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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 攻めと守りと経営スピードの功罪!!

2010-08-02 16:57:58 | Weblog

 6月中旬から7月末までの1ケ月半は、個人的にちょっと大変な時期でした。今までの価値観やルールが変わり、それに対応せざるを得ないような事態に直面しました。凡人というのは、悲しいかな慣れ切った状態をいつまでの続けたいと願うものです。そして情けないことですが、結果的に保守的になりやすい人種です。

 一番厄介なのは、新たな相手から提示されるものが論理的に正しいことに対して、今まで行ってきたことをどのように正当化するかが問題です。世の中は、論理的に正しいものばかりで構成されていないことは誰もが経験から知っていることですが、論理的に正しいことを行っていないことに対する言い訳ほど、難しいものはありません。

 このような状況において、優位に立つのは攻める側で、最も辛いのが守る側です。凡夫はこの守る側の位置づけに立ちながら今回対応しました。自分でも情けなくなりますが、自分が行ってきた結果に対して指摘されるのですから、それ相応の対応をしないと、攻める側も納得しないのが世の中の流れです。

 ここで問題となるのは、自分自身にどれだけの責任があったのかが焦点となります。自分が招いた結果によるものであればそれなりに意見や背景の考え方を説明できますが、自分が関わっていないことに対しては、なんとも言えません。それでも攻める側が手を緩めない場合は、誰もが切れてしまう状態に陥ると思います。

 世の中ではいろいろなことが起きますが、何事も急激に変えたりあるいは全てを否定するような行動にでることだけは避けるべきだと思います。確かに正しい方向に導くために、いままでの価値観やルールを変えることは正しいことですが、それらを一挙に行うといろいろな面で支障をきたします。

 地道にじっくりと変化させながら目的を達成するのが、最も良い方法ではないかと思っています。今の世の中はスピードが命であると経営者達が断言し、突き進んでいる時代です。これらは、単なる競争面の迅速性のみに偏った考え方です。本当にスピードが必要なのか誰ひとり立ち止まって考えている人がいないように思われます。これらの背景には、理論的な面では米国のMBAに代表される経営学の影響であり、また国の力強さの面からみると新興国のなかで特に中国やインドの台頭がスピード偏重の大きな要因となっています。

 スピードをあげて駆け抜けたその先に、一体何があるのかをまるで考えていない感があると言わざるを得ません。過去の時代のように、ゆっくりと時が流れる様を、確実に自分自身で実感することが必要であると考えます。スピード偏重主義は、人間の生き方に大きな悪影響を及ぼす恐れがあることを、今一度冷静に考える必要があると思います。

 この1ケ月の間、いろいろなことに遭遇しましたが、最後は自分自身の考え方がしっかりとしているかが大きな要因となることを再確認した次第です。特に攻めより守りの重要性と確実性、スピード経営偏重より人間重視が大切であることを個人的に確認したこの1ケ月でした。

■ 小澤征爾復帰のニュース♪♪

2010-08-02 16:08:10 | Weblog
 昨日NHKニュースを見ていたら今年1月に食道がんを公表し、活動を休んでいた指揮者の小沢征爾が音楽活動を再開したことについて伝えていました。久しぶりにマスコミの前に登場したマエストロ小沢は、髪がかなり薄くなり闘病の疲れなのか昔に比べるとエネルギッシュな面が弱くなり、全体として慈悲に満ちた観音様のような印象を受けました。

ニュースでは、学生オーケストラに対して音楽指導をしている様子が放映されていましたが、流石に指揮をしている時の目は、昔と同じように深く見通す力がみなぎっているものでした。従ってその指揮から流れ出てくる音は、小澤征爾の音楽そのものでした。

食道を全て摘出し、その分胃を持ち上げたとのことでまだ万全の態勢ではないのにも関わらず、今回のようにどうしても音楽を遣りたいという強い心があるからこそ病を克服し、このような機会に復帰することが出来たのだと思います。

家族に支えられたとの発言がありましたが、人間はどのような場合でも人に支えられて生きていることに変わりありません。一人では生きられないのです。先般まで、世界の最高峰であるウィーン歌劇場の音楽監督を務め、日本だけでなく世界の音楽のレベルを上げた功績は大きいと思います。

これからは、世界だ日本だというようなことに拘らず、もっとゆとりをもった状態で音楽に取り組んで欲しいと思います。現在は世界中で若く優秀な指揮者が出てきている状況を考慮すると、バーンスタインが取り組んだような教育プログラムに力を入れ、後世に優秀な人材を育てることが今後もっとも大きなミッションになるもと思われます。

いままで詳しい情報が流れてこない状態でしたが、昨日の小澤征爾の復帰に関するニュースは、音楽ファンには良いニュースでした。
演奏会への正式な復帰は9月5日に長野県松本市で開催される、サイトウ・キネン・フェスティバルの「オーケストラ・コンサート」プログラムだそうです。

今後は今までと異なったマエストロの味わい深い演奏を期待したいと思います。

■ 南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団3夜連続演奏会を聴いて♪♪

2010-06-19 23:27:10 | Weblog

 先週の8日から3日間、すみだトリフォニーホールで開催された、南西ドイツ・フィルハ
ーモニー交響楽団による「モーツァルト/ザ・テン・イヤーズ・シンフォニーズ1778-
1788」と称する3夜連続の演奏会を聴いてきました。全てモーツァルトの交響曲を3夜
連続して聴けるのですから、モーツァルト大好き人間の凡夫にとっては最高のイベントでし
た。

 この3日間は就業のチャイムが鳴ると同時に会社を出て、すみだトリフォニーホールへ向
かいました。個人的にすみだトリフォニーホールで聴くことはこれまでにほとんどなかった
ので、ホールの音やまた今回初めて聴く南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団の演奏にも
大きな期待を寄せていました。

 指揮者は、ヴァシリス・クリストプロスで指揮者もオーケストラも全てが初めての経験で
した。3夜連続して同じ席で聴きましたが、大満足の演奏会でした。知らないオーケストラ
だからと馬鹿にしてはならないことが、今回の演奏会で身にしみて感じたところです。

 初日は、交響曲第31番ニ長調「パリ」K.297、交響曲第38番ニ長調「プラハ」K.
504、交響曲第34番ハ長調K.338、交響曲第39番変ホ長調K.543の4曲でし
た。

 2日目は、交響曲第35番ニ長調「ハフナー」K.385、交響曲第33番変ロ長調「プ
ラハ」K.319、交響曲第37番ト長調K.444、交響曲第40番変ト短調K.550
の4曲でした。

 最終日は、交響曲ニ長調、交響曲第36番ハ長調「リンツ」K.425、交響曲第32番
ト長調K.318、交響曲第41番ハ長調K.551の4曲でした。

 全体的に音色がレトロに聴こえたことと、とても歯切れの良い演奏スタイルでありモーツ
ァルトの時代にはこのような演奏だったのではないかと思えました。また、弦楽器の演奏技
術が非常に高いオーケストラだと思いました。

 今まで、一流のオーケストラによるモーツァルトの演奏を聴いてきましたが、今回の演奏
はとても緊張感があり演奏者同士ならびに演奏者と指揮者の間の気迫を伴った演奏は本当に
素晴らしいものでした。

 ただ一つだけ面白くなかったのは、交響曲37番ト長調K.444ですが、これはミヒャ
エル・ハイドンの作曲で序奏部分のみがモーツァルトの作曲であったことです。やはり聴い
ていてモーツァルトの作品と異なることがはっきりと分かるもので違和感を感じました。

 3夜ともアンコールが演奏されましたが、初日が交響曲第39番ハ長調の第四楽章、2日
目が歌劇「フィガロの結婚」序曲、最終日が交響曲34番ハ長調の第二楽章が演奏されまし
た。

 こじんまりとしたオーケストラでしたが、演奏の実力は非常に高いものがありました。ド
イツの小さな美しい街並みがぴったり合うような清楚な音色のオーケストラの印象を受け、
ただただ脱帽の演奏会でした。

 翌週にダニエル・ハーディング指揮、スウェーデン放送交響楽団でモーツァルトのレクイ
エムを聴きに行きましたが、あまりにもハーディングの誇張的なモーツァルトのレクイエム
でがっかりしました。それに比べると今回の南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団と指揮
者のヴァシリス・クリストプロスは、最適の組み合わせであり、今後注目する必要があると
感じたところです。

■ 探査機「はやぶさ」本日の23時に地球に帰還予定!!

2010-06-13 17:33:52 | Weblog

 最近日本の世の中が閉塞感にどっぷりと浸かり活気が無ありませんでしたが、2003年5月に鹿児島県から打ち上げられ、地球と火星の間にある小惑星イトカワを目指した探査機「はやぶさ」が、途中で発生した多くの難関を何とか切り抜け、本日の23時頃に地球に帰還することがほぼ間違いないようです。

 以前のニュースで重要機器の故障や通信途絶、エンジン停止などのトラブルが発生したことを聞くたびに、無事に地球に戻れることはないだろうと勝手に決め付けていましたが、このプロジェクトに携わっている人々の熱い情熱が無機質の探査機「はやぶさ」の機械装置に伝わり、起こるはずがないと思われる奇跡が何度も起こり、何と故郷の地球に戻ってくるというニュースを聞き、何故か自分に失いかけていた熱い思いが込み上げてくるものがありました。

 若いころは、何事も諦めた時点で失敗が確定する。よって諦めずに続ければ必ず成功するという根性論に近い考え方で行動していた時がありましたが、いつしかそのようなロマンの心が少しずつ薄れて行き、現実しか見ないさらに損得で物事を判断する企業経営の考え方に染まってしまった自分がありました。

 しかし、世の中は捨てたものではないと思えるのが、今回の探査機「はやぶさ」のプロジェクトです。当初計画から3年遅れの2010年の今晩、約7年に及ぶ宇宙の旅を終えて地球に戻ってくるのです。探査機「はやぶさ」の本体は大気圏突入時に燃え尽きてしまいますが、小惑星イトカワの砂ぼこりなどが入っていると期待されるカプセルは、本日19時51分に分離され、22時51分に大気圏に突入し23時過ぎにオーストラリア南部、ウーメラ地区の砂漠に落下する予定だそうです。

 大きなミッションをやり遂げた探査機「はやぶさ」の本体は、大気圏で燃え尽きてなくなり、本当に大切なものは耐熱のカプセルで守られて大気圏を通過し、最後はパラシュートを開き地上へ帰還するとのことです。それぞれの役割をきちんとこなし、次にその役目を引き継いで消えて行く様は、本当に感動的です。どちらかというと武士道に通ずるものがあるように思えます。

 きっとこの辺の感情に関しては、外国人には理解できない感情のエリアであると思います。日本という国は、人を宇宙に送り込むような大きなプロジェクトには適しませんが、今回のような小さなものをきちんとやり遂げることは向いていると思います。今回の探査機「はやぶさ」には、推進エネルギーの元となるイオンエンジンが積まれていますが、度重なる故障を綱渡りで切り抜け、最後の最後に故郷に戻すことを可能にしたプロジェクトのチームワークにはただただ脱帽です。

 そして、まだまだ日本は捨てたものではないと思う事が出来るようになりました。自分としても探査機「はやぶさ」プロジェクトに負けないように、日本人の持つ粘り強さを武器に、これから先も諦めずに何事にもチェレンジしようと思いました。

 探査機「はやぶさ」プロジェクトの関係者の皆様!!もうあと少しです。気を緩めることなくプロジェクトを成功させ、美酒をたらふく飲んでください。探査機「はやぶさ」帰還の感激を頂きありがとうございました。 合掌

■ 死生観に関して!!

2010-06-06 11:25:11 | Weblog

 先日、山折哲雄著の日本人と「死の準備」という角川SS新書を読みました。久しぶりに
充実した内容の本を読んだ感じがしました。いままで漠然としていた死ぬことに関してその
意味を明確にし、現在の日本人に欠けている死生観を分析した内容です。若いころにこのよ
うな本に出会っていたら、少しは人生の生き方が変わったのではないかと思える内容です。

 昔は人間の死は自宅で迎えるのが全体の8割程度あったものが、最近は病院でその人の死
を迎えるのが8割を超えているといいます。それは、命を少しでも現代の医学で延命させる
試みを行う結果から生じるものです。

 昔は自然に命が枯れて行くように死を迎えるのが普通であったことが、中途半端に科学が
進歩したものだから命を延ばすことが正しいことで、どのような場合でも延命させるという
考え方が余りにも定着したことから、結果的に多くの人が苦しみをともなって旅立って行く
ような場面が多くなった感じがします。

 医者の使命は少しでも生きながらえるようにすることなのでしょうか?原因が病気なのか
不慮の事故なのかは別にして、一つの事実としては、人間は必ず死を迎えるのです。どんな
に頑張っても遺伝子上の制約で120歳程度までしか人間は生きられないのです。

 有限の命であるのに、死に直面すると医者は使命感に従ってどうして延命させるのかわか
りません。極端な考え方ですが、自然に死なせることも一つの大きな生き方であると思いま
す。しかし、いざそのような場面に直面するとほとんどの人が延命を選択する行動になると
思います。

 いま日本人に欠けているのは自分の死に方を考えていないことだと思います。そろそろ還
暦に近づいている自分を考えると、人生の半分以上はすでに終わりあとは自分の人生を如何
に悔いが残らないようにするかを考えながら自分の残りの人生を設計し、それに従って生き
ることだと思います。この死を目標とした人生設計が出来ていないことと、死というものを
きちんと自分の中で整理し認識することが出来ていないことが最も大きな問題だと思うので
す。

 これらは自分の身の回りで死という現実に接する機会が極端に少なくなっていることと、
死生観に関する教育が行われていないことに起因しています。学校教育で死生観を全て身に
付けることは難しいことです。家庭でこそ行うべきものだと思いますが、昔のように自宅で
最期を迎える割合が極端に少なくなってきていることが原因で、人の死に方を身近で体験で
きないことが問題です。

 死にゆく姿をしっかりと見せることが年寄りの仕事であり、それを観ながら死とは生きる
とはを考え自分の番が来たらそれらを実践し、次の世代に繋げることが大切なことだと思い
ます。そのためにも自分の死生観を確立する必要があります。生きることの意味やその根底
にあるものをしっかりと考える宗教が必要だと思うのですがいかがでしょうか?  合掌

■ 第1676回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-06-06 00:26:18 | Weblog
 昨日の土曜日にN響の定期演奏会に行って来ました。指揮はウラディーミル・アシュケナージで演奏曲目が全てドヴォルザークで、前半がチェロ独奏デーヴィッド・コーエンによるチェロ協奏曲ロ短調作品104、後半が交響曲第8番ト長調作品88でした。

アシュケナージが指揮した演奏会で、いままでに満足した演奏会はほとんどなかったので期待せずに出掛けましたが、今回は従来と異なりN響の歴史の中でも記録に残る名演奏であったと思います。このような場を共有することができたことは、幸せだと正直に思う程の内容でした。

前半のチェロ協奏曲ですが、独奏者のデイヴィッド・コーエンが素晴らしい演奏を披露し、優れたチェリストであることを証明したような内容の演奏会でした。コーエンは、ベルギーのトュルネで生まれ、9歳にしてベルギー王立管弦楽団とソロデビューを果たすなど幼少のころからその才能を発揮していた演奏家です。特にユーディ・メニューインとロストロポーヴィッチから直接指導を通じて、持ち味の音楽性にさらに磨きをかけ、素晴らしい演奏家に成長しました。

今回の演奏会においても、とても美しい音色とともに心がこもった音楽の流れに、ただただ聴き入るだけでした。彼の楽器は1735年製ドミニクス・モンタニャーナで、小さな音から大きな音まで滑らかに流れ出るだけでなく、どこか上品さがこもっている感じを受けました。

バックで演奏したN響ですが、バランスが取れた演奏で久しぶりに満足できる内容でした。鳴りやまぬ拍手にコーエンは、カタロニア民謡「鳥の歌」をアンコールとして演奏しました。大きなNHKホールの隅々にまで「鳥の歌」が浸み渡るように流れ、時間を忘れ何故か極楽浄土に居るような錯覚さえ受けました。この世のものとは思えぬ不思議な音色に包まれ至福の時を過ごしました。

後半は、交響曲第8番ト長調で、曲の構成とその内容から一般的に良い演奏に恵まれる曲ですが、指揮がアシュケナージなので、諦めていましたが、今回の演奏は、非の打ちどころがないような充実した演奏でした。特に全体のバランスが完璧であったことと、全ての音がきちんと聴くことが出来たのは、取りも直さずバランスが取れていることを示しています。

管楽器のトランペットから木管楽器のクラリネットへ音がスムーズにフェードアウトしたり、ホルンが全体の演奏をメリハリを付けるように支えたり、またチェロとビオラが中低音部分で音の膨らみをサポートしたりと、それは素晴らしい内容でした。管楽器ではトランペットとホルン、木管楽器ではクラリネットとフルートの出来が特に良かったと思いましたし、弦楽器も従来以上に素晴らしい内容でした。

指揮者のアシュケナージですが、従来は演奏内容がいまいちなのですが、今回だけは脱帽しました。何しろ全体の構成においてバランスが取れていたことにより、聴く側の心にいろいろな感動を引き起こすことが出来たと思います。いままでにいろいろな指揮者による交響曲第8番を聴きましたが、今回の演奏が最も素晴らしい内容であったと断言できる出来栄えでした。幸いにも後日に放送するために収録が行われていたので、確実に録画しようと思いました。

久しぶりに感動した演奏会で、N響の実力を見せつけられました。皆さんも後日放送される番組で、今回の演奏の素晴らしさを味わっていただければ幸いです。久しぶりに満足感とともにNHKホールを後にしました。

■ モーツァルト・マチネ第1回を聴いて(東京交響楽団モーツァルトプレイヤーズ)♪♪

2010-05-30 11:47:07 | Weblog
 昨日、ミューザ川崎シンフォニーホールで開催された東京交響楽団モーツァルトプレイヤーズによるモーツァルト・マチネ第1回を聴いてきました。モーツァルトばかり4回の演奏が聴けるのでとても楽しみにしている演奏会です。

このモーツァルト・マチネは来年の3月までに計4回開催されるもので、今回が第1回でした。今回の演奏は、指揮がユベール・スダーンで、演奏曲目が、交響曲第1番変ホ長調K.16、オーボエ協奏曲ハ長調K.316、交響曲第36番ハ長調K.425の3曲でした。

今回注目した曲は2曲目のオーボエ協奏曲です。独奏は東京交響楽団の首席オーボエ奏者の荒絵里子でした。独奏者の荒絵里子ですが、2004年に東京音楽大学を卒業し、第73回日本音楽コンクールにて審査員満場一致で第1位を受賞するとともに岩谷(聴衆)賞、E.ナカミチ賞受賞しその後は国内の主要オーケストラと共演するなどし、2009年4月より東京交響楽団首席オーボエ奏者となった才能ある若手の演奏家です。

東京交響楽団の演奏は、これまでに何度も聴いてきましたが、いつも思う事は弦楽器が弱い印象を受けます。低音の弦楽器は気になりませんがヴァイオリンが輝いた音楽を奏でてくれません。1946年に創立したオーケストラですので、そこそこの歴史あるオーケストラなので、もう少し充実感のある演奏をしていただけたらと思っています。

今回の演奏も過去の演奏と同じ印象を受けました。指揮者のユベール・スダーンの指揮内容を観ていると特に問題なくモーツァルトに対する思いが全体に出ており、このように演奏するのかと新鮮さを感じる個所が何回もありました。とても好感が持てる指揮者です。多分ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の音楽監督を13年間行っていた経験が根底にある感じを受けました。

オーボエの荒絵里子ですが、とても綺麗な音色を表現する演奏家だと感じたのが第一印象でした。また独自の演奏スタイルがあって、若者にもかかわらず感心しました。カデンツァも普通のものと異なっていた感じを受けました。演奏技術は安定していて、聴いていて不安になることがありませんでした。裏を返せば、才能がある証拠だともいえます。

ただ一つ意地悪な意見を述べるとすれば、優しさの中にある厳しさが少なく、スパイスが少し効いていない感じを受けました。これは、これからの経験でいろいろなスパイスを使えるようになると思います。オーボエは池田昭子だと思っていましたが、その後を追う形になる演奏家であるとの印象を持ちました。

曲自体の話ですが、オーボエ協奏曲でけでなくモーツァルトの協奏曲の全体に関して言える特徴ですが、低音から高音へ音符の階段を流れるように駆け上がったかと思うと、現在の音から2オクターブジャンプしたり、あるいはその反対に下がったりと自由自在に飛び回りながら、心の動きを表現しています。また、強弱による繊細な表現をしたかと思うと音を美しく引き伸ばし無限の世界へ誘いでくれたり、大きな宇宙を自由自在に感じることができます。このようなところがモーツァルトの一つの魅力だと思います。

当日の演奏内容を全て聴いた感想ですが、荒絵里子の演奏が素晴らしかったのでオーボエ協奏曲が最も良かった思いました。次が交響曲36番でした。特に36番はモーツァルト生誕250年の際にリンツを訪れ、モーツァルトが立ち寄った館へ行きましたが、その時の館やリンツの街並みを思い浮かべながら聴きました。

次回の演奏会では、ヴァイオリンが良い演奏を奏で本来のモーツァルトの世界を表現してほしいと思いました。

■ 映画「RAILWAYS」(49歳で電車の運転士になった男の物語)を観て!!

2010-05-30 10:24:33 | Weblog

 先日、映画試写会で「RAILWAYS」(49歳で電車の運転士になった男の物語)を観てきました。映画のストーリーは分かっていましたが、いざ映画が始まると何度も自然に涙が出てきてしまい、自分としては恥ずかしい思いをしながらも真剣に映画を観ました。歳をとると涙腺が緩んでしまうといいますが、正にその通りで久しぶりに泣きました。

話は、単純明快なのですが全体の自然な流れの中で、本来人間として持っていなければならないもの、大切なものはなになのか、家族ってなんなのか、人生の幸せって何なのかを改めて考えそして認識することができる内容でした。

誰が見ても異論が無いと思いますが、実際に自分にこのような状況が降ってきたらどうするかを真剣に考えるべきだと思います。個人的には、会社人間からある年齢を過ぎたならば自分の正直なそして素直な人生を過ごすべきだと考えていますので特に共感した次第です。

映画の主人公は、会社のリストラを企画推進する中心人物として、何ら疑問を持たずにそれが正しいことであると信じてリストラされる同期の工場長に切々と語り理解を求めましたが、人間的な生き方を忘れかけている主人公に対して同期からは理解を得られなかったのです。

しかし、その同期の工場長が不慮の交通事故で亡くなってしまったことを契機にして人生とは何なのかを考え始め、そして生まれ育った故郷の電車の運転士になることが子供のころからの夢であったことが、心の底からじわじわと熱い情熱として込上げて、ついには会社の約束されていたポストを蹴って49歳にして故郷の電車の運転士になる話です。

これらの過程の中で、忘れかけていた、家族とは、親とは、地域の人とは、自分の人生とは、を問いかけながら小さなころの夢の実現を通じて暖かく、そして人間として立派にまっとうする生き方が示されていました。

全体を通して感じたことは、人間としての暖かさでした。全ての人がこのような考え方で生きていけば、日本の世の中もまた地球規模で考えても気持ちよく行動できると思いました。

現代の多くの人が忘れているものに、今回の小さな時の夢があるのではないかと思います。個人的ですが、あなたの夢は何ですか?と尋ねられれば、学校の先生になることですと素直に言える今の自分がいますし、今回の映画を観てさらにその想いが強くなり実現に向けて頑張ろうと気合を入れ直したところです。

「好きなことをするのが一番の親孝行」と言う母親の発言の中に、素直な真実が隠されていると思いました。RAILWAYSは正に人生の線路だと思います。皆さん是非ともこの映画を観ていただき、清々しい涙を流していただければと思いますし、一人でも多くの人がこのような考え方で行動に移すと日本の国が変わるとも思いました。