないかと言ってきて、やりたくなかったけど、なにもやることがないからいいかと思って。1年2年で辞めるはずだったのが、33年もやってしまった。どうなるかわからないもんですね。
タイガースというのは伏せてやっていたけど、回りから言われて伝わってくるもので、ふせてもふせてもふせあきら、みたいな。それは冗談ですよ。
僕は欲張りだから、タイガースのメンバーとタイガースの楽しみ方をして、大学に入ったら、大学のサークル活動とかで楽しんで、二重に楽しんでおります。
途中でもどりたいなぁというのは、完全に心のなかで消してた。
抑えて、でも、どこかでふっと浮かんでくることがあって、こういう形になって、もういっぺん火がついたというか。そのときは家庭の事情もありましたので。子どもの影響とかまわりが箝口令ひいて、いっさい言わなかった。
基本的に戻ろうとは思わなかったけど、夢はおさえられないから、ステージに上がってる夢を見たりする。それはステージが恋しい訳じゃなくて、やっぱり深く自分の意識の中に刻み込まれてるものがふっと沸き上がってきて、夢になって出てきたりすると、あーそうか、こんなやめて何十年もたつのに、いまだにこんな気持ちがあるのかな、というのを素直に認めないといけないと思うものの、現実はそれを必要としなかったので、あーそういうものだと絶えず自分の中で抑えてきた。
やめてそこから受験勉強というわけで、でもタイガースで一応日本一になれたので、ぶざまな形でその後を送りたくない、それなりの生き方をしなければと思ってた。やはり、タイガースが僕を育ててくれたんだと思います。
タイガースの同窓会のとき、僕は81年から83年まで北京に留学してて、そのときはわかんなかった。帰ってきてからやったことを知った。その前になんかあったような気はしないでもないけど、そういった話は僕は直接は耳にしてない。学校にあったかもしれません。
ただ、学校も、瞳はやめた人間だからそっとしておいてやってくれ、という配慮があったものですから。
そんなたいしたものではなかったけど、そういう意識は下にはあっても、表面の方ではそういう気はまったくなかったです。
漢文を30年くらい教えて、国語の教師として採用されたので、そのなかで漢文を主として、古文、現代文、そして、中国に81年から留学して帰ってきて、中国語をやって、やめる10年くらいはもっぱら中国語をやってました。
中井さんという元のマネージャーが2008年10月に僕の学校の文化祭に来られて、そのとき僕はいなかったけれど、そのときに名刺をおいていかれて、電話かけてくれということで。
中井さんわざわざ~と。
寡黙な人でかっこいいんですよね。
僕もずいぶん誤解してて、会社の回しもんだと思ってた。それでいっぺん会ってみようと思って、電話かけて会ったら、会うなり申し訳なかった、僕は会社のあれで意に沿わないことをやって、それが原因で、不仲になって解散してしまった、その責任は俺にあると言われたので、もうぐらっときましたね。
もう一度、瞳に会って、できるならみんながもう一度集まってやりたいと。
彼自身、新入社員で入って、一年目に当たったのが僕らなんですよね。僕らもそうだけど、彼も非常に印象深い。彼もその後、キャロルやったりしてるけど、最初に扱ったタレントということで、想いが強かったと思う。
あと少しあるけど、きょうは忙しいから、ここまでにします。