結果として当然の『弧族の時代』

2011-01-07 13:59:31 | 社会

 「孤族の国」男たち―9


2011年1月4日21時56分




 庭先で、マツが腰をひねり枝を広げる。奥には、どっしりとした瓦ぶきの家屋。その2階に男性の部屋はある。

 「僕がひきこもっているのは、父さんへの復讐(ふくしゅう)だ」。そう家族に訴え、30年間、社会と接点を持たずにきた48歳の男性が、昨秋、中部地方の専門病院に通い始めた。

 結婚して家を出ている姉によると、通院へ背中を押したのは、反発しながらも同居してきた80代になる父の死だった。「病院へ行こう」。1人になった男性に姉が促すと、素直にうなずいたという。

 対人不安から、会話は親類と医師に限られる。記者も、姉に付き添われて歩く姿を離れて見守った。病院へ送り、実家に食品を届ける姉は疲れ果てる。「世間から見ると大人。でも、自立はまだ」

 高校3年、最初は不登校から始まった。母の死、いじめ、進路選択などが重荷となり、思春期の心を閉ざした。

 「母さんが甘やかした」「卒業して就職しろ」。仕事中心で、亡くなった母に子育てを任せてきた父は、叱るほか接し方を知らなかった、と姉は言う。それが息子を逆上させ、時に暴力となった。

 一つの家に冷蔵庫が二つ。父子は別々に食事した。体面から家族で抱え込み、医師にも相談しなかった。「でも、父なりに弟を愛していた」と姉は思う。将来を案じ、年金保険料を代納し、貯金を続けた。スーパーの警備員など定年後も75歳まで働いた。

 ひきこもりの長期化に、当事者と家族が追い詰められている。国の推計で当事者は全国70万人。「親の会」の調査では平均年齢30歳を超す。

 関東地方の36歳の男性。大学になじめず、うつ状態になり自殺を図った。人と会うのが怖い。昨年から介護施設で週1回のバイトを始めたが、気分に波がある。取材後、携帯に電話してもつながらず、数日後に「落ち込んで、出られなくて」。67歳になる元高校教師の父の年金が頼りだ。






弧族だそうだ。



戦後教育は公から個へと

価値観を変換させ

結果として核家族を生み

他人の干渉を拒み

個人の権利を必要以上に連呼するようになった。



その成れの果てが「現代の孤独」なのである。



国や公共の価値を認めず

個人の権利のみを追及すれば

当然それは

先鋭的な個人のエゴの個別的乱立社会にならざるを得ず

そのそれぞれが弧である事は

当たり前のことでないのか。



オンリーはロンリーでもあるのだ。




社会やマスコミや市民が求めてきた「個の時代」は

結果としての「弧の時代」であり

いまさら「弧はイヤだ」と泣き叫んでみても

後の祭りだ。




孤独は必ずしも悪い事ばかりではなく

他人の干渉を受けず

人と交わる煩わしさも無く

本を読んだり考え事をしたりするには

最適の時間を提供してくれる。




ピカソもアインシュタインも

人生で最高の仕事をやりとげた時期は

恐ろしいほどの孤独であったと

述べている。




孤独がイヤなのであれば

他人の干渉に耳を傾け

大家族化を受け入れ

人と交わる煩わしさに甘んじる事だ。





個人の権利は絶対手放さないが

孤独はイヤだと泣きを入れるなど


身勝手なわがままで

自己矛盾の甘えであると、




、、、、、、私は思う。








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6 コメント

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おやじの弁当 (ボチボチかめ)
2011-01-07 23:48:55
Pさん 新年おめでとうございます。お説に同感です。

>亡くなった母に子育てを任せてきた父は、叱るほか接し方を知らなかった、と姉は言う。それが息子を逆上させ、時に暴力となった。

このように立派な父上なのに。


現代は、働かない落ちこぼれに手を差伸べることが
優しさだと勘違いしている風潮がありますね。

この48歳の男の父上は、叱ることで、子が生きる上ので「型」を
教えているのに子を思う親の心がわからない。

人の心の有様を斟酌して、庇うものだから心理学という学問が、
一方で ダメ人間を作ってしまう感も否めないと思います。

少し、長くなりますがごめんなさい。

ある日、母親が作った弁当を間違えて持って行ってしまった子どもがいました。
開けてみると、おやじの弁当はご飯が半分で軽く、おかずは味噌が載せてあった。
いつも食べている自分の弁当は、重く、メザシが入っていたことを
間違えて、初めて知るのです。

肉体労働をしている親が子供の分量の半分で、おかずのない弁当を持っていく。
両親は一切黙して語らずです。

これを知った瞬間、子を思う親の真情を理解した子は、
胸がつまり、涙あふれ、両親の期待を裏切るまいと心に誓って
勉学に励むという 中條高徳氏のお話です。

なにが、父さんへの復讐ですか。
>将来を案じ、年金保険料を代納し、貯金を続けた。スーパーの警備員など定年後も75歳まで働いた。
48歳の男が、年金を受け取る時期になり
これさえも 恩の押し売りだと生意気にも言うのでしょうか
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専業子供 (さらりん)
2011-01-08 12:13:01
Pさま こんにちは。

ある引きこもりの体験者は自らを「専業子供」と名付け、
親の願う通りに、いつまでも子供でいてやるのだそうです。
彼の本にも「親に土下座させたい」という言葉がありました。

引きこもる彼らには本人しか分からない苦しみがあるとは思います。

しかしながら雨露を凌ぐ家がある。
世間の矢面になってくれる親がいる。
働かずに食事を取り、夜に休む場所がある。
何より自分の将来を案じてくれる親がいる。

これだけのものを与えられながら、
親への復讐と語ることを私には理解できません。
復讐するほど憎いと思う親なら、
親の建てた家になど住みたくもないし、
親からのお金など一銭も当てにしたくないと、
私ならそう思います。
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何と恐ろしい話でしょう。 (ベッラ・カンタービレ)
2011-01-08 12:20:22
P様、こんにちは♪

♪なんてのんきに付けている場合ではないでしょうけれど、私はただただ、恐ろしい。
人間が人間でなくなったような・・・。
どこでどうなってこんな卑怯なことを、って。
心が痛むばかりで、目をそむけたくなっちゃうのです。

あまりにも地獄ではないでしょうか。
小さな時から親に叱られたりかわいがられたり・・・ほとんどは叱られたりなんですが、それもなつかしい思い出。

私が幸福な子供だったからかしら、辛い記事です。
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コインの裏表 (P@RAGAZZO)
2011-01-08 12:47:50
こんにちは、大姉。

朝日の記事も大姉のお話も
親が子を想う気持ちの重たさを思うに
充分の内容ですね。

ところが朝日は
勝手気ままな年を食った子の心情を理解しない社会や親が
あたかも悪いかのように書いています。

おかしなことですね。

社会と繋がり持ちたくなければ
それはそれで良いと思います。
しかし、その事によって生まれる寂寥や不便は
甘んじて受けるべきでしょう。

逆に群れを為すことが好きな人もいます。
それも生き方でしょう。
そういう人は他人との軋轢や煩わしさも
合わせて引き受けるべきなのです。

煩わしさはイヤだが孤独は嫌、
などというのは単なるワガママに過ぎませんね。

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その通りです。 (P@RAGAZZO)
2011-01-08 13:05:43
さらりんさん、こんにちは。

「専業子供」ですか、、すごい言葉ですね。

家族が一緒に住むということは、
親子であっても他人なのですから
色々と面倒な事もありますね。
大人数であればそれはもう大変でしょう。

しかし、であるからこそ、
社会で生きていくスキルも勉強する事ができるし、
家族間であれば多少の失敗も許されるのです。

全てが思い通りになる世界などは
この世に存在しません。

さらりんさんがおっしゃるように、
親が気に食わなければ
もっと厳しい世間に飛び出せばよいのです。

働くのはイヤ、めしは食いたい、
夜は布団で寝たい、一日中テレビゲームをやっていたい。
そして親に復讐。

何を言ってるのか?
と尻を蹴飛ばしたいです。
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ニジェール (P@RAGAZZO)
2011-01-08 13:22:26
ベッラさん、こんにちは。

>>私が幸福な子供だったからかしら

これです。
この気持ちが大切なのだと思います。

日本に住む人々がどんなに酷い状況であったとしても
アフリカの貧国に比べれば天国です。

例えばニジェールなどは
国民の平均年収は3万円ほどで、
1日100円で暮らしています。

旱魃が起きれば国民の25%は
飢餓状態になります。

それでもニジェールの子供たちは
「今日は食べられた」と
笑って暮らしているのです。

自分を幸福だと思わない人は
幸福から逃げられる人だと思いますね。
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