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古事記巡礼(桃太郎伝説をたずねて)

2019-06-02 | 街道歩き

  折角四国まで行ったので、前々から気になっていた吉備の国、古墳時代より前、
弥生時代から栄えていたとされる地域、卑弥呼伝説があり、おとぎ話の桃太郎
伝説があり、日本で古墳が一番多い県、これは少し歩いてみたいと思い訪れま
した。
 まずは四国高松より、昔であれば宇高連絡船、いまは瀬戸大橋を渡りあっと
いう間の岡山でした。下の電車はアンパンマンの高松行き、全車グリーン料金
のトロッコ電車、乗ろうとしましたが、家族連れの子供たちがいっぱい、こりゃ
駄目だと思いマリンライナーで岡山へ上陸しました。

 





 少し靄ってますが、晴れの予定です。瀬戸内海を渡ります。この海を弥生時代、
古墳時代には交通の要衝だったんでしょう。九州からの渡来人が、内陸目指す
は船、そして浪速の津を目指したと思われるが、当然補給基地としてのこの岡山
あたりは栄えた場所だったと思われます。



 岡山駅に到着、まずは駅前の桃太郎にご挨拶。


 ついでに噴水が綺麗でした。桃に似せているのかな?


 おっ、線の名前も桃太郎です。正式には吉備線ですか、まずは吉備津彦神社
へ向かいます。



 備前一宮で降ります。早速ありました。桃太郎伝説。





 駅ほど近く立派な神社がありました。




















 由緒には主神が大吉備津彦命で第七代孝霊天皇の第三皇子とあります。
ということは神武天皇より七代目の天皇にあたります。西道将軍として山陽道
に遣わされ温羅(うら又はうんら)という鬼神を退治、吉備国を平定当時した
とあります。この命が本当に神武天皇の系統を引いているのか、それとも別の
渡来人か、また温羅は太古よりこの吉備で生活していた土着民なのか、今とな
ってはわからないことだらけ。タイムマシンで行ってみたいですね。
 それとここで気になるのが倭迹迹日百襲姫命の名が・・。この人も孝霊天皇
の皇女、奈良の箸墓古墳に眠るとされています。が、この古墳が奈良纏向遺跡
の発掘により、卑弥呼の古墳ではないかという説が出てきてます。
 ここ吉備の国にも卑弥呼の出身地説があり、何がなんだか分からなくなりま
す。そもそも孝霊天皇辞退が実在したかどうかという説もあり、どれが真実か
はわかりません。やがて考古学で確定してくれることを期待したいと思います。






 おもしろい、おみくじが桃の形。





 絵馬も桃。





 吉備津彦神社から吉備津神社へ。吉備津神社は備中一宮になります。素敵な
吉備路を歩きます。









吉備の中山は、遠い昔まだこの地方が吉備の国と呼ばれていた頃、その中心にあったこと
がその名の由来とも伝えられています。この山に備前一宮の吉備津彦神社と備中一宮の吉
備津神社(本殿拝殿・国宝)が寄り添うように鎮座していることからもこのことがうなづけ
ます。

温暖な気候と肥沃な土地、この山裾に海が広がっていた時代には海運業の要所としても恵
まれ、ここに住む人々は大きな力を持っていたと考えられます。吉備の中山には、最古の
前方後円墳の一つといわれる矢藤治山古墳や、100mを超える大型前方後円墳の尾上車山
古墳(国指定史跡)、中山茶臼山古墳(宮内庁管理地)があります。また後期古墳も、立派な
石棺の残る石舟古墳などが山のあちこちにあります。このことはこの地方が非常に栄えて
いたことを物語っています。

 上記抜粋からわかるように、吉備路はやはり海運業の要所として栄えたんで
すね。















 吉備津神社到着です。生憎の改修工事中写真がイマイチです。ここも大きな
神社です。





















 桃太郎うどんです。折角なので注文しましたが、味は普通ですかね。









 吉備津彦、吉備津と両神社は同じような神社、備前と備中の違いです。次は
楯築遺跡に向かいます。この地域は古墳がいっぱいありますが、なかれも謂れ
のある古墳を訪れました。なかなか素敵な道です。












 弥生時代後期(2世紀末頃)の墳丘墓で、両側に長方形の突出部を持つ。
この貴重な歴史遺産を過去に住宅団地造成のため壊してしまったらしい。
ひょっとすると古墳時代に多く出現する前方後円墳のはしりではないかという
説もあるようです。









 これは現代建築です。邪魔な水タンクです。撤去すればいいのにと思います。


 この石は楯築遺跡の上にある神社のご神体です。


 楯築神社です。ご神体を見ることはできませんでした。


 以下は不思議な景観です。巨石文化か。2世紀の時代に思いをはせ、
この吉備の平野を見渡すと、自分が支配者になったような気持ちです。


















 素敵な道を通って下ります。





 昔の道路標識がところどころに残っています。

 足守川です。


 鯉喰神社です。これも桃太郎伝説です。














 ここいらは江戸時代の山陽道のようです。京都から長崎へ歩くときにまた通
るかな?












 吉備の国をぐるっと歩いてみました。なかなか歴史のある地域です。
必ず山陽道を歩くことを約束し吉備津駅より帰ります。




 こうして吉備路を少し歩いてみましたが、奥の深い歴史のある国でした。
また来ようと思います。これから一路京都へ、京都で行けてない空海巡礼を
少しして、我が家の墓参りして相模の国へ帰国します。

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