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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

左足麻痺に対する母のリハビリ開始!

2018-08-11 14:32:42 | Weblog
 今年の3月末で退職し4月からは世間で言われている毎日が日曜日の状態になっています。ただし、一日の内で半分以上は認知症の母親の介護に時間を費やしているので、自分のために時間を使えるのはごく限られているのが現状です。
 このような状態の中で、先月の中旬に母が脳出血で倒れ、左足が麻痺し現在歩けない状況となりました。出血した場所がたまたま右脳の上部であったので、言葉による意思疎通はできるので助かりました。
 本人は歩けなくなったことがショックのようで、これからどうしたらよいか悩んでいる状況です。幸いなことに来週にリハビリ専門の病院に転院が決まりました。母には積極的にリハビリを行えば歩けるようになるよと話しても本人は疑心半疑です。
 母にとっては来週から歩けるようになるためのリハビリとの戦いが始まります。頑張って欲しいと思います。  合掌

ポケモンGOを始めました

2018-08-05 11:14:02 | Weblog
 退職する直前にガラケーからスマホに替え、人並みの情報装備に追いつきました。従来は電話機能のみを使用し特に不便を感じなかったため、スマホでのアプリ使用に戸惑いを感じています。必要なものは何か、使用して安全なのか、個人情報の取り扱いはどのようになっているのか等不明な点が多いまま使用しているのが現状です。
 現時点で使用しているアプリは、SNS、ニュース、天気、乗り換え、カレンダー、電子書籍、新聞、地図等の情報です。退職した凡夫が使用するアプリは毎日使用するものは殆どなく、必要になった時に開く程度です。
 多くの方が楽しんでいるゲームは、一切やったことがありませんでした。ところが、先日ひょんなことからポケモンGOのアプリを見つけダウンロードし、遊び始めました。外出した時にその土地を歩きながらポケモンを探し集める楽しみができました。ポケモンGOの本来のゴールは何なのか分かりませんが、すべてのポケモンを集めることができたら面白いなぁと思うこの頃です。
 これで少しはスマホの利用頻度が高くなりそうです。 合掌

猛暑の中で考えたこと

2018-08-03 12:55:36 | Weblog
 今年の暑さは異常だと思います。凡夫のこれまでの人生の中でこれ程暑い夏を経験したことはありません。30年に一度の異常気象だと巷で言われてますが、本当の危機のことを誰が声を大にして語ってくれているのでしょうか?
 凡夫が学生の頃、ローマクラブ「人類の危機」レポートである「成長の限界」(1972年)を読み、危機感を持ったことがありました。自分でもいたずらでシステム・ダイナミクスの手法を使ってモデルを組みシュミレーションしたことがありましたが、情けないことに凡夫はさらに一歩を踏み出すことなくそこで止まってしまいました。その後、1992年に「成長を超えて」、2005年に「成長の限界 人類の選択」が発表されましたが、凡夫はこれらのことに気づきもせず毎日平々凡々と生きていました。
 異常なのは気象だけではありません。政治も経済も国家も人権もほとんどの分野で問題があるにも関わらず、自利を優先とし他利を考えずに進める情けない状況になっています。凡夫も含め、要するに自分さえよければよいという考えなのでしょう。今生きていられるのは、過去に築き上げてきた人々の人生の積み重ねがあってのことです。今を生きる人が問題解決に立ち向わずにこのまま見過ごしてしまうと、未来の人間が生き延びることが難しい状況になると思われます。
 このような思いが突然頭に浮かんできたので、先ほど地元の図書館から「成長の限界 人類の選択」を借りてきて読み始めたところです。母親の介護の合間に読みながら現状を把握し、凡夫としてこれからなすべきことを考えたいと思いました。 合掌

自転車の運転マナーの悪さ

2018-07-30 09:52:18 | Weblog
 最近毎日のように車を運転するようになり、自転車の運転マナーの悪さに閉口することが多くなりました。車道の脇に自転車の走行ラインが描かれているにも関わらず、それをはみ出し車道に割り込んで来たり、二台の平行走行を行ったり、赤信号にも関わらずそのまま信号を無視して直進するなどマナーの低下には目に余るものがあります。
 特に赤信号無視は危険です。先日もたまたま通りかかったパトカーから「そこの自転車、信号を守りなさい!」と注意されてもそのまま走り続ける強者が後を絶ちません。
 そこで、個人的なアイデアですが、「そこの自転車、信号を守りなさい!」と録音したメッセージを違反の自転車に対して車から音声を流す仕組みを作って対応したらどうかと思います。
 しかし、この方法を採用すると、信号機のあるところでは四六時中このアナウンスが車から流れ、この騒音に対する苦情が付近の住民からくるものと予想されます。
 結論的には自転車の運転マナーが改善されれば何も問題ないのですがね。。。。
凡夫の余計なお節介でした。 合掌

映画「リメンバー・ミー」を見て

2018-05-04 14:34:55 | Weblog
先日、愚妻とともに映画「リメンバー・ミー」を鑑賞してきました。とても泣ける映画でした。
1年に1度だけ他界した家族と再会できるとされるメキシコの伝統行事「死者の日」を中心に死とは、生とは、家族とは、夢とは、愛とは何かを示唆してくれる内容でした。
 映画の感想は見る人毎に異なった思いを持つと思いますが、今生きている人間の根底に存在し忘れかけていた大切なものを呼び起こしてくれるものでした。
 桜が散りそろそろ新緑の季節になるので母を連れて墓参りに行こうかと思っている時に「リメンバー・ミー」を観たというのも、単なる偶然ではないような気がしています。
 人の心に触れるものは、音楽でも映画でもスポーツでも自然と涙が出るものだと思います。とても良い映画を観たと素直に思いました。 合掌

■ 第1731回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2012-06-16 13:20:54 | Weblog

 6月15日(金)の夜、第1731回NHK交響楽団定期演奏会を聴きにNHKホールに
出かけました。先週に引き続きウラディーミル・アシュケナージの指揮による定期演奏会で
した。曲目は、コダーイ:ガランタ舞曲、バルトーク:ピアノ協奏曲第2番、R.シュトラ
ウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30でした。

 演奏曲の中で聴いたことのあるのはR.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう
語った」だけで、あとのコダーイとバルトークの作品は、聴いたことがないし積極的に聴き
たいと思う作曲家ではありません。音楽を聴くの際に特定の作曲家に偏った聴き方は誤りで
あるという意見はあると思いますが、若い年代であるならいざ知らず私のように人生も先が
見えてきた年代になると、自分の好きな領域をさらに極める方が時間の効率的な使い方がで
きるという考えが先に立ってしまいます。

 ですから現在は、古典派からロマン派までの作曲家の中でもバッハ、モーツァルト、ブラ
ームスを集中的に聴いています。年寄りの頑固な面が出てきているのだと思います。ですか
ら、今回のコダーイとバルトークは全く興味の範囲外の作曲家です。

 今回初めてこれらの作品をアシュケナージの指揮で聴きましたが、案の定、結果的には改
めて聴きたいと思う気持ちは起きませんでした。決して作品を非難している訳ではなく、個
人的な興味の範囲に入っていないだけの理由です。

 最初のコダーイ:ガランタ舞曲ですが、ジプシー的な香りのする楽想で、ブラームスのハ
ンガリー舞曲に流れる心情と同じような感覚を覚えました。2曲目のバルトークの作品と比
べればコダーイの方がまだ受け入れられる度合いが大きいと感じた作品でした。

 2曲目のバルトーク:ピアノ協奏曲第2番ですが、はっきり言って理解できないものでし
た。演奏自体は素晴らしい内容であったと思います。バルトークを聴きながら感じたことは、
モーツァルトのように自然に流れる旋律でなく、楽器と楽器との対等な掛け合い(ピアノと
ティンパニ)や緩急のリズム並びに音の重厚さ等を感じましたが、こころの安らぎやこの音
楽を通じて何らかの示唆を得るまでには至らなかった内容でした。とて残念でした。

 ピアノ独奏のジャン・エフラム・バヴゼですが、演奏は素晴らしいと思いました。曲が理
解できなかったのでバヴゼの本当の力が分かりませんでしたが、鳴り止まぬ拍手に応えて弾
いたアンコールの曲が、ドビッシーのアラベスク第1番ホ長調でした。個人的には、バヴゼ
の弾くドビッシーの音色にうっとりとしました。このアンコールを聴けただけでも価値があ
った内容でした。

 今回の演奏会では、後半のR.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」
がもっとも内容が濃かったと思います。弦楽器が鳴っていましたし、管楽器の技術も素晴ら
しいと思いました。ただ、欲を言えば全体の音量のバランスがいまいちのところが数か所あ
ったのが気になりましたが、それは私個人の期待するものとアシュケナージの解釈の差だと
思うので何とも言えません。

 前回の演奏会でも感じましたが、今回の定期演奏会シリーズでアシュケナージの指揮が格
段に上手くなり久々にN響の弦楽器が鳴っていました。昨年の定期演奏会から1年間の中で、
アシュケナージの中で、何かが変わったのではないかと思います。この状態が続くのであれ
ば、生意気な言い方ですがアシュケナージはピアニストとしてではなく指揮者としての活動
を続ける意味があると正直に思いました。

 先週に引き続きN響の響きが昔に戻ってきたような感じを受け、満足感に浸りながらNH
Kホールを後にしました。

■ 愛犬ミルクの老い!!

2012-06-10 12:10:18 | Weblog

 我が家の愛犬ミルクですが、9月の誕生日を迎えると15歳になります。数か月前までは
しっかりとした足取りで歩いていましたが、ここ数か月は後ろ足が自由に動かなくなり大好
きな散歩に出かけても途中で止まってしまう状態です。また、食欲がなくなったり、下痢を
したりするたびに獣医のところに行き、注射や薬を貰いながらの生活です。

 また、心臓の動きも弱くなってきており、時々全身が痙攣するなど脳も弱ってきていると
獣医から宣告されています。出来るだけのことをして浄土に送ってあげたいと思っています。

 不思議なもので愛犬ミルクの老いと同じように父親も老いのために介護が必要となってお
り、土日の休みは必ず実家に行き身の周りの世話をする日々が続いています。認知症の度合
いもかなり進んでいますが、息子が来たという認識があるので助かっています。そのうち息
子であることも分からなくなる時が来ると覚悟しています。

 愛犬ミルクとは、言葉が通じないので従来から行っていることは、目を見ながらの意思の
疎通を通じてどのような状態なのかを窺っています。もともとミルクは我慢強い犬なので、
どんなに痛くともまた苦しくても辛いという仕草をめったに見せない犬なので、余計にミル
クの目を見ながら状況を察知し、対応する日々が続いています。

 今は、ほとんど横になって寝ています。今も私の机の横で、久しぶりに青空となり爽やか
な風を受けながらすやすやと寝ています。平和で幸せな時間が流れています。このままこの
状態が続くといいのですが、この世は無常の世界なのでそのようにはなりません。だれもが
いつかは別れる時が来るのです。

 愛犬ミルクと同じように私も還暦を過ぎ、老いが本格化してきています。今までと違うこ
とが身の回りでたくさん起きだしています。これらと戦うのではなく、それらをありのまま
に受け入れて進むのが重要なことだと思っています。

 愛犬ミルクと巡り合い14年以上の日々を一緒に過ごしてきましたが、ミルクから学んだ
ことは自分以外に対する優しさです。仮に愛犬ミルクが我が家に来なければ、自分の人生は
大きく変わっていたと正直に思えます。優しさの少ない人間になっていたのではないかと思
います。

 これまでにも苦しかったことや哀しかったこと悔しかったことなど様々な出来事がありま
したが、これらが起こるたびに私は愛犬ミルクに話しながらこれまで生きてきました。いつ
もミルクはきょとんとした目で私を見ながら話を聞いているようですが、最後には優しい目
に変わり、何とかなるから大丈夫だよと目が言っているように見えました。この愛犬ミルク
の優しい目に私は何度も救われました。本当に感謝しています。

 最近、夜の10時過ぎに愛犬ミルクと散歩に出かけますが、夜空の星を一緒に見ながらミ
ルクも私も命が終わると宇宙空間の星間物質に戻るのだよと、いつも愛犬ミルクに言い聞か
せています。

 これからも愛犬ミルクの定められた命の期間、精一杯面倒を見ながら最期に黄泉の世界へ
送り出してあげようと思っています。愛犬ミルクには、我慢せずに我儘言っていいから最期
まで与えられた命を全うして欲しいと、優しさを教えてくれた愛犬ミルクに感謝をこめて言
っている今日この頃です。     合掌

■ 第1730回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2012-06-10 11:09:00 | Weblog

 6月9日(土)の夕方、第1730回NHK交響楽団定期演奏会を聴きにNHKホール
に出かけました。今回は、ウラディーミル・アシュケナージの指揮によるリムスキー・コ
ルサコフ:組曲「サルタン皇帝の物語」作品57、グリエール:ホルン協奏曲変ロ長調作
品91、チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36でした。

 個人的には、アシュケナージの指揮によるN響の演奏はいつも不満を持ちながらNHK
ホールを後にしたことが多くありました。従っていつも思うことは、アシュケナージは指
揮者でなくピアニストとして音楽を極めるべきであると思っていました。

 今回も、不満が残る演奏になるだろうと思ってHNKホールに行きましたが、なんと今
回は、今までと異なり最高の演奏を聴かせてくれました。何がきっかけでこんなに変わっ
たのか不思議でなりません。

 1曲目のリムスキー・コルサコフ:組曲「サルタン皇帝の物語」ですが、とてもかわい
らしい楽想で、初めて聴く曲でありましたが以前から知っていたような不思議な感覚を覚
えました。

 2曲目はグリエール:ホルン協奏曲変ロ長調作品91で、ホルン独奏は世界最高のホル
ン奏者であるラデク・バボラークでした。バボラークの演奏ですが、演奏が難しいとされ
るホルンをいとも簡単に演奏し、音の強弱や高低さらにテンポを自由に操り、素晴らしい
音楽を聴かせてくれました。バボラークが奏でるホルンの音色は、この上なく耳に心地よ
く響き、ホルンであるのに弦楽器の音のように聴こえた瞬間もありました。

 また作曲家であるレインゴット・グリエールですが、1875年に父親はドイツ人の楽
器職人で、母親はピアノをよくしたポーランド人の間にキエフで生まれました。スクリャ
ービンやラフマニノフと同世代であり、1938年から1948年まで、ソ連作曲家同盟
組織委員会の議長をつとめ、ソヴィエト音楽史において最も体制に寄与した作曲家の一人
と言えるようです。個人的には、今回の演奏を聴くまで全く知らなかった作曲家でした。

 今回のホルン協奏曲はとても美しい曲であるとともに、ホルンの魅力を余すところなく
表現した素晴らしい曲だと思いました。3楽章構成で25分程度の曲でしたが、久しぶり
に感動した曲でした。また、初めて聴いた曲にも係らず心の中に浸み込んでくる不思議な
曲でした。楽想全体が牧歌的でかつ民謡風の流れであることから、聴きやすかったのかも
知れません。

 ホルン協奏曲の演奏が終わった時には、NHKホール中が拍手とブラボーの声援で熱狂
的な状況になりました。個人的にも今回の演奏会は歴史的な名演奏ではないかと思いまし
た。後日のTV放映の際には、必ず録画したいと思います。鳴り止まぬ拍手にバボラーク
はバルボトゥ作曲「独奏ホルンのための5つの詩的な小品」から第5曲を演奏しました。
小品でしたが、聴きごたえのある内容の作品でした。

 3曲目のチャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36ですが、今回の演奏会の中で
はN響が久しぶりに良い演奏を行ったにも係らず、曲の流れがあたかもジグソーパズルの
絵の中で、いつも2ないし3枚のピースが欠けているような状況になっていました。簡単
に言えば全体のバランスがもう少し良いと、素晴らしい演奏になったと思います。

 しかし、今回の演奏会でアシュケナージの指揮とN響のヴァイオリンの演奏が特段良く
なった印象を受けました。今後もこのような傾向が続くことを期待しています。

■ 優しい人と厳しい人!!

2012-05-20 16:03:36 | Weblog

 新緑の5月の今頃の季節は、とても清々しく気持ちがゆったりとします。寒くもなく暑く
もなくまた、漂う風にも自然な香りがあり、過ごすのにとても良い時期です。個人的に好き
な季節ですが、一年中このような状況だと刺激が少なくなり、凡夫のような怠け者は堕落し
てしまうのだと思います。

 適度に刺激があり、常に少しのストレスを感じながら生きて行くことが、充実した人生を
歩めるのではないかと思います。ストレスは体に良くないと言われていますが、全くストレ
スがないと、それこそ自然の季節の移り変わりに鈍感になり、人としての感性を磨く機会が
なくなり、大きな問題につながるような気がします。適度な刺激によるストレスの中で生き
て行くことが重要だと思います。

 一般的に優しい人と厳しい人に分けられますが、皆さんは自分をどちらのタイプだと思い
ますか?

 人間が地球上に誕生した時は、過酷な自然の中で生き抜かなければならない環境であった
ので、自ずと厳しい生き方になったと思われます。しかし、少しずつ自分の周りに仲間と認
められる人間が出来てくると、厳しい心の中にそれらの仲間と共に生きて行く必要があるこ
とから、自然と優しさの心が出来上がってきたのではないかと思います。

 それでは現代の人間の特徴はどのようでしょうか。現代人はまず自分が中心であり、古代
人のような仲間意識が失われている気がしてなりません。社会の中のビジネスでは、自分あ
るいは自分の会社が伸びることが最重要課題であり、そのためには他の競争相手を蹴落とし
てでも勝たなければなりません。

 これはちょうど自然界の野生動物と同じ行動様式になることと等しいものです。人間とし
て野生動物と同じような行動様式で良いのでしょうか?特に今の時代の日本人は、仲間とい
う意識がなくなりつつあります。運命共同体という意識が少なくなってきているのです。

 他の人間と共に生きるという意識を持たずに生きることができるのが今の社会です。今の
流行の言葉でいえば「無縁社会」です。他の人間と関わりを持たずにも今の世の中で生きて
行くことが出来ること自体とても不思議です。

 言葉を替えて言えば、表面的な付き合いをしていれば、十分に生きて行ける社会なのです。
このような状態だと人としての本当の苦しみや哀しみを理解することが少なくなってしまい
ます。だからと言って、個人の深い部分にまで入り込んで行動しろとはいいませんが、単な
る表面ではなく表面の下にあるちょっとした個人の思いや考え方に対して刺激を与えるよう
な関係を持てるような社会にすべきだと思うのです。

 そのためには個人として真実に基づいた発言や意見をぶつけ合う必要があります。このよ
うな行動により喧嘩になるかもしれませんし、当然気分を害することもあるかと思いますが、
この過程は絶対に必要だと思います。

 早い段階でこの点に気づき、それぞれの立場のなかで行動を起こさないと、今の社会はさ
らに表面的なコミュニケーションで終わってしまう偽りの構造の上に成り立つ社会となって
しまい、いつか根元から日本の国が崩壊してしまうのではないと危機感を持っています。

 これだけお節介になるのは確実に歳をとった証拠だと思いますが、気がかりでなりません。
今の日本の社会の中で人間の本来の生き方をして行くために必要なのは、厳しさでなく優し
さであると思います。離れてしまった人間を再度集めるには、優しさがないと動きません。

 人間は本来皆弱いので優しさに飢えているはずですが、このようなことを表に出すと甘え
るのではないと一喝されてしまうのが落ちです。しかし、皆優しさに飢えているのです。正
直に自分の心を出すことに戸惑いを持っている人が多いのは、それだけ物質的・物理的な環
境が整っていて、見かけ上幸せな社会であるからです。

 人間としての心や魂の面ではカラカラに乾いた状態であるのが今の日本国民の現状です。
全ての人がこの現状を理解し、まず優しさで対応し仲間意識が整った段階で、成長すべき方
向を提示し、次の段階で厳しさを出しながら仲間と行動することが重要だと思います。

 今の時期、リーダーシップを持った人材が必要ですが、厳しさを全面に出す前に優しさで
対応した後に次の段階で厳しさを出す順番で対応してほしいと思います。  合掌

■ 第1728回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2012-05-20 14:52:24 | Weblog

 5月18日(金)の夜、第1728回NHK交響楽団定期演奏会を聴きにNHKホール
に出かけました。今回は、広上淳一の指揮による武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワ
ット・ユー・コール・タイム、バーバー:弦楽のためのアダージョ、バーンスタイン:交
響曲第1番「エレミア」でした。

 武満の作品では、パーカッションとして竹島 悟史、植松 透、石川達也、西久保友広、
村居 勲の5人による演奏であり、後半のバーンスタインの作品では、メゾ・ソプラノの
ラヘル・フレンケルがソリストとして参加したものでした。

 今回の武満の作品の演奏を聴いて感じたのは、全体が仏教の思想に根差しているなかで、
5人のパーカッションの演奏者が、それぞれ如来あるいは菩薩の立場から悩める凡夫に今
まで気が付かなかった世界を示してくれたような印象を受けました。

 5人の奏者は、それぞれ白、青、黄、赤、緑の5色のリボンを身に付けており、仏教の
故郷であるネパールやさらにその奥のチベットの風景が自然と蘇るような雰囲気の中で、
鈴の音や鐘、はたまた仏具のようなものから成る音色が風に乗って響いているような空間
を体験しました。

 これら5人による打楽器だけの演奏にそろそろ飽きるころを見計らってオーケストラと
の共演となるような構造となっており、詳細にわたって考えられた音楽にとても新鮮な感
覚を覚えました。武満の作品の特徴なのだと思います。

 また、楽譜の各部分に、武満は次のような「序」「独奏者たちの登場」「微風」「予感」
「高原」「環状の地平線」「風が吹く」「予感」「蜃しん気き楼ろう」「ひるがえる風の
馬」「約束の土地」「生の歓びと悲しみ」「祈り」のような言葉を記しています。まさに
このような音の流れを感じを受けたのは、凡夫だけではないと思います。

 今回の演奏は、この武満の作品で十分満足できるものでした。後半のバーバー:弦楽の
ためのアダージョは、魂がこもった美しい演奏を期待しましたが、広上淳一の心が弦楽器
奏者に伝わっていない感じで、さらっと流れてしまった演奏となりました。とても残念で
した。

 3曲目のバーンスタインの交響曲第1番「エレミア」ですが、初めて聴く曲でした。現
代曲を聴くのが苦手な凡夫ですが意外と楽しみながら聴けました。

 個人的な感想ですが、広上淳一とN響は演奏スタイルで異なる考えを持っているような
印象を受けました。以前に広上淳一の演奏を他のオーケストラで何回となく聴きましたが、
どの演奏も素晴らしい内容であり、個人的に好きな指揮者の一人です。

 したがって広上淳一の演奏はN響以外で聴いた方が、その実力を発揮できると思ってい
ます。