生活保護者と低賃金所得者

2007-03-03 17:35:19 | 社会
日経新聞に「成長を考える」という特集記事があり、
今朝は、生活保護受給者よりも働く低所得者の方が収入が少なく、
若年の生活保護受給者の中には『何で働かんとあかんの?』などと言う人も居て、
なかなか生活保護から自立しようという意欲が感じられない。
という様な事が書かれていた。


記事によると、

大阪のある男性の場合、給与13万3千円、税と社会保険料を差し引くと手取り11万6千円。
通院すれば医療費を負担する。

ところが保護を受ける30代の男性の場合、12万5千円が支給され税は免除、医療費も国が負担する。

なるほどこれでは汗水垂らして働くより、ブラブラして生活保護を受けた方が損得で言えば「得」だ。


しかし、もちろん体が不自由など働きたくとも“働けない”人など、真に社会的弱者は別として、
そうではなく“働かない”人たちは、本当の意味で生きている事に意義や喜びを見い出せているのであろうか?

私事であるが、私の老父は何もせずに年金で暮らしている。
現在の父の口癖は
『今の自分は居てもいなくてもこの世に何ら変わりはなく、生きている意義を見い出せない。 
 無償でよいから何か人のお役に立ちたい』
というもので、
これは父だけではなく、普通の人間の当たり前の感覚ではないかと思う。


人というのは、この社会に対し何らかの関わりや役割を引き受ける事によって、その存在の意義や立場所を見出すもので、
働かなくても誰かがオートマチックにお金をくれるから、
或いはその方が汗して働くよりも“得”だからという理由で
ブラブラしてただ日々食むばかりの人生などは
我が家の金籠の中にもう10年もただただ餌を与えられて生きているだけ。の 
ウサギと大差の無い人生の浪費というものであろう。


為政者もまた、このような理不尽な不平等を正す事はもちろんとして、
働くという事は、
収入を得るという一面ばかりだけではなく、
社会のお役に立ち、人の為になり、ひいては自分自身の存在の証(あかし)でもある。
という大切な一面をもう少しこれらの“働かない”人々に説諭すべきではないか。
と このようにぼんやりと考えている。





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