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毛利氏発祥の地と大友皇子の陵墓をたずねて

2023-01-31 | 街道歩き

 ここのところ鎌倉検定のために鎌倉ウォーキングしていて、よく登場するのが
”大江広元”です。大江広元は頼朝の功臣で頼朝の政治を補佐し、守護地頭を設置
を献策したことで知られ、現在の厚木市毛利地区などを中心に所領が与えられた。
その息子4男大江季光が跡を継ぎ毛利を名乗った。いわゆる中国地方安芸の国を
おさめた戦国大名毛利元就の祖である。
 下の写真は季光の屋敷跡地だそうです。知りませんでした。鎌倉まわって情報
を得、ウォーキングに最適と思い、小田急本厚木駅から歩いた次第です。

 神社の左手に記念碑がありました。おそらく屋敷の跡地に神社ができたのでし
ょう。三島神社と表示はありましたが、謂れはわかりませんでした。


 ここいらは大山信仰が昔からあり、ところどころに碑があります。

 厚木市は駅周辺は都会ですが、少し離れると素敵な田舎になります。天気よく
気持ちの良い日でした。


 奥に見える高い山が”大山”だと思います。相模国、武蔵国の守り神です。

この日はこれで終わりかと思ってましたが、この毛利の碑から歩いて一時間ほど
歩いたとこに大友皇子の陵墓あるではありませんか。大友皇子といえば中大兄皇
子の息子、天智天皇の息子ではありませんか。天智天皇の時代は都は大津京、
琵琶湖のほとりです。その息子の墓が何故ここ伊勢原の奥にあるのか?
どうやら壬申の乱で皇位争いに負け、この地に逃げてきたという言い伝えがある
ようです。歴史上では確か自刃したと記憶しているが。
 だからか(伝)となっている。下記に見える五層塔はレプリカだそうです。
本物は下記石雲寺で管理しているようです。












 石雲寺です。だいぶ奥まった寂しい場所にあります。




 大友皇子は天智天皇の息子、藤原鎌足の息子、藤原不比等は天智天皇のご落胤説、
つまり大友皇子と藤原不比等は兄弟?歴史はわからないから面白い。

 
 

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