ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、北国街道他)

 西国街道(長崎への道)、山陰街道、塩の道、四国お遍路、奥の細道他、生きてる限り、歩ける限り・・。

空海巡礼 空海生誕の地へ

2019-06-01 | 街道歩き

 やってきました。空海の生まれた地 善通寺駅です。大きな弘法大師の看板
がありました。






 まずは空海の氏寺というか、佐伯家の氏寺である曼荼羅寺目指して歩きます。
ふと見るとバス停流所に空海号とありました。もちろん巡礼者の私としては歩
きます。駅から1時間程度かかるようです。



 すぐに善通寺がありました。通過です。帰りに寄ります。そうだもうすぐ空海
の誕生日ですね。6/15でしたか・・。



 五智院とあります。善通寺の一部でしょうか?


 おもしろい、ミニお遍路ができてます。老人用でしょうか?


 素敵な道です。讃岐はため池が多い。カミーノを歩いている気になります。








 石造りの案内標識ですね。


 到着!曼荼羅寺です。今日は天気よく気持ちがいい。ここは空海の出自、
佐伯家の菩提寺です。


















 縁起によると、創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。
讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していまし
た。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。母玉依御前の仏果菩提を
祈るためだったともいわれています。
 唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰
った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました。

また、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」高さは4m足らずですが直径が
17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような印象的な姿で県の自然記念物にも指定され
ていました。しかし、松食い虫に浸食され、平成14年に伐採されています。

















 さて、次は出釈迦寺。幼き空海の修業の地です。黄色いのは琵琶にオレンジの
袋が被されています。もうすぐ収穫でしょうか?



 ここも素敵な道です。


 門前に行く前にいろいろ空海の像が出現します。





 よくあります。三鈷の松。


 少し高台から空海は万民の平和を祈ってます。1300年前の人がここまで
現代に残る、そして高野山で生きている。不思議な人です。






 これが出釈迦寺の山門、正門です。


 ここで7歳の佐伯真魚(空海)が捨て身で行った修業の場、いったい何があっ
てこんな伝説が残ったんでしょうか?ひょっとすると空海は技術者でもあるわけ
ですから、重力調整機でも発明してたんでしょうか?これが現実にあったことな
ら、科学技術のすぐれた宇宙人が到来したか、はたまた重力を操る道具を発明し
たか?でないと不可能ですね。






 本堂。


 大師堂。


 空海が飛び降りたのはここより山に登らないといけません。今回はここでお
参りしてご無礼します。






 人生は遍路なり。





 小高い丘の上、良い景色でした。これより約1時間かけて善通寺へ。

ここより先は善通寺です。






 あまりにも大きすぎるお寺です。この場所で空海は生まれました。そして
高野山で生きておられます。8世紀の人が21世紀まで生きておられる。なん
と凄いことでしょう。不思議なのは、キリストさんもお釈迦さんも自筆で残した
ものはないと思われますが、空海はいっぱい残してくれてます。
 これも空海の凄いとこでしょうか?時代がちがうかな・・。









 行ってきました。戒壇めぐり。確か甲州街道の時、長野の善光寺で経験しま
した戒壇めぐりと同じです。全くの暗闇で怖いです。ただ中ほどで弘法大師が
現れお言葉をいただけます。怖いけど良い経験でした。


























 この木々の中に建物が見えます。その中は井戸、空海が産湯をつかったとこ
ろです。写真撮影禁止なんで目に焼き付けてきました。ああ、ここでお生まれ
になったんだぁ・・と一人感動です。












 空海誕生のころからある楠。すごい!!


 さて、善通寺を出て、土木技術者としての空海に会いに”満濃池”に向かいます。
善通寺から電車で塩入へ。そこから歩きます。向こうに見えるは塩入駅です。



 途中お地蔵さんがいっぱいありました。


 そして2kmほど歩いて神野寺に到着。ここには土木工事を指揮した空海が、
未だに満濃池が決壊して被害がでないようにと見守っていてくれるお寺です。






 ご覧ください。空海は満濃池に睨みをきかしています。





 もちろん大日如来のまたの姿、不動明王も睨んでくれてます。








 これが満濃池、大きな湖です。これが田畑用のため池とは・・・。





 だいぶ疲れてきました。














 お寺のあるところには必ずといっていいほど神社があります。これが日本の
文化です。大切にしましょう。















 そして塩入駅へ、無人駅です。


 大満足の一日でした。やっと空海の生誕地を訪れることができました。ただ
お遍路の姿はほとんど見てません。意外でした。毎日毎日多くのお遍路の方が
うろうろされているものだと思ってました。お遍路は静かです。
 本当はお遍路宿も見学したかったんですが、少し時間が足りませんでした。
ここいらは都会が比較的近くにあり、ビジネスホテルもいっぱいありますので
問題ないですが、もっと田舎は大変だと思います。尋ねましたが、テント泊は
なかなか難しいようです。さてさて、どうしたものか?
お遍路実行に少しブレーキがかかりつつあります。
 今日はこの辺で。明日は本土、岡山に渡り、古事記巡礼してみたいと思います。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 空海巡礼 四国お遍路 下見旅 | トップ | 古事記巡礼(桃太郎伝説をたず... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ノンビリ歩く巡礼の路)
2019-06-16 12:07:27
6月は雨の季節で歩き遍路は少ないでしょう。春と秋がベストシーズンです。それでも歩く遍路は多くありません。別格まで足を運ばれ良い一日でしたね!
山下さんですかね? (ゆーぼん)
2019-06-16 12:19:51
そうですか、梅雨の季節は歩き遍路少ないんですね。霊山寺寂れた感じでした。小生、白装束、袈裟、杖等々、まだ馴染めない感覚、やはり西国街道、長崎への道から先に始めます。もちろん今は老老介護で動きとれませんが。あっ、熊野古道丸山千枚田が残ってます。先にやっつけないと、、。

コメントを投稿

街道歩き」カテゴリの最新記事