「ザ・コーヴ」出演者、上映中止に「遺憾」
和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りした米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」に出演した保護活動家のリチャード・オバリー氏(70)が12日、大阪市内で記者会見した。
上映中止を決める映画館が相次ぐ状況に、「劇場への圧力など、民主主義を脅かす行動は遺憾に思う」と訴えた。
報道関係者らを前に、オバリー氏は、「上映に反対する人たちにも権利はあるが、この映画は日本たたきではないし、数々の賞に輝いたことから分かるようにエンターテインメント性もある。
映画を見て一人ひとりが判断してくれれば」とし、「(上映反対は)表現の自由を保障した日本国憲法に対する攻撃と一緒。言論の自由を守るため、映画館は立ち上がってほしい」と話した。
(2010年6月12日15時39分 読売新聞)
なにが『民主主義』だよ。
お前らが表現の自由を謳うのは自由だが
上映に反対する自由も
上映しない自由もあるではないか。
しかもこの撮影は
住民が嫌がっていたにもかかわらず
隠し撮りなどを駆使して強行されたもので、
日本人から見たら
レイシストによる人種差別としか思えない。
なぜ、いつもいつも攻撃対象が
日本人なのだ?
スペインの闘牛はどうした?
オーストラリアのカンガルー撲殺は
無視かね?
そんなに動物虐待を
映画にしたいのだったら
硬い棒で犬を叩きまわっている
英国のエドワード王子を
主役にしたらどうだ?
↓
自分達だけの為に安直に使う二枚舌出しかありませんね。
そもそも、隠し撮り、盗み撮りまでして
漁師さんとか地元の気持ちは無視ですか。
映画としてどうなんですかね。
表現の自由とか言う以前の問題だと思います。
やめてくれ、って言ってるのに、顔もアップで映しているとか。そういう方達の「人権」は
どうでもいいんですか??
自分達は牛、豚を食する癖に、人にあれを食うな、とか言う資格なんかないでしょう。
牛さんや豚さんだって死なせて食肉にする訳で、それを映像にして、そこで働いてる人を映したらどうでしょう。とても残虐なことをしているように見えますよ、それは。
そんなことを言い出したら、何も食べられない。感謝していただくのが命の有り難味、というものでしょう。これはただの日本人差別ですよ!
なにやら昨年もロシアで少女が食べられてますが?
何か?
これも、白人さんが自分達がアジアやアステカに阿漕なことをした事の免罪府に日本を「侵略戦争だったろー?わあああ!!」と責めてるのと通じるような。
オイラ達は日本人みたいに残虐じゃないっすよねー?と言いたい??
無~理~…、無理通したい?通したいんだよねぇ。
美しくないですねぇ。
先日の緑豆野郎達ではないですが、やはり日本人は反撃しないと思われてるんですね。
徹底抗戦しないと不愉快です。
『ザ・犬食』は撮らないんでしょうか?
いかがでショ~??待ってますよ。
付け加えるなら彼はエゴや価値観をきれいな言葉で無理やり一方的に日本人に押し付け、
イルカ漁という日本の伝統文化を悪と決め付け日本の文化破壊をしたいんでしょうね。
〝私は彼らに問いたい、イルカや鯨が駄目で何故、豚や牛はOKなのか?〟
根拠が曖昧なイデオロギーほど質の悪いモノはないですね。
「鯨法会」という金子みすずの詩があります。
父と母を失った鯨の子が「こいし こいし」と
鯨法会の鐘の音を聞きながらなく…
そういう内容です。
みすずの故郷、山口の仙崎は捕鯨が盛んで
母鯨のお腹の中にいた胎児を
供養する鯨基というお墓もあるそうです。
海に囲まれた日本では獣肉を食べない代わりに
海の生物を頂いてきたわけで、
人間は生きていくことは、
殺生の上に成り立っていることを
日本人は大切にしてきたと思います。
こんな偏向プロパガンダな映像で
資金集めしようという魂胆見え見えです。
まったくおっしゃるとおりです。
彼らの言う自由とか権利は
自分たちにのみ都合の良い恣意的な思想のようで、
反対側にいる人々のそれは認めていないという
不思議なアイロニーの中にあります。
彼らの活動のいやらしい事は、
それが常に非生活者が
生活者を批判しているところにあります。
今回の事にしろ、鯨にしろ、
それに携わっている人々には生活があります。
もう堂々とそして敢然と戦うべきですね。
あはは、全くおっしゃるとおりで、
先の大戦前までは
欧米のほとんどが帝国主義を採っており、
アジア、アフリカで
白人国に植民地化されなかった国のほうが稀でした。
ところが、大戦の途中から
『帝国主義はイケナイ』というルールに突如ルール変更し
そのことに気付かなかった日本は
ていよく嵌められて『世界の極悪国』に
仕立て上げられてしまった。
ルール変更は白人連中の常套手段で
それは戦争から柔道に至るまで、
常に自分らの都合のよいように変更され、
だいたい、牛や豚が可哀想でなくて、
鯨やイルカが可哀想なんてのは
どなたはんが決めたんかい?
とお尋ねしたいものです。
可哀想っちゅーなら全て可哀想なわけで、
我々は
『可哀想ですが、、いただきます。ありがとうございます』
の心を持てばよいのだと思いますね。
その通りですね。
欧米、特に欧州は
『多文化の共生』を声高に謳う国がほとんどですが、
それは『多文化を認めたくない本心』の裏返しです。
オーストラリアなどは元々英国の犯罪者流刑国で、
英国人は豪州内でアイルランド人を差別し、
アボリジニなどは人だと思わなかった。
ピーター ケアリーが『ケリー・ギャングの真実の歴史』に
豪州内におけるアイルランド人たちの悲劇を書いていますが、
オーストラリアこそ
レイシスト達の国だったのです。
何が鯨か?
何がイルカか?
と毅然としていればよいのです。
金子みすずさんは名前は知っていましたが
その作品を恥ずかしながら知りませんでした。
さらりんさんは詩や歌をよくご存知ですね。
勉強になります、ありがとう。
さらりんさんのおっしゃるように、
私たちは皆他の生物の生命を殺めて生きています。
世界中でどの種の生命をいただいてきたかは
その民族や国々の成り立ちや文化によって様々であり、
そのどれが崇高でどれが下劣であるかなど
世界の何人といえども
ジャッジする事など僭越にもほどがあるというものです。
環境や動物愛護を声高に言う人々の
己を高みに置いた卑しさは
彼らがガンジーのごとく断食で痩せさらばえておればまだしも、
豚のように太ったその体が
如実に物語っていると言えましょう。