みんなよく話すから、必死に書いても聞き取れないや。
でも、トッポのごほごほ、ちょっと聞こえてたね
かつみは、抜けてからフランスに行ってソロアルバムのレコーディングして。
2枚目のときにはタローが曲かいてる。解散したあと。 ヘアーも出てた。見に行ったよ、東横劇場。1969年。
ニューヨーク版も見たけど、トッポのやつを見たとき、日本語だったからよくわかった。
ロンドンにレコーディングにいったとき、かつみがフランスにいた。ピーが彼女に会いにフランスに行った。
ミックジャガーとか会えるみたいな話があって、この人とこの人がきたら、ホテルに電話してとおぱさんに言ってた。
ビーはいなくて、シローがいた。
スマイルフォーミーをレコーディングしてた。 かつみはそのころ、ヘアーの仕事をしてて、そのころ、サルバドールダリがスボンサーになったりしてた。
タローはバンド作ることになって、オーディションして、タローとアルファベッツ作った。解散のころから準備してた。それを聞いて、ピーが、葬式やる前から結婚式やるなと怒った。
ピーはまだそのころ学校も決まってなかった。タイガースの 打ち上げのとき。ガードしたにトラックがきてて、握手してすてぜりふ。
勉強しようと、ただそれだけ決めてた。
そういうことがピーのエネルギーになってる。みなさんからいろいろエネルギーもらったから。
だからサリーとタローはエネルギーとられてる。
あちらに帰ってから高校入って、大学行って、教員になってからは北京大学行って、いまや日中をまたにかけて。
サリーはPYGに。いろんな人たちとやろうとしてて、そのころ、名前は決まってた。中井さんからやろうと言われてた、
ジュリーは中井さんから何にも言われなかった。だから渡辺プロにいった、誰か、声かけてくれないかな、と思ってた。サリーから声がかかった。
グループをやることは中井さんからサリーは聞いてた。ジュリーはサリーから聞いて、よかった、渡りに舟と思った。
中井さんはまだ沢田はソロは早いと思ってたみたい。
一年くらいで空中分解したけど。ショーケンは映画の方にいって。
井上バンドになってから、サリーと大口さんの立場が危うくなった。
大野さんと井上さんの考え方がちがってて、井上さんは、技術を大事にしたから。だからやめて、思いきって俳優に変われた。
ジュリーはソロになって、ヤマハのコンテストに出ろって言われて。
君をのせてを歌った。
そのときはものすごい嫌だった、こんなに歌い上げる曲は嫌だった。
今では考えられない、若かったんだね。