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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 人を育てることと人として育つこと!!

2010-11-21 14:19:43 | Weblog

 先日TVを見ていると現在の教育に関して「ゆとり教育」から「詰め込み教育」に路線が
変わるような話題を取りあがているのを見ながら、ふと40年以上前の自分の時代の事を考
えた。

 自分の時代は、社会基盤がまだまだ整っていない環境の中で学んでいた。低学年の頃は、
児童数が多く教室が不足していた関係で、午前と午後に分かれた2部授業体制であった。

 今のように物が溢れている時代でなく、殆どの人達が生きることが精一杯の時代だったの
で、周りも必然と必死に生きていたと思う。このような時代であったがその頃は漠然とした
夢やそれを実現させるために頑張ると言った気力があったように思う。

 なにしろ前に進むことが大きな目標であったから、確実に教育も「詰め込み教育」の時代
であった。当時はまさに詰め込まれる側に居たが、自分が詰め込まれているという意識は正
直言ってなかったと思し、それが当たり前の時代であったので何も疑問に思わなかった。

 昔は今のように豊かな時代ではなかったけれども考え方は純粋そのものであった。そのこ
ろの考え方として自分が嫌な思いをしたら自分よりも年下の者には同じような思いをさせな
いようにすべきであるとの考え方が一般的であった。この考え方はいまでも身に浸みており、
自然と年下の者を扱う時にはそのような行動になってしまう。

 今の若者は教育が「ゆとり教育」であり、社会にでると先輩が手とり足とり指導してくれ
る環境にあることから、自ら考えることあるいは自ら行動することができない人間になって
きている。とても可哀そうな時代だと思う。

 昔は、先輩の仕事のやり方をこっそりと真似しながら、少しずつ自分のものにしていく所
謂先輩の背中を見ながら自分を育てるような感覚で取り組んできた。いまは教える側がお教
えられる側以上に気をつかっているのを見るにつけ本当にこのような方法で良いのかと心配
になってしまう。

 全てが現在の経済の状況と同じように負のスパイラルに陥ってしまっていると思われる。
あまりにも過剰な優しさはかえってマイナスで、豊かな時代であるから厳しい指導が必須な
のかもしれない。反対に貧しい時代は、人間の暖かな優しさに包まれた指導が向いているも
のと思われる。

 これから暫くの間は、人を育てる人は今以上に厳しく、また育てられれる側は自ら行動を
起こし前向きで取り組んでいく行動様式が必要であると思う。このような考え方が浸透すれ
ば、今世の中で生じているいろいろな問題点はかなり改善されるものと思われる。

 是非ともこのような仮説に基づき行動し、教える側と教えられる側の双方ともに正しい意
識をもって対応し改善を図りたいものである。

■ NHK音楽祭2010イスラエル・フィルハーモニー演奏会を聴いて♪♪

2010-11-14 11:48:14 | Weblog

 先週の水曜日にNHKホールで開催されたNHK音楽祭2010の第3日目にあたる演奏
会を聴いてきました。ズービン・メータ指揮によるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
で、ベートーベン:交響曲第6番ヘ長調「田園」と交響曲第7番イ長調でした。

 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団は弦楽器が素晴らしいという噂を昔から聞いてい
たので今回の音楽祭の中では最も楽しみにしていたプログラムでした。他のオーケストラに
比べると日本で聴くチャンスはさほど多くはないと思っていましたので、今回の演奏会に期
待するのは当然のことです。

 ただし、指揮者のズービン・メータですが、過去にザルツブルク祝祭大劇場で行われたモ
ーツァルト週間の中でウィーンフィルハーモニー管弦楽団を指揮した演奏を聴く機会があり
ましたが、モーツァルト的でなくがっかりした経験があり、それ以来ズービン・メータは個
人的に評価の低い指揮者の中に分類されています。

 今回はオールベートーヴェンなのでひょっとするといい演奏が期待できるかなぁと思いな
がら開演を待っていました。ただし、購入できた席が前列から5列目でそれも正面ではなく
レフト側の席であったためか、音のバランスが良くなくがっかりしました。

 イスラエル・フィルハーモニーの第一印象ですが、楽員の顔や態度から窺えたのはそれぞ
れプライドが非常に高いことと、それに伴って個人が前面に出過ぎていて全体の調和に問題
があるような感じを受けました。特に期待していた弦楽器ですが、緊張感が伴っていない印
象を受けました。

 演奏内容は前半の交響曲第6番ヘ長調「田園」は単に自然な流れで演奏されている感じで
全く緊張感のない演奏で盛り上がりに欠けたものとなっていました。後半の交響曲第7番は
6番よりも演奏の中身は充実していましたが、ズービン・メータの解釈に問題を感じました。

 7番は楽想からして盛り上がりが大きい曲ですが、余りにも盛り上がりを意識しすぎた演
奏となっており、本来のベートーヴェンの真意を逸脱した演奏になっていた感じを受けまし
た。とくに最終楽章のフィナーレに近づくにつれ、特に第二ヴァイオリンの奏法はあそこま
で大きな運弓をしなくても良いはずですが、あたかもラジオ体操でもしているかのような演
奏方法で、音楽ではなくパフォーマンスではないかと疑いを持つほどの内容でした。

 フィナーレはそのような状況でしたから、テンポはハイになり音量も暴発し嵐のような感
じの中で終わりました。終わった瞬間にブラボーの声と拍手の嵐を聞きながら、個人的にこ
れは本当のベートーヴェンの真意の音と精神ではないのに、なぜここまで聴衆は熱狂の嵐で
応えているのか、非常に複雑な思いをしました。

 結果的に期待していた弦楽器の音も想像していたものとは異なりましたし、ズービン・メ
ータのベートーヴェンの解釈も異なったし、個人的にはさんざんな内容の演奏会でした。

 最近ふと感じることは、演奏内容に対する見方が他人と大きく異なってきているのではな
いかと思うようになってきたことです。昔は周りの人とほぼ同じ反応でしたが、最近はその
ような場面が少なくなりつつあります。

 自分が正しい音楽の聴き方から外れて来ているのかも知れません。しかし、最後は自分で
感じたことが事実であって他人の感じ方と異なってても問題ないのですが、演奏内容の方向
がずれてしまう哀しさが残ります。ただ、良い演奏をする指揮者やオーケストラがまだある
のが救いとなっています。

 指揮者のズービン・メータとは合わない自分を感じながらNHKホールを後にしました。

■ NHK音楽祭2011NHK交響楽団演奏会を聴いて♪♪

2010-11-07 11:52:38 | Weblog

 昨日NHK音楽祭2011でNHK交響楽団演奏会を聴いてきました。音楽祭としては2
日目になる演奏会でした。指揮はアンドレ・プレヴィンでブラームスの交響曲第3番ヘ長調
作品90と交響曲第4番ホ短調作品98の2曲でした。

 今年のNHK音楽祭は、偉大なるドイツ3大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)
と題した演奏会になっていました。若かりし頃は3Bは大好きで聴き込んでいましたので、
久し振りに青春時代に戻る気持ちでチケットを購入しました。

 ただ第1日目のバッハ「ミサ曲ロ短調」指揮:ニコラウス・アーノンクール、演奏:ウィ
ーン・コンツェントゥス・ムジクス、合唱:アルノルト・シェーンベルク合唱団の演奏会だ
けはスキップしました。以前のNHK音楽祭でモーツァルトのレクイエムを聴いたときの印
象があまり良くなかったという理由からです。演奏の解釈でアーノンクール節が沢山出てく
るところが大好きな人にはたまらないのだと思いますが、私には合わないからです。

 さて、今回のブラームスの演奏会ですが、一言で言うと円熟したブラームスで今の季節の
ように音の秋を感じました。第3番は初秋の感じで、第4番はまさに晩秋の感じをもった楽
想です。これらの曲を円熟しきったプレヴィンが指揮するのですから、ブラームスのブラー
ムス的な演奏内容でした。

 個人的には休憩後の第4番の交響曲の方が心に浸みました。正に人生の第4コーナーを回
り最後の直線コースを静かにそして確実に駆け抜ける思いで聴いていましたし、プレヴィン
もそのような演奏をしてくれました。さらに数か所のところでは、自然と涙が出そうになり
心の中では確実に涙が出てしまう、そんな自然な流れがありました。

 モーツァルトが最も好きですが、やはり青春時代に聴きこんだブラームスは忘れられない
ものがあります。ベートーヴェンは青年ですがブラームスは親爺的な哲学を感じます。仏教
的ともいえるようなものがあります。さらに聴きこんでいると不思議なことにモーツァルト
に近い心情に満たされます。

 今回の演奏は、プレヴィンの円熟した演奏の中に人生の淡く夕暮れのような晩秋の想いを
一杯に感じた演奏会でした。今回の演奏ではチェロとコントラバスならびにヴィオラが充実
した演奏で脱帽でした。それに比べるとヴァイオリンは気持ちが乗っていないというか表面
的なものを感じました。

 最近のN響の演奏では特にヴァイオリンパートの演奏に疑問をもっています。先日の小澤
征爾が指揮したサイトウキネンのような演奏で無くとも良いですが、もう少し気を入れた演
奏をして欲しいと思います。ヴァイオリンパートだけに限って言えば先日聴いた東京都交響
楽団の方が上だと思います。

 今回も感じましたが、アンドレ・プレヴィンのように高齢になっても今回のような充実し
た演奏を披露してくれているのですから演奏者はもっと気を入れたものにし力を出し切った
最高の演奏にして欲しいと思うのは、私だけではないと思います。

 NHK音楽祭2011の第3日目は今週の水曜日で、ズービン・メータ指揮によるイスラ
エル・フィルハーモニー管弦楽団で、ベートーベン:交響曲第6番ヘ長調「田園」と交響曲
第7番イ長調です。イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団は初めて聴くのでとても楽しみ
にしています。

■ 第1682回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-10-24 00:07:01 | Weblog
 1週間前にN響の定期演奏会へ出かけてきました。通常は土曜日に開催されるのが普通で
すが、今回はヴェルディの歌劇「アイーダ」全曲を演奏会形式で行う関係で金曜日のそれも
午後6時開演でした。

 ヴェルディの歌劇に「アイーダ」というのがあるということは知っていましたが、一度も
全曲を聴いたことはなかったので、退屈な内容だったらどうしようかと少し不安な気持ちで
NHKホールに出掛けました。

 通常のオペラは、舞台装置があり衣装をまとった歌手が舞台で演技をしながら歌うもので
すが、今回は演奏会形式ということで、舞台装置がなく、歌手は出番になるとオーケストラ
の前に出てきて歌うと形式で動きのないオペラとなっています。やはりオペラは舞台装置の
ある中で行われないと本質が発揮されません。

 個人的には、モーツァルトの「魔笛」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」
等に慣れ親しんでいるのでイタリアのオペラの中で特にヴェルディの歌劇は派手で歌手もエ
ネルギッシュに歌うタイプに属するので、どちらかというと敬遠するタイプのオペラです。

 今回は、指揮がネルロ・サンティ、キャストとしては、エジプト王:フラノ・ルーフィ、
アムネリス:セレーナ・パスクアリーニ、アイーダ:アドリアーナ・マルフィージ、ラダメ
ス:サンドロ・パーク、ランフィス:グレゴル・ルジツキ、アモナズロ:パオロ・ルメッツ、
エジプト王の使者:松村英行、女祭司長:大隅智佳子、合唱:二期会合唱団でした。

 歌手の中では、アムネリス役のセレーナ・パスクアリーニとラダメス役のサンドロ・パー
クが素晴らしい歌を披露してくれました。また日本人の松村英行と大隅智佳子もレベルは高
いと思いました。

 演奏を全曲聴いて感じたことは、ヴェルディの歌劇も聴くことができるなぁと素直に思い
ました。相対立する内容(例えば愛と死)のメロディーを同時に演奏するにもかかわらず、
双方の異なるメロディーの間で調和がとれた美しいものとなっており、ヴェルディの良さを
体感しました。ただしヴェルディの全てのオペラが好きになれるかというとちょっと違うよ
うな気がします。

 2007年11月にネルロ・サンティの指揮によるプッチーニの歌劇「ボエーム」を演奏
会形式で聴きましたが、この時も良い演奏で充実した時間を過ごした記憶があります。

 東京で活動している他のオーケストラはオペラを上演する機会が多いのに比べるとN響は
オペラを上演する機会が殆どないのでオペラ向けの演奏方法がしっくりと行かない感じを受
けていましたが、今回はそのような感じを受けることなく自然な流れのオペラを楽しむこと
ができました。これはネルロ・サンティの力量だと思われます。

 どちらにしても演奏は美しくレベルの高いものでしたので大満足でした。次回はモーツァ
ルトのオペラに挑戦してほしいと思いますがネルロ・サンティがモーツァルトが好きで振る
かどうか分かりません。

■ 愛犬「ミルク」の手術とその後!!

2010-10-11 22:13:01 | Weblog

 先日我家の愛犬「ミルク」が13歳を迎えた誕生日の2週間後に手術を受けました。ミル
クにとっては2度目の手術です。前回は動物病院に手術後1日入院しましたが、今回は手術
当日の夜に退院しました。

 今回は歯を12本抜く大手術でした。ミルクの犬種はシーズーで鼻の低い犬です。年齢が
若い時には麻酔をかけても大丈夫のようですが、特に鼻が低い犬で歳をとってからの麻酔は
危険であると言われています。

 従って獣医さんも出来るだけ手術をしない方法で歯と歯茎の治療を続けてきましたが、炎
症個所からの膿が鼻の横から出だしたり、歯の痛みで食事が出来ない状態が続いていました。
その都度注射や抗生物質を投与してその場をしのいできましたが、そろそろ限界が近づいて
くるのが分かりました。

 長い間ミルクを診てくれている獣医は最悪の事を考え手術をしない方針でしたが、飼い主
としては少しでも痛みをとって楽にしてあげたいと思っていました。今のままの獣医さんで
は手術をしてくれないので、今回思いきってそれまでの獣医さんから他の動物病院の獣医さ
んへ変えて相談したところ、相談した翌日に手術をする事になりました。

 ただし一つだけ条件があって、今後何が起きても麻酔が使えなくなるので最後の手術にな
る旨を言い渡されました。高齢になればまた手術が必要となる病気になるかも知れませんが、
今の痛みを少しでも無くし大好きな食事を食べさせてあげたいとの考え方から、最後となる
手術を承諾しました。

 手術の当日は昼過ぎに愚妻から手術が無事に終わったとのメールが来ましたが、麻酔から
醒めて正常な状態に戻るか心配でしたが、夕方6時に無事帰宅したとのメールを受けひとま
ず安心しました。

 その晩帰宅してミルクと会った時には、手術後の痛みがあるのだと思いますが、全く動か
ずじっと寝ている状態でした。特に口の周りは血の色が残っていて痛々しく感じました。出
血があり輸血したとの話も聞きました。

 手術後2~3日はちょっと辛そうでしたが、4日目ころからは今まで以上に活発に動ける
ようになり食欲も今まで以上になり安心した次第です。ミルクはどのような思いを持ってい
たのか分かりませんが、腐った歯を全て抜くことができたので痛みの原因が全て無くなった
ことからきっと喜んでいることと思います。

 言葉が通じない犬と人間の関係ですが、目やその仕草でどのように思っているかを想像す
ることはできますが、本当にそうなのかは分かりません。今回は手術が上手くいったので結
果がOKとなりましたが、全てがこのような結果になる保証はありませんので判断は非常に
難しいと思います。

 いまは、ミルクが元気で散歩に行き、そしてがっついて食事する様子を見ながら安心して
いる状況です。ただし13歳を超えているので、散歩と食事以外の時はお気に入りの場所で
横になって寝ています。

 ふとこれで幸せなのかと思うことがありますが、普通に生きていることができることが最
も幸せであると思うこの頃です。小さくそして些細な幸せが真実の幸せだと思います。合掌

■ マルク・シャガール展を観て(東京芸術大学大学美術館)♪♪

2010-10-11 21:59:10 | Weblog

 先日、上野の東京芸術大学大学美術館で開催されているシャガール展を観てきました。シ
ャガールは個人的に大好きな画家なので期待して行きました。最終日に近い日に行った関係
からか、会場は夕方だったにも係わらず多くの人が詰めかけていました。

 特に年配の女性が多いことが目につきました。シャガールのファンがそれだけいるのかあ
るいは時間があるので見に来たのか、どちらにしても最近思う事はどこへ行っても年配の女
性が多いことです。

 さて、展示内容ですが、(1)ロシアのネオ・プリミティヴィスム、(2)形と光 ロシ
アの芸術家たちとキュビスム、(3)ロシアへの帰郷、(4)シャガール独自の世界へ、
(5)歌劇「魔笛」の舞台美術 という5つの構成からなっていました。

 シャガールの他にも数人の画家の作品が展示されていましたが、目的はシャガールを観る
ことであったので他の作品はさらっと流す程度で、もっぱらシャガールを重点的に観ました。

 還暦も近くなると、残されている時間が非常に気になるので、いままでのように何事も全
てをじっくりと対応することはやめ、必要と判断するものだけに限定して観るように基本的
な対応方法を変えました。

 シャガールの全作品の中で印象に残ったのは(1)では、死者、収穫、(2)では、ロシ
アノロバとその他のものに、(3)では、緑色の恋人たち、墓地、(4)では、彼女を巡っ
て、空飛ぶアトラージュ、日曜日、(5)では、モーツァルトの歌劇「魔笛」の舞台美術で
あったので全てが新鮮に映り感激しました。

 「魔笛」の舞台美術では、どの作品も色遣いといい中に描かれた意味といい興味が益々深
まる感じでした。特に釘付けとなったのは、登場人物の衣装デザインでした。パミーナ、パ
パゲーノ、夜の女王、3人の侍女を表した作品は鉛筆、水彩、布、等を使用したものでその
色遣いや顔の表現にはこれ以上のものが無いような素晴らしい作品でした。

 またモーツァルトへのオマージュと題された作品は、黄色を基調とした中に魔笛の世界が
繰り広げられるとともに画面全体の調和がモーツァルトを表現しているように理解できまし
た。

 これらの舞台美術は、1967年2月19日にメトロポリタン歌劇場で上演されたモーツ
ァルトの「魔笛」用の舞台美術であり、美術:マルク・シャガール、指揮:ヨーゼフ・クリ
ップス、演奏:メトロポリタン歌劇場管弦楽団、演出:ギュンター・レンネルト、歌手では
タミーナ:ニコライ・ゲッダ、パミーナ:ビラール・ローレンガー、夜の女王:ルチア・ポ
ップ、ザラストロ:ジェローム・ハイネス、パパゲーノ:ヘルマン・ブライ、パパゲーナ:
パトリシア・ヴェルティンク、弁者:モーレイ・メレディスという顔ぶれであったようです。

 豪華メンバーによるモーツァルトの魔笛であり個人的には、この時の録音があれば聴いて
みたいと思っていますが、調べる限りでは世の中に出ていないようなので初めから録音され
ていないのかも知れません。

 この美術展に出掛ける前にたまたま通勤時間の時に「魔笛」を全曲聴いていたので、すん
なりとシャガールの舞台美術に溶け込むことができました。美術展へ足を運んだのが久し振
りでしたが、シャガールとモーツァルトが結びついた美術展を観ることができてとても満足
しました。

 価値あるものに出会う事は感動と結びつき、心が穏やかにまた生き生きとしてくるので充
実感を味わう事ができるものですね。感謝

■ 第1681回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-09-26 11:28:43 | Weblog

 この9月、N響定期演奏会は新たなシーズンを迎えました。昨日ですが、約3ヶ月振りに
NHKホールに出掛け、N響の演奏会を聴いてきました。今回はシューマン生誕200年と
題して全てがシューマンの曲であり、曲目は前半が序曲、スケルツォとフィナーレ作品52
とピアノ協奏曲イ短調作品54、後半が交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」でした。

 指揮はネヴィル・マリナー、ピアノがアンティ・シーララでした。ネヴィル・マリナーと
いえば、今から30数年前の学生の頃にアカデミー室内管弦楽団 (Academy of St. Martin-
in-the-Fields) との演奏が強く記憶にあります。

 その頃はバロックから古典派あたりまでの曲に取り組んでいたような気がします。その演
奏は清楚で自然な気品あるもので、安心して聴ける指揮者のイメージがあります。1924
年生まれといいますから、今年86歳です。凡夫の父親より1つ若いですが、舞台の袖から
出てくるときも非常に若々しい歩き方で年齢よりも若々しく見えますし、その指揮の内容も
しっかりとしており、70歳代の指揮ではないかと疑うような感じでした。

 演奏内容ですが、今回はN響の弦楽器が最高の出来でした。久し振りにN響の良い演奏を
聴いた感じです。また木管楽器ではオーボエが素晴らしい音色でした。ネヴィル・マリナー
の力だと思いますが、どの曲もバランスがとれた内容で全ての音がクリアーに聴こえました。

 一方で、全てがシューマンの曲であったのが良かったのかもしれません。曲を聴くにつれ
てシューマンの世界にどんどん入っていく感じがあり、指揮する側、演奏する側、聴く側か
らしても充実したものになる確率が高いと思われます。人によってはいろいろな作曲家の作
品を混ぜた方が面白いという意見もありますが、個人的には今回のような一人の作曲家の作
品を取り上げる演奏会のスタイルが好きです。

 今回演奏された3曲とも演奏内容は充実していましたし、満足感のある演奏会でした。ピ
アノ独奏のアンティ・シーララですが、初めて聴くピアニストでしたが、今年31歳の若い
ピアニストであるにもかかわらず、基本がきっちりと出来ておりどちらかというとベートー
ヴェンやブラームスのようながっちりとした構成の作品に合っているピアニストだと思いま
したが、一度モーツァルトの作品を聴いてみたいと思いました。鳴りやまぬ拍手の中でアン
コールがなかったのが少し残念でした。

 3曲の中ではシューマンの交響曲第3番は最高の出来でした。ネヴィル・マリナーがこの
ような演奏をするのかと思えるほど素晴らしいものでした。特に第4楽章は心を揺さぶるも
のがありました。何度も聴いている曲でしたが、何故かレクイエムのような重厚で心の底に
響きわたるような感じを受けました。

 ゆっくりと幅広く広がる感じで、混沌とし真っ暗やみの中で自分自身がこれから進むべき
道を見出すような試練の中にいるといった感じでした。最後に闇の中に月の光が差し込み自
分の行く先がはっきりと見えたそんな感じを受けました。シューマンを聴いてこのような感
じ方をしたのは今回が初めてのことでした。

 久し振りに満足感に満たされ、NHKホールを後にしました。これからの季節は芸術の秋
ですで、毎回このような演奏会になると良いのですが・・・

■ 生物多様性の重要性を再認識する必要がある!!

2010-09-23 17:32:44 | Weblog

 最近、生物多様性という言葉が目に付くようになってきています。生物多様性はどちらか
と言うと環境問題に近い感じを受けますが、その扱う範囲は広くまた重要性は非常に大きい
ものがあります。

 来月には名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が開かれます。
この会議には、世界193の国・地域が参加し、総勢8千人を超える政府関係者やNGOが
集まる大きな会議なのに、いまひとつ認知度が低い状況にあります。

 非常に重要なテーマであるにも係わらず、世の中の人は無関心であることが不思議で仕方
がありません。マスコミが積極的に取り挙げていないことにも一つの要因があるように思え
ます。くだらないゴシップ関連の話題を取り上げるのではなく、地球上の生物の存続に係わ
る大きな問題であるから、真剣な取り組みを行って欲しいと思います。

 この地球上には、科学的に明らかにされている生物種が約175万種、未知のものも含め
ると3,000万種とも言われる生物が暮らしているそうです。これらの生物は、ともに何
らかの係わりあいを持ちながら生きており、約40億年もの進化の過程でこれらの環境に適
応することで、多様に分化したのです。人間も当然この地球に住む一つの生物に過ぎないが、
人間による身勝手な行動によりこの生態系に大きな変化が出始めているのです。

 さらに現代は恐竜の絶滅以来の第6の大絶滅時代にあるとも言われています。しかも、1
年間に約4万種と言われる現在の絶滅のスピードは、恐竜時代の絶滅速度よりはるかに速い
のです。このままの状態が続くのであれば、この地球上の生態系が崩れれてしまいます。こ
のようなことが起こらないように調整するのが今回の会議の大きな目的です。

 全ての生き物は、バランスを保ちながら成り立っているのに、何らかの原因である一つの
生態系が崩れると連鎖的に全体のバランスが崩れてしまうのです。風が吹けば桶屋が儲かる
的な連鎖が発生するのです。何事もバランスが大切であると思います。このバランス感覚を
十分に発揮し、全体が調和のとれた世界になるように取り組むことが大切だと思っています。

 極端な言い方をするとこの地球上の生き物で、何一つ不必要な生物はいないのです。たと
え小さな生き物でもこの地球で生きることが必要とされ、それらを守らなければならないの
です。そして、未来の世代に地球の多様ないのちの豊かさを残すための努力を行う必要性が
あるのです。

 生物多様性の考え方は、仏教の教えに非常に近いものがあり個人的にはすんなりと受け入
れることが出来ます。全ての命を大切にすることが仏教の基本としてあります。極端な言い
方をすれば道端の石ころにもこころがありいのちがあるという考え方です。

 これからでもまだ間に合います。我々の周りの自然を破壊しないようにバランを保ちなが
ら生態系を守る努力を行う必要があります。そのためには人間の心をそのようなものにする
必要がありますが、果たして全ての人がこのような心を持つことが出来るのか不安が残りま
す。

 私たち人間は、有限の地球で生きておりさらに互いにつながりあい、支えあって生きてい
る多様ないきものの一部です。もっと謙虚になり、他のいのちを守りながら自分のいのちを
も生かすという考え方を貫き通す必要があると思うこの頃です。

■ 奈良の古寺と仏像展 ~會津八一のうたにのせて~ を観て♪♪

2010-09-18 15:18:40 | Weblog

 先日、東京日本橋の三井記念美術館で開催されている、奈良の古寺と仏像展を観てきまし
た。この三井記念美術館は、日本・東洋の優れた美術品を収蔵している三井文庫別館が、日
本橋に移転し平成17年10月に開設された新しい美術館です。今回の展示会は、平城遷都
1300年を記念する特別展で、奈良の寺院に祀られる国宝、重文を含む優れた仏像を集め
たものでした。

 美術館は、夕方に行ったにも係わらず多くの人が来ていたのには驚きました。これが仏教
ブームの影響なのかと思いました。展示会場内には50体ほどの仏像がありましたが、素晴
らしいと思った仏像は残念ながらありませんでした。その時の観る側の心の状態が乱れてい
たのかも知れません。

 しかし興味を持った仏像としては、かつて奈良西大寺の五重塔に安置されていたと伝わる
釈迦如来・阿弥陀如来・室生如来・阿閦如来の4体がありました。奈良時代の後半から平安
時代の初期にかけて作られた4体でどの仏像も穏やかで清楚な暖かさをもった仏像でした。

 また、美術館のガラスケースの中に座した仏像は拝む対象の仏像ではなく、美術品として
観る対象に変わってしまっているのが少し残念です。詳しいことは分かりませんが、このよ
うな美術展に仏像を出展する場合は、事前に魂を抜いて持ってくるのだと思うので、これら
の影響があって何か足りない感じを受けるのかも知れません。

 一般的に寺の本堂に置かれている仏像を拝む時は、やはり何かしら仏像から出ているエネ
ルギーのようなものを感じられますが、都会のビルの中のさらにガラスケースの中に入れら
れた仏像はどうしても観る対象となってしまいこちらからのエネルギー放出の方が多いと思
います。さらに、その場に立ち尽くして観るということは出来ないのと、展示ルートに沿っ
て観なければならないとの制約があることから疲れてしまいます。

 今回の展示会に行って感じたことは、仏像は本来あるべき寺で心静かに拝顔し祈る行為が
最も大切であり、単なる美術品として観るべきものではないと思われました。
                                    合掌

■ 愛犬ミルクと人生の最終ステージに向けて!!

2010-09-18 11:50:38 | Weblog
 時々このメルマガに登場する我家の愛犬ミルクですが、今月7日に満13歳の誕生日を迎えました。この日は、年に1回だけ上質の牛肉をもらえるミルクにとっては唯一の日なのです。中型犬の13歳は、人間に換算すると70歳を超えた状態に相当します。確実に飼い主の年齢を抜いてしまいました。

 昔はやんちゃで人なつっこいミルクでしたが、今は散歩と食事の時以外は、自分の好きな場所でほとんど寝ています。最近は耳が遠くなってきたようですし、人間で言う認知症のような行動が時々見受けられるようになりました。散歩中に自宅へ帰る道を迷ったり、あるいは立ち止まってどちらに行ったらよいのかを思案しているような行動が多くなりました。確実に歳をとった証拠です。人間社会で病院に老人が多いのと同じように、毎週のように獣医さんのところへ行き薬をもらっている状況です。

今年の猛暑の時は大変でした。昨年まではクーラーを使わずに過ごしていましたが、今年のあの暑さは老犬ミルクには耐えられない環境であったので、朝から毎日我家のクーラーはフル回転の状態でした。ミルクのお陰で今年は例年と異なり、猛暑にも関わらず快適な環境で過ごすことができました。全ての命は永遠に続かないのでいつかはミルクも見送らなければなりませんが、最期まできちんと守ってあげようと思っています。これまでミルクからはいろいろな力をもらったので、それ以上のことをしてあげたいと思います。

 年齢と密接に関連することとして世代交代があります。家庭でも会社でも世の中でもいつまでも同じ体制が続くことはありえないことです。必ず変化が生じるものです。この変化をスムースに行う事が理想とされることです。何事も早めに手を打ちながら対応することが大切です。60歳を超えたら自分の好きなことをしながら世の中に何かをお返ししたいと考えています。そのためには、現在の仕事の内容を次の人に引き継ぐことを少しずつ始めないと円滑に組織が動きません。これからは1年以上をかけてこの世代交代のための動きを始めたいと思います。

さらに年金がもらえる65歳までの5年間をどのような生活スタイルにしたらよいかも考えなければなりません。この5年間は専門学校で今まで身に付けた知識を次の世代の若者に教えたいと思っていますが、少子化が進み18歳人口の減少で教育機関の経営も大変な時期を迎えているようです。よってこのような仕事に就くことが現時点では非常に難しいようです。しかし、教える仕事に就くという長年の夢を実現するために、今からいろいろな係わりを持ちながら着実に進めたいと考えています。

 そして70歳を超えるまで生きることが出来るのであれば、70歳以降の時間は人生のおまけ的な位置付けで、毎日が日曜日のスタイルでモーツァルトを聴きながら好きなことをのんびりと行う時間を過ごしたいと考えています。そのような時を迎えた時には、今のミルクの気持ちがわかるかもしれません。人生は長いようで短くもあり、また短いようで結構長いのかも知れません。要は、気の持ちようだと思います。