日本人も『国歌』を歌おう。

2008-10-23 18:23:14 | 社会
上海外国語大で日本人留学生が小競り合い

・中国・上海の日本総領事館などが22日明らかにしたところによると、上海外国語大の
 学内で20日夜、酒を飲んで騒いでいた日本人留学生と、抗議した中国人学生が
 小競り合いになり、日本人留学生1人が殴られた。

 日本人留学生が鉄パイプで中国人学生を殴り、2人が負傷したとの情報もあるが、
 確認されていない。

 総領事館や目撃者らによると、校内にあるバーの店長を務める日本人留学生ら
 数人が学内で騒いでいたのに対し、中国人学生がペットボトルを投げ付けるなどして
 抗議、小競り合いとなった。

 日本人留学生は宿舎に逃げ込んだが、中国人学生約100人が宿舎近くで国歌を
 歌うなど抗議を続け、警官が出動して解散させたという。

[2008年10月23日2時33分]ニッカンスポーツ





よく読めば判るが、
 
日本人は数人で酒を飲み騒いだだけだ。

これに対し、

支那人たちがペットボトルを投げつけた。

小競り合いの後、

日本人は宿舎に逃げ込んだ。

支那人が100人ほど集まり、

支那の国歌「義勇軍行進曲」を歌い、喚声を上げた。


支那の国歌は後に述べるが、

戦争の歌でなかなか勇ましい。

「君が代」は非常に穏便な歌で

大勢で喚声を上げることなどできず、

誠に平和的な国歌と言える。


世界の国の国歌は戦いの歌が多いが

それでも皆が胸を張って歌う。


私としては、宿舎内でいいから、

この留学生の日本人達に

静かに「君が代」を歌って欲しかった。






【支那の国歌「義勇軍行進曲」】

起來 ! 不 願 做 奴隷 的 人們 !

把 我們 的 血肉 築成 我們 新 的 長城 !

中華 民族 到 了 最 危險; 的 時候, 毎 個 人被 迫 着 發出 最后 的 吼声。

起來 ! 起來 ! 起來 !

我們 萬眾 一心, 冒着 敵人 的 炮火, 前進 !

冒着 敵人 的 炮火, 前進 ! 前進 ! 前前進 !

(訳)
起て,奴隷となるな人々よ。
われらの血と肉で築こう万里の長城を。
中華民族 今 危機にあり。雄たけびあげよ。
戦いに起て,起て,起て。
心を合わせ,砲火を冒せ。
前へ。砲火を冒せ。前へ。前へ。さらに前へ。










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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
‘‘‘ (そう)
2008-10-23 19:09:47
君は中国国歌の意味がわかる???
日本の侵略を抵抗するため作った曲だ!

http://www.westpassion.com
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Unknown (P@RAGAZZO)
2008-10-23 19:19:14
あ、そう。
だから何だ?
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抵抗の歌 (Meizenese)
2008-10-25 18:23:33
こんばんわ、Pさん。
私は、この歌を知りませんでした。

ところで、

「支那の国歌は後に述べるが、戦争の歌・・」と書かれていますが、あとに述べるというのは、歌の中国語と日本語の歌詞のことでしょうか。

そうしますと、

起來 ! 起來 ! 起來 ! →戦いに起て,起て,起て。
となりますが、中国語には「戦い」の文字はありません。

冒着 敵人 的 炮火→砲火を冒せ
となりますが、この日本語はいかにもおかしいと思います。危険を冒すとは言いますが、「砲火を冒す」という言い方はあまりしないような気がします。
確かに、中国語の冒(mao)には、日本語でいう「冒す」すなわち「あえて危険な状態に入っていく」というような意味もあるようですが、この場合、吹き出すとか吹っ飛ばすとかいう意味の方が適確ではないかと愚考します。

私だったら、
「敵の砲火を蹴散らしてしまえ。」
とか訳しますね。

いずれにしろ、この歌詞で、戦争の歌と決めるのはちと早計ではないかと思います。
どちらかというと抵抗の歌でしょう。

主権国同士の戦闘である「戦争」というより、歌の成り立ちを調べますと抗日戦のときにできたようですから、「抵抗戦」の歌だと思います。「出て行け」という意味ですね。日本自体が戦争ではなく「事変」と言っていましたね。
「武器を取れ」とか、積極的な武力行使の文言は入っていません(貴日本語訳にはあるようですが、中国語の歌詞にはないと思うのは、上記のとおりです。)たぶん意識的に入れていないのだと思います。


メロディを知りませんが、勇ましい歌であるのは確かでしょうね。中国の学生さんたちも、過激な歌い方をしたかもしれませんね。

そういえば、小学校時代、鼓笛隊で「君が代行進曲」というのをやらされましたが、なかなか勇ましかったですよ。短調も編曲すれば、カッコ良くなるんだなと子ども心に思いました。勇ましいのは好きでしたね。

ではまた。
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戦争の歌だと思います。 (P@RAGAZZO)
2008-10-25 19:24:35
こんにちは、Meizeneseさん。

そうですか、、
しかしながら、大阪在住の劉さんという方が
『抗日戦争』の歌だとおっしゃっていますよ。
http://www.janjanblog.jp/user/ramenya3/ramenya3/11286.html
『抗日戦争』は戦争だと思います。


>>支那の国歌は後に述べるが、
>>戦争の歌でなかなか勇ましい。

で何かおかしいですか?
私はどのような種類の戦争であるかには全く触れていません。
『中国の国歌は戦争の歌で勇ましい』と述べているにすぎません。

戦争の歌だと思いますよ。


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ありがとうございます (Meizenese)
2008-10-25 21:32:12
ご配慮ありがとうございます(といっても、多分、Pさんにしか分からないと思いますが、ちゃんと気がつきました。)。
私が思うに、貴兄と私の考えで最も一致するところは、言いたいことを妨害されることがいやだということだと思います。先般も、ここに脅しのようなコメントを寄せた人がいましたが、うんざりしますね。

ところで、本題ですが、

大阪の劉さんが、何を言っているかには興味はありません。貴兄も劉さんが戦争だと言っているから戦争だと思っているわけではないでしょう。貴兄は劉さんの考えを支持しているわけではないでしょうからね。劉さんの主張は少なくとも私の主張には全く関係がありません。「あっそう。」という感じです。

しかし、少なくとも仮に戦争と呼ぶとしても41年に国民党政府が宣戦布告してからだと思います。それでも日本は国民党政府を相手にせずでしたから、最後まで事変として日本政府自身が戦争と認めていなかったのはご承知のとおりです。
そしてさらにこの歌は共産党軍の歌です。当時、共産党以外に、共産党軍を正規軍と考えていた人はいないでしょう。
ただ、少なくとも、貴兄と大阪の劉さんは戦争と思っていることは分かりました。

ところで、貴兄と私の戦争について考えが違うのは分かりました。つまり、経済戦争とかの比喩は別にして、私が考えるより広い意味での武力衝突を戦争と考えているわけですね。
ここのところは、また別の機会にお話しするとして、議論を進めるために貴兄の考えによる(と私が考える)戦争、すなわち抗日戦が戦争であるということを前提にして話を進めましょう。

戦争の歌だという根拠を後で述べるといわれていますが、それはどれでしょうか。この歌の背景を調べていけば、戦争の歌ということになるやもしれませんが、貴兄がどこのその根拠を述べておられるのでしょうか。

先にも書きましたが、歌詞にはあえて武力を取るというような歌詞(もとはあったかもしれません。)を避けているような感じがするのです。

私は、本質的な意味では、歴史的に貴兄の言う意味での戦争の歌であろうことは否定しません。私は知りませんが、メロディも勇ましいものではないかと思慮します。

でも、私には、たとえば「冒着 敵人 的 炮火」は相手の武力に向かう気構えは分かりますが、それが武力行使だと断言できることはできないような気がします。
もとは、もっと勇ましかったのかもしれませんが、意図的にそのような変更をしたのではないかと思うのです。

つまり、お聞きしたいのは「あとで述べる」とおっしゃっている部分がどこかということです。「義勇軍行進曲」という曲名ですか。
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中国語 (Meizenese)
2008-10-25 23:17:19
ちなみに、貴兄が書かれている歌の漢字はたぶんどこでも中途半端です。

今、多く使われている漢字は大陸の簡体字ですが、台湾などでは繁体字が使われています。日本は、また日本の漢字です。
貴兄の書かれている歌は、ほぼ繁体字で書かれていますから、中国の国歌を台湾の言葉に訳したことになります。
しかし、それでも繁体字そのものではなく、たとえば「最后的 吼声」は、台湾では「最後的吼聲」と書くと思います。
本論とは全く関係ないことですが、取材元があまり良くないような気もします。
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曲がった胡瓜 (P@RAGAZZO)
2008-10-26 12:03:10
こんにちは、Meizeneseさん。

当初、「曲がった胡瓜」を、私が『これは胡瓜です』と言っているのを、
あなたが『いや、これは曲がっている』とおっしゃっているのか
、、と思っていましたが、
なるほど、あなたの言わんとするところが愚鈍な私にもようやく解かりました。

>>支那の国歌は後に述べるが、
>>戦争の歌でなかなか勇ましい。

は、『支那の国歌は後に述べるが、(その歌詞に述べられているように)戦争の歌でなかなか勇ましい。』
という意味ではありません。

『支那の国歌は戦争の歌でなかなか勇ましい。その歌詞については後に添付する。』
という意味です。

つまり歌詞に書かれている内容によって、
私が戦争であるという判断をしたのではありません。

では何故私が『義勇軍行進曲』を戦争の歌と言ったのか?

この歌は31年の武力衝突の後35年に作られた抗日映画「風雲児女」の主題歌であり、
その後に国歌となった経緯があります。
ご存知のように、支那には「抗日戦争記念館」http://www.geocities.jp/w_akiaki/photogallery/kakudai/kounitisennsoukinennkann.html
というものがあり、
上記の衝突も含めた武力衝突を支那自身も『戦争』と言っています。(劉さんばかりでなく)

これらの武力衝突が戦争では無いと言いきれる人は余り居ないのではないでしょうか。
(あなたもそれは否定しないとおっしゃっています)


この歌詞について言えば、
冒着 敵人 的 炮火, 前進 ! 前進 ! 前前進 !
の『敵人』はその経緯からいえば『日本人』という事になりますが、
その和訳には『敵人』について述べられていません。

ある国を想定した戦いの歌が『国歌』であるというのは「穏やかでない」。
という配慮ではないか、、と私は思っています。 
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胡瓜は胡瓜でしょう (Meizenese)
2008-10-26 16:27:42
たとえ曲がっていても、折れていてもね。

貴兄が認識されていると同様に、私は、私と貴兄の考え方に大きな隔たりがあることはよく理解しています。
だから、その辺のところは、流れの中で必要最小限のことしか触れるつもりはありませんでした。そこに入り込んだら、いつ終わるか分かりませんからね。

その辺り、つまり「隔たり」のところは、そのうちじっくりとお酒でも飲みながら、口角泡を飛ばしてやろうじゃありませんか。

体調はどうですか。私もそろそろ定期検査の時期です。

さて、本論の続きですが、そうですか。

どうやら私の方にも早とちりがあったようですね。
「後に述べる」というのは、「根拠を述べる」という意味ではなく、たんに「歌詞を書くよ」ということだったのですか。分かりました。

早とちりの言い訳をするとするならば、貴兄が掲載した『義勇軍行進曲』の邦訳が意図的に歪曲して訳されていると感じたからです。

上に書きましたとおり、「戦いに・・」ということばは根拠なく付け加えられていますし、「砲火を冒せ」という不思議な日本語は「侵す」、「犯す」と音(おん)が同じですから、いやでも武力攻撃をイメージさせるように思うのです。悪意を持って訳したとしか考えられないのです。ためにする翻訳だと思いました。

気がつけば、ここの「Recent Comment」欄には貴兄の名前以外は私の名前だけになってしまいました。
まあ、たまのことですから許してください。
では、また。
返信する
ご自愛下さい。 (P@RAGAZZO)
2008-10-26 17:29:45
体調はまぁまぁですよ。ありがとう。

そうですね、お互いの考え方の相違は簡単に埋まるものではありません。
また、それぞれに理由があり、どちらが正しいというものでもないでしょう。
しかし、違いは違いとして認めながらも話をする事は大切であると思います。
お会いできる日を楽しみにしています。

私は中国語の専門家ではありませんので、
「義勇軍行進曲」とその和訳に隠れた意味があるのかどうかについてはよく判りません。
あなたがそう言うのであればそうであるのかも知れませんね。
しかし勇ましい歌だとは思いましたし、
その和訳によって私の記事に何ら影響を与えないであろうとも確認しました。

コメント欄は私の意思の及ばない事なので、そもそも気にしません。
書いていただければ感謝しますし、無ければそれだけの事です。
なにもあなたが気にする事はありませんよ。

また、脅しやアラシには、出来るだけ省エネで、
適当にカウンターを当てたりして楽しむだけです。


Meizeneseさんもお体を大切に、風邪をひかれませんように。



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