Yさん、Aさん、いつもありがとうございます
横浜のとある信金から年に2回出ている地域情報誌にジュリーの話題が載っています。
以下、記事の抜粋です。
↓
「横浜の聴き方」というところに、「緑色のkisskisskiss」"沢田研二はメディアである"
というタイトルで記事が載っています。
お書きになったのは、中島久さん。
70年代後半から80年代前半の沢田は、スーパースターとして時代の先端を走り続け、1曲ごとに趣向を凝らし、コスチュームも過激さを増した。当時の沢田のシングルはポップやロックをコンセプトにして、編集スタイルを毎号大幅に変更する季刊誌のようだった。あのころのジュリーはメディアだった。
周知のように、現在の沢田研二は太っている。森○一や郷ひろ○が体型を若いころと同様に保っているのとは対照的。
それをやらないのは彼の意志なのだろう。
「緑色のkisskisskiss」はサビののびのびした歌声が魅力的な曲である。
彼は、震災や脱原発への思いを自分の言葉で歌いたいと語っている。
この曲を聴くと大震災以前からポリシーを維持していることがわかる。現在の沢田はごく自然に「ジュリー」をセルフプロデュースしている。沢田研二はやはりメディアなのである。
たぶん、神奈川県の方しか直接手にする機会はないかもしれませんが、記事のバックに入ってるジュリーのイラストもすてきです
横浜のとある信金から年に2回出ている地域情報誌にジュリーの話題が載っています。
以下、記事の抜粋です。
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「横浜の聴き方」というところに、「緑色のkisskisskiss」"沢田研二はメディアである"
というタイトルで記事が載っています。
お書きになったのは、中島久さん。
70年代後半から80年代前半の沢田は、スーパースターとして時代の先端を走り続け、1曲ごとに趣向を凝らし、コスチュームも過激さを増した。当時の沢田のシングルはポップやロックをコンセプトにして、編集スタイルを毎号大幅に変更する季刊誌のようだった。あのころのジュリーはメディアだった。
周知のように、現在の沢田研二は太っている。森○一や郷ひろ○が体型を若いころと同様に保っているのとは対照的。
それをやらないのは彼の意志なのだろう。
「緑色のkisskisskiss」はサビののびのびした歌声が魅力的な曲である。
彼は、震災や脱原発への思いを自分の言葉で歌いたいと語っている。
この曲を聴くと大震災以前からポリシーを維持していることがわかる。現在の沢田はごく自然に「ジュリー」をセルフプロデュースしている。沢田研二はやはりメディアなのである。
たぶん、神奈川県の方しか直接手にする機会はないかもしれませんが、記事のバックに入ってるジュリーのイラストもすてきです
いろんな情報を本当にありがとう。
ジュリー風に「サンキュー、ありがとうね。」
本当に、ジュリーこれ以上、まぁるくならないでぇ!!
↓
訂正
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拝見させていただいております
そうですね。ちょっとはお痩せになったと思いますけどね。
わたしも、いろいろな方から教えていただいてます。
感謝しております。