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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 変わるべきものと変わってはいけないもの!!

2012-05-13 12:25:31 | Weblog

 経済の環境変化に対応して政治の運営方法は臨機応変に行うべきですが、未来を良くする
ための法案審議がまとまらない現在の状況に対して、国民の一人としてとして哀しい思うと
ともに、怒りに似た感情を持っています。

 国民の声に耳を傾け、国民の幸せの為に政治を行うのだと選挙の時は言っておきながら、
今回の消費税の増税に対しては、国民に上げないとマニフェストで約束したから反対するよ
うな態度を取っている政治家がいる。本当にそれらが国民のために正しい対応方法だと思っ
ているのであろうか。

 変化にはその都度対応する取り組み姿勢が重要であり、いくらマニフェストで約束したか
ら守ることが正義であるような、単純な対応方法は止めてほしい。もっと未来を考慮したう
えで対応すべきであると思います。

 そもそも消費税以外のマニフェストは守っているのかといえば、守られていないのが現状
です。約960兆円の規模の財政赤字に陥っている事実をしっかりと理解すべきです。一般
の企業であれば、当の昔に倒産している状況であるが、政治家にとって国は自分を生き延び
るための道具としか思っていないのではないかと思ってしまいます。本当に困ったものです。

 誰が考えても早い段階に消費税を上げなければ国の財政は持たないし、遅くなればなるほ
ど今の若者に大きな負担がかかることになり、ひいては国の存続に係ることになることは、
誰もが理解しているのに、それでも手を付けない政治家がいることに対して残念で仕方があ
りません。

 さらに消費税の増税の前にまだまだ削るべき事があると言っていますが、それらの案件は
過去にあれだけ取り組んでも官僚側の力の前に屈指した事実があります。このような出血し
ている状況では、まず出血を止める施策を実施しながら関連することに取り組むべきである
のに、その順番を誤っていることに腹が立ちます。

 またこのような発言をする政治家に同調している100人程度の政治家がいることも哀し
いことです。単にそこから流れてくる金と利権を目的にして群がっているだけのような気が
してなりません。

 世の中は常に変化するし、人間の考え方も基本的なことを除けば時代とともに変化するも
のです。変化に対応して変わることを全ての人が認めなければならないし、勇気をもって
取り組むべきであると思います。そうでないと自分のことしか頭にない政治家にうまく利用
され、最終的に欲の塊の政治家のところに利権と金が集まることになるのだと思います。

 反対に変わってはいけないものとは、国民のために正しい方向に国をまた国民を導く政治
家の心と、私利私欲の為に行動してはならないのが政治家の生き方だと思います。人の幸せ
のために活動すべき政治家は、是非とも仏陀の生き方を学んで欲しいと思うのは凡夫だけで
はないと思ます。

 現在の野田政権の是非はあるものの、消費税に関しての取り組みは個人的に賛成します。
誰かが手を付けなければならないことであり、迅速な対応が必要です。政治生命をかけて取
り組んで欲しいと思います。

 反対に国民も消費税が上がって確かに苦しくなるかもしれませんが、皆でそれぞれ苦しさ
を分担し、対応することが今の日本に求められていることを理解し、進んで対応すべきであ
ると思います。苦しくなることだけを恐れていては、明日の日本はないと思います。

 凡夫は、この日本という国が好きです。和を考え思いやりや気配りができる国民は世界に
例のないものだと思います。この美しい日本の国を駄目にせず、苦しいことを進んで受け入
れながら、この国を正常な形にしたいと思っている国民は多いと思っているこの頃です。

合掌

■ 第1727回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2012-05-13 00:36:57 | Weblog

 5月12日(土)の夕方、第1727回NHK交響楽団定期演奏会を聴きにNHKホール
に出かけました。前回はノリントン指揮のベートーヴェンを堪能しましたが、今回は尾高忠
明の指揮によるオネゲル:交響詩「夏の牧歌」、ショパン:ピアノ協奏曲第2番へ短調作品
21、デュリュフレ:レクイエム作品9の3曲でした。

 ショパンのピアノ独奏は、アメリカ人ピアニストで今年64歳のなったギャリック・オー
ルソンでした。また、後半のデュリュフレのレクイエムでは、メゾ・ソプラノ:加納悦子、
バリトン:三原 剛、合唱:新国立劇場合唱団により演奏されました。

 3曲の中で聴きやすかったのは、ショパンのピアノ協奏曲でした。ギャリック・オールソ
ンが奏でるショパンは、内面の心の動きが上手くピアノに乗せられた演奏で、素直なショパ
ンを楽しむことが出来ました。

 一般的にショパンの演奏は、華麗ながらひ弱に演奏し、あたかもショパンの人生を表すよ
うな演奏に出会うことが多い中で、オールソンのショパンは過剰な華麗さはなく、澄んだ音
色に伸びやかさを備えた音楽でした。

 素直なショパンの演奏に出会えて、久し振りにショパンの音楽も良いなぁと思えました。
ただ、ピアノの表現に関しては十分にその力を発揮していて良いのですが、オーケストレー
ションに関して弱いのがションパンの音楽作品の特長だと思います。

 オネゲルの交響詩「夏の牧歌」は、予想していた内容よりも聴きやすい作品でした。全体
的に静かな楽想で自然の中でゆったりと時の流れを感じるような印象をもったもので、個人
的には好きな分野の作品の部類に入ります。弦楽器の流れに木管楽器とホルンの響きが調和
し、不思議な空間を作り上げていました。別の機会に再度聴きたい曲になりました。

 後半のデュリュフレのレクイエムですが、どちらかというといろいろなレクイエムの中で
はフォーレに近い印象を持ちました。曲の解説には、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲しつつ現
代の要素を組み込んだレクイエムのような事が書かれていました。

 全体的に9つの曲から構成されていましたが、いろいろな作曲家のレクイエムと比べて、
聴き終えた後に強烈に残るものが少ない作品でした。モーツァルト、ブラームス、ベルディ、
フォーレのレクイエムには、それぞれ思い浮かぶメロディがありますが、デュリュフレのに
はそれがなく、全体的に穏やかに流れて終わってしまう感じがし、ちょっとだけ物足りなか
った感を持ちました。

 レクイエムはそれぞれの作曲家がもつ死生観を表したものなので、もう少しはっきりとし
た主張があっても良かったのではないかと思いました。

 指揮者の尾高忠明ですが、3曲とも内容的には濃い演奏であったと思います。これまでに
何度も尾高忠明が指揮した曲を聴いてきましたが、毎回期待を裏切ることなくレベルの高い
演奏をする指揮者です。もっと活躍の場があってもよい気がしています。

■ お詫びとメルマガの復刊に際して!!

2012-04-22 12:19:58 | Weblog

 メルマガを休刊しかれこれ1年が過ぎようとしています。休刊していた理由はたくさんあ
ります。正直にお話しすると書きたい内容はたくさんあるのですが、書く気が起きないと言
った状況であったことが最も大きな理由です。

 何とも生意気で情けない理由ですが、これが今の自分を表している現状です。自分には甘
く、一方で人にはあれこれと厳しい事をいう最も悪い生き方だと思っています。たるんだ気
持ちを奮いたたせるのは難しいことだと、この1年の間実感していました。

 しかし、このような中で休刊中にも係らず多くの読者の方からメールをいただきました。
メールを頂いたときは正直吃驚しましたが、内容を拝見しながらだんだん心の中に暖かいも
のが広がってきました。

 人間の暖かさとはこのようなことなのかと、思わず心のなかで合掌をしている自分がいま
した。正直言って、とても嬉しかったですし、涙が出てきてしまうような内容を届けていた
だきました。本当にありがたいことであるし、自分は幸せ者なのだと思いました。

 昨年の12月に還暦を迎えたにもかかわらづ、この年になっても多くの方に心配をかけて
しまっているだけでなく、世の中の方に何も貢献できない自分に情けなさを感じています。

 読者の方からいただいた励ましの内容は、短い文章でもいいから、さらに期間が空いても
いいから昔のようにメルマガを出してほしいとの内容でした。自分勝手に好きなことを書い
ていたメルマガでしたが、凡夫の独り言を楽しみに待っていただいている方がいることを知
り、再度メルマガを復刊し少しでも恩返しをさせていただこうと思った次第です。

 休刊中にプライベート面でいろいろなことが発生し、人生のあり方や生き方に関して考え
させられました。しかし、このような自分の心が折れそうになった時に支えてくれたものは
仏教とモーツァルトの音楽とそして五木寛之の文章でした。

 これらの3つのものが仮になかったら自分はきっとまったく別の生き方をしていたと思い
ますし、反対にこの3つにすがりながら残りの人生を生きるのが凡夫の生きる道だと思って
います。

 3月末に定年を迎え、この4月からは1年更新の契約社員として仕事をさせていただいて
います。給料は格段に下がりましたが、愚妻曰く、「仕事をさせてもらえるだけありがたい
と思わなければ駄目よ」と、何ともお釈迦様のようなことを言うなぁと愚妻の成長を反対に
喜んでいます。

 力まずに五木寛之のような流れる文章を目指して凡夫の思いを発信させいただきます。こ
れからもどうぞよろしくお願いいたします。
                                    合掌

新春を迎え皆様の御多幸をお祈り申し上げます。

2012-01-02 12:15:03 | Weblog
 新春を迎え皆様の御多幸をお祈り申し上げます。

 昨年は、東日本大震災という自然界の脅威を目の当たりにし、自然に対する人間の無力さを痛感するとともに
一方で世界中からの暖かい支援に対して人間の絆の強さを感じました。

 また、チュニジアの民主化運動を発端とする「アラブの春」、ユーロ圏の財務危機拡大による世界経済の停滞、
金正日の死去による朝鮮半島情勢の緊迫化の増大等、地球的な規模でゆっくりと枠組みが変化し未曾有の時代に
突入しました。

 成長は終了し成熟した状況からの緩やかな下りの時期です。正に平安時代末期の末法思想の感じがしています。

 私事ですが昨年12月に還暦を迎え人生の第四コーナーを通過し最終ゴールに向けた直線コースをどのような
力配分で駆け抜けるかを考えています。

 また両親が介護を必要とする時期になり、息子として感謝の心で可能な限りの支援をしています。素直にこの
ような行動がとれるのは仏教に接していたお陰です。

 昨年は武蔵野33所観音巡礼を結願し、今年は坂東33観音巡礼の旅にでます。仕事の面では次の時代を担う
人にバトンタッチし、可能な限り黒子に徹したやり方に変えて行きます。

老兵は死なずただ消え去るのみ

 年頭にあたり皆様のご健康と益々のご繁栄をお祈りするとともに、本年もご指導の程どうぞよろしくお願い申
し上げます。

 合掌

小平警察署ならびに上宿交番の警察官の方々へ

2011-12-04 09:53:28 | Weblog
小平警察署ならびに上宿交番の警察官の方々へ

 はじめまして。このたびは私の父の関係で小平警察署の方々に多大なご苦労をおかけしましたことに
関して御礼を申し上げたく手紙を書かせていただきました。

 私の父は現在88歳で認知症にかかっており、これまでに何回となく徘徊し小平警察署の方々のお力を
お借りし、保護していただき実家まで送り届けていただきました。本当に申し訳ないと思うとともに感
謝しております。

 本来であれば母がしっかりと父を監視していなければならないのですが84歳の高齢であり、また軽度
の認知症にかかっていることから父の面倒を100%見ることが出来ない状態となっております。両親
ともに認知症なので息子の私が実家で暮らさなければならないのですが、仕事の関係で土日だけしか面
倒を見ることが出来ない状態です。

 12月2日(金)の夕方に父がいなくなったと母から連絡がありました。この時点で小平警察署に母
から電話をさせていただいたとも聞いております。私も仕事を終えた後、実家に行き愚妻とともに実家
周辺を深夜まで探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。

 途中で上宿交番に立ち寄り事情を話したところ、すでに情報が入っていたようで対応していただいて
いる最中でした。その日は冷たい雨が降り身内ですら探すのも大変でしたが、上宿交番の若い警察官の
方は夜が明ける朝まで雨の中、探していただいたようです。

 本当に感謝しております。朝の4時過ぎにはその警察官の方から電話をいただき、これだけ探しても
見つからずまたその時点で110番連絡もないので、マンションのどこかにいませんかとのアドバイス
までいただきました。

 いくら公務であるとはいえここまで対応していただけるとは思ってもいなかったので本当に嬉しく思
っております。世の中ではときどき警察官の不祥事が伝えられている中で、私の住む小平市の警察官の
方はここまで対応していただけたことに誇りに感じました。

 幸いに朝の6時前に小川交差点近くのビルの入口で新聞配達の方が父を発見し110番していただい
たことで、無事保護され実家まで送り届けて頂きました。

 本来であれば直接お伺いし関係者のかたにお礼を申し上げなければなりませんが、担当していただい
た方々のお名前も分からず、感謝の気持ちだけでもお伝えできればと手紙を書かせていただきました。

 本当にありがとうございました。是非とも当日上宿交番に勤務し対応していただいた警察官の方に私
ども家族の気持ちを伝えていただければ幸いです。小平市に住んでいて本当に良かったと思います。こ
れからもどうぞよろしくお願いいたします。

     合掌

■ 第1706回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2011-09-11 01:40:00 | Weblog

 9月10日(土)の夕方、久しぶりにNHK交響楽団定期演奏会へ出かけました。9月4
日の(日)に東京都交響楽団の演奏で素晴らしいモーツァルトの曲を3曲も聴いたあとの演
奏会なので、N響の演奏にはさらにレベルの高い音楽を求めたいと思いながらNHKホール
へ足を運びました。

 演奏曲目はシベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47とドヴォルザーク:交響曲第
9番ホ短調作品95「新世界から」の2曲で、指揮はヘルベルト・ブロムシュテット、ヴァ
イオリン独奏は竹澤恭子でした。当初はレオニダス・カヴァコスが演奏することになってい
ましたが健康上の理由により来日が不可能となり代わって、竹澤恭子が演奏しました。原発
の関係で来日を控えたのではとの声が休憩時間にいろいろなところから聞かれました。

 今回の演奏会で感じたことですが、前半のシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、個人的に
好きな分野の作品ではないので、大きな感動は起こりませんでした。ただ竹澤恭子のヴァイ
オリンは低音が非常に暖かく膨らみのある音色で聴いていて和みました。

 演奏の内容ですが、あまりにも竹澤が自分の世界に入ってしまった結果オーケストラとの
協調の面で一体感がなかったような感じを受けました。演奏しながら曲の中にどっぷりと浸
かっている様は、体全体で弾いているアクションから十分に受け取れるものでした。

 竹澤が奏でるシベリウスの旋律ですが、時々音程が若干低くなるような箇所があり個人的
に違和感があった演奏内容でした。レオニダス・カヴァコスの代役なので練習面で時間的な
問題があったのかもしれませんが少し音程に関して気になりました。その他の表現の面では
そこそこ良い内容の演奏であったと思います。今日の演奏を聴いた限りでは、シベリウスで
なくブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いてほしいと個人的に思った次第です。

 後半のドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調は、ヴァイオリンのパートを除けばその他の
パートは非常によくまとまっていたと思います。なぜ毎回弦楽器のなかで特に第一ヴァイオ
リンのパートに問題が起きるのか不思議です。その他の弦楽器であるビオラやチェロ、コン
トラバスの演奏は音が響き演奏内容もブロムシュテットの意図が伝わって良かったと思いま
す。

 今回第一ヴァイオリンは8プルの規模で演奏されていましたが、音に厚みがなく細く単調
な音になっていたのが気になりました。もっと音の厚みと全員による瞬発力のある音にして
欲しいと思います。ヴァイオリンの音がか弱いので常に管楽器の音に完全に負けてしまい、
全体のバランスが崩れていまいとても残念でした。

 もともとブロムシュテットの指揮は華麗な指揮さばきでなく、どちらかというと硬さを感
じるものですが、指揮のなかから作り出される音楽は暖かさと美しさと清らかさを感じさせ
るものがあります。

 第二楽章では池田昭子のコールアングレイの演奏が特に光りました。夕陽と人生の晩秋を
感じさせる音色を聴きながら涙が出ました。この時のヴァイオリンは弱音でありますが美し
くサポートしていたので少しだけ安心しました。この部分でもヴァイオリンが足を引っ張る
ようであると最低の内容になっているところでした。

 東京都交響楽団のヴァイオリンのパートと一度入れ替えて演奏すると、最高の演奏内容に
なるような気がしてなりません。昔のN響のヴァイオリンはもっとレベルが高かったのです
が、どうしたのでしょうかね。最近いつもN響を聴くとこのような感想を持ってしまいます。

 会場の聴衆の反応ですが、シベリウスのヴァイオリン協奏曲のときはホールの中が拍手の
渦とブラボーの声でもの凄い状況でした。それに対してドヴォルザークの交響曲の時はシベ
リウスに比べ20%程度反応がダウンしていました。

 個人的には会場の方の反応と全く逆でした。音楽は聴く人によって異なるのが普通ですか
ら気にはしていませんが、みなさんどこまで真剣に聴いているのか余計なお世話ですがちょ
っと心配になりました。

 鳴り止まぬ拍手にブロムシュテットは6~7回我々の前に姿を現し丁寧に感謝している様
子を見ながら、80歳半ばにもかかわらず今回のような演奏を我々に聴かせてもらえる喜び
を感じ、自然と心の中で「南無阿弥陀仏」と唱えている自分がいました。これからも元気で
演奏を聴かせて欲しいと願うばかりです。 合掌

■ ミラン・トゥルコヴィッチ指揮のモーツァルトを聴いて♪♪

2011-09-04 23:57:24 | Weblog
 9月4日(日)の午後、東京オペラシティコンサートホールで開催された、東京都交響楽
団の演奏会に出かけてきました。個人的には、他のホールに比べ東京オペラシティコンサー
トホールの雰囲気と音響効果が好きです。

 特に今回の演奏会は午後2時からであったので、ホールの天井の一部がガラス張りになっ
ている部分は開演前までは遮断されておらず、外の光がホール内に入って来ていました。開
演の時間になるとホール内の照明が落とされるのと同じくして、ガラス張りの面が自動的に
カバーで覆われ完全に外部と遮断される光景を見ながらそのシステマチックな動きに少し驚
きました。

 今回の演奏会は、「作曲家の肖像」シリーズVol83<モーツァルト>のタイトルが付
いた演奏会でした。演奏曲目は、交響曲第38番二長調K.504「プラハ」、ファゴット
協奏曲変ロ長調K.191、交響曲第39番変ホ長調K.543の3曲でした。

 指揮者はファゴット奏者としても豊富な経験を持っているウィーン育ちのミラン・トゥル
コヴィッチであり、ファゴット独奏は、東京都交響楽団の首席ファゴット奏者の岡本正之で
した。

 東京都交響楽団は、NHK交響楽団に次いでよく聴きに行くオーケストラですが、今回の
二人の演奏は初めて聴くものでした。最近は演奏家でなく、モーツァルトの曲が演奏される
かどうかで演奏会を選択し、大好きな作曲家の曲をどのように解釈して聴かせてくれるのだ
ろうかとの偏った聴き方をしています。

 今回の演奏会は、今年聴いた演奏会の中でもっとも充実した素晴らしい演奏会であったと
思いました。特に指揮者のミラン・トゥルコヴィッチですが、モーツァルトの音楽構造と演
奏楽器の構成を十分に理解し、音の強弱とテンポ、さらに音の拡がりと天使の羽のようにふ
わっとした優しい動きが感じられ、すぐそこにモーツァルトが微笑んでいるような感じを受
けました。

 3曲とも素晴らしい内容の演奏でした。特にファゴット協奏曲では、岡本自作のカデンツ
ァが素晴らしい内容であったし、交響曲39番はCD等の録音を含め今まで聴いた演奏の中
で最も素晴らしい内容のものでした。会場では録音マイクが設置されていたので後日何らか
の形で再度聴けることを願っています。

 いつも感じることですが東京都交響楽団の弦楽器のレベルは非常に高いと思います。今回
の演奏も弦楽器の音の重なりと調和は見事でした。それに比べ最近のNHK交響楽団の弦楽
器は如何なものかと思います。

 今週の土曜日はブロムシュテットの指揮でシベリウスのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザ
ークの交響曲第9番ホ短調「新世界から」を聴いてきますが、どのようになるか楽しみです。

 今回の演奏会を聴いて指揮者のミラン・トゥルコヴィッチに興味をもったので少し追いか
けてみようかなぁと思った次第です。演奏を聴き終わった後、感謝の気持ちで拍手をしてい
ましたが隣の老婦人があまりにも大きな拍手をし続けている私に「この方いくら拍手しても
アンコールをしない人よ」と声をかけてくれました。

 私は、アンコールを望んで拍手しているのではなく、39番の演奏の素晴らしさに感動し
ているのだからほっといてくれと言いたかったのですが止めました。音楽は聴く人によって
異なる共感が得られることを理解して欲しいと願うだけです。

■ アシュケナージはピアニストであって指揮者ではない♪♪

2011-06-12 23:45:18 | Weblog

 5月の下旬の土曜日に開催されたN響第1703回定期定期演奏会へ出かけてきました。
今回の演奏会は2010年のシーズン最後の演奏会でした。指揮者は1年ぶりにアシュケナ
ージが登場し、演奏曲目はR・シュトラウスの「変容」とブラームスの交響曲第4番ホ短調
作品98の2曲でした。

 今回の演奏会は始めから期待せずに出かけましたので、演奏が終わっても想定内の内容で
あり、大きな失望なしに帰路に着きました。マエストロに対して大変に失礼な言い方ですが、
結論的にはアシュケナージはピアニストであって指揮者ではないということをまたまた確認
できてしまった演奏会でした。

 1曲目の「変容」ですが、R・シュトラウスの曲の中でもとても精神的に重い内容の曲で
あり、副題に「23の独奏弦楽器のための習作」とうたわれ、ヴァイオリン10、ヴィオラ
5、チェロ5、コントラバス3の合計23の弦楽器による構成となっています。楽想は弦楽
器だけで心の奥底に静かに響くような流れをもって精緻に奏でられる清楚で哲学的な曲です。

 ただ静かで荘厳に美しく演奏するだけでなくそこには哀しさとともに人間としてかすかな
光をもとに希望が静かに湧き上がってくることを暗示させるような曲ではないかと個人的に
解釈しています。アシュケナージは、この曲を美しく演奏しましたが本当の心の中にある哀
しさを完全に表現することは出来ませんでした。

 2曲目のブラームスの交響曲第4番は、ブラームスの作品の中ではドイツレクイエムに次
ぐ傑作だと個人的に位置付けています。さらにこの交響曲を日本文化で表現すると「わびさ
び」の内容を持ち合わせたものだと思います。そしてさらに人間としての哀しさと喜びと悔
しさと優しさ等の動きを流れるように表現したもので、このような点が個人的な心情と合致
し感動を引き起こすのだと思います。

 しかし残念ながら、今回のアシュケナージの演奏は、表面的なもので終わってしまい、さ
らっとしたブラームスの交響曲となりました。アシュケナージ自身はもっとレベルの高い内
容を持ちながら指揮していたと思いますが、演奏するN響のメンバーへその思いが伝わらな
かったことと、N響のメンバー間の意思の疎通が十分でないように思われました全体的なバ
ランスがうまくとれていなかったように思えました。

 アシュケナージは、偉大なピアニストであると全面的に認めますが、指揮者としてのアシ
ュケナージは今一つ自分の中で描いている音楽の全体像を確実にオーケストラの楽員へ伝え
かつ統率する力が弱いと思います。優れた演奏家は後半に指揮者に転向することが多いです
が、やはり指揮者に向いている者とそうでない者がいるのは常であり、正直言ってアシュケ
ナージは指揮者ではなくピアニストとしてもっと深い音楽の世界を極めるべきだと思います。

 モーツァルトのピアノ協奏曲はアシュケナージによる弾き振りのCDをよく聴きます。い
ろいろなピアニストの演奏を聴いたりまたCDを購入したりしていますが、今のところアシ
ュケナージを超えるピアノ協奏曲全曲の演奏には出会っていません。ピアニスト引退ではな
くもっとピアノを弾いてほしいと思っています。

■ 人としての逝き方!!

2011-06-11 14:49:55 | Weblog

 先日立て続けに職場の方に不幸があり、それぞれの葬儀に参列しました。今年還暦を迎える身である自分にとって、人としての
死は以前に増して身近に感じる出来事になってきました。また、凡夫の愚息に言わせると、「親父はすでに自分の棺桶に片足を突
っ込んでいる状態じゃないの」と、とても息子の言葉とは思えないような発言が出だしている時期でもあります。

 確かに還暦を迎える年となれば、自分の身にいつ最悪の事態が生じても動じないような覚悟をもって生きていかなければならな
いと思います。確かに頭の中ではそのように整理されていますが、煩悩で溢れている心のなかは、欲望で埋め尽くされているのが
凡夫の悲しいところでもあります。

 しかし凡夫なりに仏教を学びそして可能な限り日頃から仏教に接する努力をしています。毎晩寝る前には般若心経を唱えその日
の反省をするようにもなりました。このような行動を続けていると、自然に仏教の教えが流れるように入って来る気がします。実
際には何も変わらないのですが、勝手にそのように思い込んでしまう自分に苦笑してしまいます。

 仏教関連の本を読んでいますが、仏教はインド、チベット、中国、東南アジアの場所によって考えや教えが異なっています。ま
してや中国から朝鮮を経由して入ってきた日本での仏教の生い立ちもまた異なっています。素人なので本格的な仏教の研究をする
わけでもないので、より多くの関連の本を読みながら仏教の奥の深さを感じながら、生き方の参考にしています。

 仏教を通じて自分として変わった点は、今まで以上に人に対する優しさが持てるようになったことだと思います。まさに慈悲の
心です。しかし、まだ怒りのこころは消えません。自分にとって面白くないことに対しては怒りを感じるのが普通ですが、この怒
りの心が最も悪いのです。如何にして怒らないようにするかが、人にとっての最も大きな修行ではないかと思います。

 ついつい何でこの人は誤った方向に進んでしまうのかと勝手に決めつけて対応してしまうことがありますし、自分の考えを押し
付けてしまうようなことも多々あります。そして冷静になった時に、あのような行動をとらなければよかったと思うことはこれま
でに山のようにありました。しかし、反省してもすぐに行動に結びつかないところが私のような凡夫の悲しい性だと思います。

 今回葬儀に参列する際に時間を見つけて盛岡にある報恩寺を訪ね、羅漢堂に納められている大仏盧舎那仏像や499体の五百羅
漢像を拝顔しました。堂内入った瞬間にその空間に漂うエネルギーのようなものを強烈に感じ、圧倒されました。久しぶりに心が
洗われた感じを受けました。

 良い人ほど早く逝くといわれていますが、私のような凡夫はこれからも悪行を続けながら生きて行かなければならないような気
がします。代われるものであれば早く逝く方と代わりたいと思いますが、両親より早く逝くのはこれまた親不孝なので、せめて両
親を見送るまでは少しでも善い行いを続けたいと考えています。 合掌

■ 覚悟する時!!

2011-04-03 12:19:16 | Weblog

 現時点での社会情勢を見渡すと、個人としても企業としてもさらに国としても大変な時期
に直面しています。今年還暦を迎えますが、今までの人生に中でこれほどの危機に直面した
ことはありません。これからどのようになって行くのか、またどのように対処したら良いの
か正直とても不安です。

 唯一人としてできることは、誠意をもって対応することだと思っています。特に個人の欲
を抑えることを確実に行うことがもっとも大切です。最低限これだけでも各人が行えば、多
くの混乱を防ぐことができるし、反対に今実施しなければならないことだとも思っています。

 個人の欲を抑えるということは、現在の生活レベルを下げることを意味します。家庭では、
節電の実行やその他のエネルギーを節約するとともに、無駄なことは極力避けることだと思
います。

 我が家では計画停電が開始されたからほとんどTVを見ていません。必要な情報は新聞と
押入れの奥に仕舞いこんでいた携帯ラジオを取り出し、それから得ています。また、大好き
なモーツァルトの音楽も通勤時間帯にイヤホンで聴く以外に聴いていませんし、夕飯時に計
画停電になったときは、蝋燭を点けて暗い中で食事をしながら、不足する明かるさは愚妻と
話す話題で心を明るくしています。

 鉄道の駅やビルの照明は、極力必要なところのみ点燈するようになり一見暗い感じを受け
ますが、いままでが無駄なエネルギーを消費して明るくし過ぎていたのだと思います。派手
なネオン広告も少なくなり、町全体が暗い印象を受けますが人工的な明かりではなく、いま
こそ人としての明るさを取り戻すために人とのコミュニケーションを強化すべき時だと思い
ます。

 昨年来、日本は社会全体が閉塞感で覆われ行き場を失っていた中で、さらに追い打ちをか
けるような悲惨な災害が発生し、国全体が一時機能しないような状況になりました。古代の
日本においても何回となくこのような事態に直面しながらも、過去の人々はその時代時代の
中で力を合わせて対応してきたことは、過去の歴史を紐解くと分かることです。

 今やらなければならないことは自分の持つ力をそれなりに発揮することだと思います。発
揮する力の大きさや内容は個人によって異なりますが、誰一人として欠けることなくこれら
を実行することが、今の日本に求められていることだと思います。

 現在の悲惨な状況を考えると、これから5~6年の間は、日本の国の復興を第一優先に考
え行動する時だと思います。そのためには今後政治的な大きな判断を行う必要があります。
子供手当の凍結、自治体へのばらまき補助金解消、高速道路の無料化撤回、年金開始時期の
延長等、国民全体で不自由を覚悟で積極的に受け入れることが重要だと思います。

 この重大な時期を日本国として立ち直る行動を進めるためには、国民全体が覚悟すること
がもっとも重要であり、またそのために自我の欲を捨てて対応する仏教の心を持つべきだと
考えているこの頃です。

 国民全体が一体となって辛抱することで、日本の国は復興すると確信しています。微力で
はありますが個人としてできることはこれからも精一杯取り組んでいこうと決意を新たにし
たところでもあります。

 この東日本大震災で亡くなられた多くの皆様のご冥福と現在避難先でご苦労されている多
くの人々の重荷が少しでも軽くなるようにお祈りしています。    合掌