臓器移植法に思う。

2009-06-27 11:21:20 | 社会
臓器移植法の改正案

2009年6月26日中日新聞



 出会ったその人の顔は、土色だった。
信州大学病院(長野県松本市)で、生体肝臓移植を受け、
退院した直後の河野洋平氏だった。

 今、衆院議長の在任記録を更新しているのも、
幸い親子間で移植適合だったから。

 親族などに適合者がいなければ、脳死患者らに頼らざるを得ない。
そのため、海外で手術を受ける人も多い。

 しかし、同病院で国内初の脳死肝臓移植を執刀した医師は「臓器も資源」と、
海外での移植手術を懸念していた。

 臓器移植法改正案は、どう決着するか。
乗りこえなければならない問題はなお多い。

(編集局次長・松浦生朗)






私は臓器移植自体に反対だ。



ご存知の方も多いと思うが

私の腎臓はほとんど機能していない。


原因は遺伝であり

私の腎臓は私の運命のひとつであると思っている。



病気が悪化した時、

私の妻と子供たちは

『自分の腎臓を使ってくれ』

と申し出てくれた。



私は断わった。



『俺は俺の運命を受け止め、俺ができうる限りの努力はする。

 だが、俺はお前たちの命を削ってまで生き延びようなどとは

 毛ほども思っていない。

 ありがとう。しかし、二度と言うな。』




臓器移植を待つ方々の気持ちは

理解しているつもりだ。


しかし、たとえ脳死状態とはいえ、

まだ呼吸し、成長し、爪を伸ばし、涙を流す子供が

『この子は死んでいる』と判断され、

その内臓を取り出して他人に提供される事など、、、


もし私の子供であったとしたら、

私には耐えられない。




また、そのような他人の子供の

まだ暖かかった体を刻んでまで

自分や自分の子供が助かりたいという気持ちは



、、、自分の子供であったならば

、、解からないことはないが



その時、私は私自身の中に


私の心を鋭く突き刺す


『EGOTISM』を見い出すだろう。




自分や自分の子が助かりたいという気持ちは、

何度も言うが、よく解かる。



しかし、それは

自分や自分達の中でベストを尽くすべき事であり

他人の命を削ってまでは、、、どうであろうか。



与えられた命や運命は

愛おしく、尊重され、かけがえの無いものであろう。



しかし、それは、

それがどのような形のものであれ

甘んじて受け入れられるべきではないか、、、、



と、私は思う。




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6 コメント

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難しい話ですよねぇ・・・ (怒羅衛門)
2009-06-27 18:03:17
この問題について私が言えることはただ一つ、「法律が押し売りの正義にならないように。」それだけです。Pさんやご家族、移植を待つ人々、誰も間違ったことは言ってませんからね。間違っているとすれば、この問題の答えを一つにしてしまおうという動きだけだと思います。
Pさんの体のことは初めて知りました。大切な家族のためにも、お体は大事にして下さいね。
返信する
Unknown (翡翠)
2009-06-27 18:11:08
仰ることに賛成です。
一体、どこの親がみすみすわが子が
亡くなるのを平気でいられましょう。しかし
それが天運と、その人自身の精神と体で
命をまっとうすべきではないかと思います。
もっと言えば、人を犠牲にしてでも助かりたいのか、とまで思います。でも、わが子となれば
確かに目がくらむかもしれません。だから
怖いのです。
「脳死」の人間を望むようになることが。
その浅ましさが。
例えば大事故がおきて大量の怪我人などが
出た場合、ちらとでも
「脳死」になった人がいるかも、と
人の絶望の状況に自分の希望を持つような
考えがよぎらずにはいられないのではないか。
そう思うと、この改正案は
人から心を奪う残酷なものであると言えるのです。恐ろしいと思います。

いくら科学が発達し、どんなに技術が向上しようと人は必ず死にます。
遅いか早いか、理不尽な死かどうか、
それは悲劇の死もありましょう。
受け入れがたいものがあるでしょう。
しかし、「死」は必ず誰にでも
訪れる、その覚悟だけはしておくべきだと
思います。
返信する
選択肢 (桃太郎)
2009-06-28 01:02:22
おじゃまします。

私の臓器移植に関する考えはPさんとは異なります。

私も基本的には自身の持った運命(寿命)を自然に全うするのがいいと思っていますので、万一の場合には
過度の延命措置をしないように家族には言ってあります。 しかし反面では臓器提供意思表示カードも持って
います。 つまり自身の延命はいらないが、私が脳死状態等にあった場合に、私の臓器を求めて助かる人が
いるのなら喜んで提供する意思を持っています。

ただ、私の母が晩年(といっても70才前でしたが)に脳出血で倒れて、2年7ヶ月意識が戻らずに亡くなりま
したが、「意識がないまま生かされるのはイヤだ」と母が常々言っていたにもかかわらず、私はできるだけの
延命措置をしていました。 この手で母の命(寿命)を断ち切ることができなかったということです。

なんとか少しでも長く生きて欲しい。 そう思うのは親であったり子であったり、また「人」としての自然な考え
だと思いますので、それぞれの立場で考えると矛盾の生じる難しい問題であると思います。

が、それであっても今回の法案の場合、私は通過することを是としています。 たとえ臓器移植であっても
治療の一環という考えであれば、国内では年齢で線を引いていることに違和感を持ちます。 確かにドナー
の意思確認が難しいという問題や、臓器売買などの犯罪行為、また翡翠さんの心配するようなことも考慮
しなければなりませんが、この際は世界的な流れも受け入れる時期にきたのかもしれないと、そう思って
います。

もちろん、臓器の提供については本人の意思を基本に親族の判断に委ねられるべきであって、その部分に
いささかも強制力があってはならないと思っています。 

しかし「命の存続」という重いテーマに、ひとつの結論を導くことは不可能だとしたら、それを欲する者同士
(提供者と受用者)に対して選択肢を与えることを拒否してはならないと思います。

とりとめもなく思うままに書きました。 

追記: Pさん、お体を労わりますようお願いしますね。 なんか他人に思えなくて・・・・・失礼しました。

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確かに、、 (P@RAGAZZO)
2009-06-28 11:32:10
怒羅衛門さん、こんにちは。

ありがとうございます。
おっしゃるとおりに、この問題は難しいですね。

立場によって意見が違うでしょうし、
どちらが正義と言う問題でもありません。
ですからこれに関しては、
自分はこう思うという事しか言いようがありません。

個人の死生観や哲学の問題でもありますね。
返信する
同じ感覚 (P@RAGAZZO)
2009-06-28 11:48:37
翡翠さん、こんにちは。

私の感じ方は翡翠さんと全く一緒です。
私の言い切れなかったところを
翡翠さんは正確に掬い取って述べておられます。

そうなのです。
わが子が臓器移植を必要としている時、
他人様の子供の死を、、一瞬でも、、
待ち望むような、、

他人の子供が目の前で交通事故にあったとき、
その命より、その臓器の心配をするような、、

おそらく私もそうなんるのでしょうが、

そうなる自分が恐ろしいのです。

自分にとっては与えられた天命で良いではないかと、思いますし、
読者の多くもそうであると思います。

しかし、我が子となると、、、


難しいですね、、
本当に難しい。
返信する
『わたしを離さないで』 (P@RAGAZZO)
2009-06-28 12:22:10
こんにちは、桃太郎さん。

桃太郎さんはドナーカードをお持ちなのですか。
立派なことだと思います。

私は腎臓疾患が判ってからしばらくして
腎臓以外の臓器は問題ないのだから
ドナーカードを申し込もうかなぁ
と、少し思ったことがあります。

しかし、自分が病を得てからドナーカードというのは、
いかにもあざとく、浅ましいではないか、と思い、
止めました。

そして、幾分色々考えて、
このまま自身の命は自身で決着を付ける決断をしました。

ひとつのきっかけは、
ブッカー賞作家のカズオ・イシグロが著した
『わたしを離さないで』であったように思います。

ある特別な学校に暮らす人々の、
ふつうとはちょっと違う日常、
受け入れざるを得ない運命、
それぞれの考え方や、感情、などが描かれているのですが、

彼らは臓器移植用の臓器提供を運命付けられた
クローン人間である事が次第にわかってきます。

科学が発達しクローン技術が人のクローンを造るようになる。
ありえない話だとは言えないと思いました。

そのクローンでさえ、
やはり、普通の人と同じように痛みを感じ、
悲しみを、喜びを、そしてできれば幸せでいたいと願っている。

ましてや、、そうでない普通の人間において、、、、


小説ですが、、、
私は、他人の命を当てにすべきではない、
と強烈に思ったのです。

しかし、色々な考えがあって然るべきですね。

特に桃太郎さんのような
他に提供は惜しまないが自分は潔くありたいというのには、
心からの敬意を表します。

私は非常に元気であります。
ありがとうございます。
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