こんなのできた!<2>

単調な生活に新発見を!  
日々の小さな出来事の写真日記

2013/07/30 塵が積もって50首目

2013-07-30 20:10:30 | Weblog


蝉は早起き。
私が起きた頃には鳴き終わっていた。


近所の画伯の作。色が塗ってあった。


蒸し暑い一日だった。

夕刻、野菜の収穫


垂直(空中)栽培の【かぼちゃ】。
土に触れないので、


表も


裏も黄色いところがない。


塵が積もって50首目
○ 讀賣新聞大和よみうり文芸 
「稲継さん」とツーショット。


          2013/07/30 讀賣新聞 

《身を賭して渡航なしし鑑真和上の里帰りかなふ千二百年を経て》 ( yosshy 讀賣新聞大和よみうり文芸)

 鑑真和上 は763年遷化、1980年(昭和55年)里帰りがかなった。


《わが父の倍の歳月生き延びて未完に満つる無様を詫ぶる》 (稲継久嘉 讀賣新聞大和よみうり文芸) 


私の《身を賭して・・・》 がちょうど新聞などの 入選50首目 になった。
2011/02/24 短歌初入選 以来切りのいい数字に達した。よくここまで来れたと思う。
私と短歌との出会いは、


手作りの歌集『二人五脚』から引用すると、

 私と短歌の出会いは1987年頃(記憶はあいまいで間違っているかもしれない)
日本経済新聞の夕刊に、若い高校教師が校門に立ち、校舎から手を振る生徒を
見ている写真が載っていて、いい写真だなと思い切り抜きをした。その横に

《万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校》 (俵万智) 
があった。当時、短歌には全く興味がなかった。何回も写真を見ているうちに短歌が
目にとまり「へェ~、これが短歌か」が短歌の感想。

 2011年、母が骨折で入院し、付き添いで一日中病院に居ることがあった。時間は
十分にあり、ブログの下書きをすることもあった。下書きを見ると五七五七になって
いるではないか。このとき俵万智さんの歌が頭をよぎり、五七五七を入れ替えたりして

いると短歌が出来あがった。初めて作った短歌。誰かに見てほしいと思い朝日新聞に
投稿したところ幸運にも新聞に掲載された。この二つのことが短歌との出会い、
短歌を始めたきっかけになった。

新聞に名前が載るのがうれしく、その後もそれを目的に投稿を続けた。
ブログに自分の拙い短歌を掲載し「入選1首だけで終らせられない・・・」との
思いも、短歌を続ける理由になった。

短歌会の先生に「楽しみながら作りなさい」といわれるが、まだその域に達していない。
苦しみながら作っている。

    

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