昨日の朝日新聞の一面は昭和天皇の侍従を務めた卜部亮吾氏の日記暴露で、
朝日は得意満面のご様子であった。
内容はいわゆる「富田メモ」の焼き直しで特に目新しい事は無く、
しいて言えば昭和天皇が衰弱していかれる様子を細微に亘って描写している事くらいであろう。
まず最初、この記事を読んだ時に私はビックリした件(くだり)がある。
それは朝日の書き出しの部分で
『日記で詳細をきわめるのが、昭和天皇の闘病から逝去までの記述だ。
天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、
体調の悪化で中止に追い込まれる。』
という所だ。
「中止に【追い込まれる】。」というのはどういう意味なのだろうか?
【追い込まれる】という言葉は受動的な言葉であるから、
対称として【追い込む】或いは【追い込みたい】という能動のエネルギーと一対となる訳だが、
いったい誰が天皇の沖縄訪問を中止に追い込みたいと願っていたのか?
中山千夏が「週刊金曜日」(だったと思うが)で
『天皇家なんてお家は無くなってしまえばいいのに』とか言っていたが、
中山の考えは自由だろうから何とでも言えば良い。
しかし、例えば中山が、或いは朝日新聞の記者自身が、
晩年どうしても行きたかった地に行こうと思っていたけれども叶わなかった時、
周りの人に
『中山さん(朝日太郎さん)の旅行は中止に追い込まれたらしいわよ』
とか言われたらどのような気分になるだろうか?
朝日が天皇を敬わない事はその記事の中に無数に散見されることで、
私としては良い気分ではないが無視する。
しかし普通の人々でも心塞ぐような言葉を、
敢えて天皇に浴びせかけるのはどうにも我慢がならない。
また富田にしろ卜部にしろ、
天皇といえども少なくとも一個人の(或いは全身これ公人であったとしても)
老い衰え、衰弱し、死に至る過程を事細かに書き記し、
しかもその親族に諮ることなく暴露公表するなどは
“忠臣”としてなどは言うも及ばず、“人”として如何か?
と考えるものである。
朝日は得意満面のご様子であった。
内容はいわゆる「富田メモ」の焼き直しで特に目新しい事は無く、
しいて言えば昭和天皇が衰弱していかれる様子を細微に亘って描写している事くらいであろう。
まず最初、この記事を読んだ時に私はビックリした件(くだり)がある。
それは朝日の書き出しの部分で
『日記で詳細をきわめるのが、昭和天皇の闘病から逝去までの記述だ。
天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、
体調の悪化で中止に追い込まれる。』
という所だ。
「中止に【追い込まれる】。」というのはどういう意味なのだろうか?
【追い込まれる】という言葉は受動的な言葉であるから、
対称として【追い込む】或いは【追い込みたい】という能動のエネルギーと一対となる訳だが、
いったい誰が天皇の沖縄訪問を中止に追い込みたいと願っていたのか?
中山千夏が「週刊金曜日」(だったと思うが)で
『天皇家なんてお家は無くなってしまえばいいのに』とか言っていたが、
中山の考えは自由だろうから何とでも言えば良い。
しかし、例えば中山が、或いは朝日新聞の記者自身が、
晩年どうしても行きたかった地に行こうと思っていたけれども叶わなかった時、
周りの人に
『中山さん(朝日太郎さん)の旅行は中止に追い込まれたらしいわよ』
とか言われたらどのような気分になるだろうか?
朝日が天皇を敬わない事はその記事の中に無数に散見されることで、
私としては良い気分ではないが無視する。
しかし普通の人々でも心塞ぐような言葉を、
敢えて天皇に浴びせかけるのはどうにも我慢がならない。
また富田にしろ卜部にしろ、
天皇といえども少なくとも一個人の(或いは全身これ公人であったとしても)
老い衰え、衰弱し、死に至る過程を事細かに書き記し、
しかもその親族に諮ることなく暴露公表するなどは
“忠臣”としてなどは言うも及ばず、“人”として如何か?
と考えるものである。
口の悪いPさんが、中山千夏や朝日新聞の口の利き方を云々するのも面白いですね。(笑)
相手が天皇だから我慢がならないとのこと。ということは、あなたは今上天皇を敬うお気持ちがあるのですね。それこそ自由なのでしょうが、理由が何かあるのですか。
園遊会のニュースを見て、参列者の皆さんがどうしてあんなに嬉しそうにされているのか、不思議でしようがありません。
その人がどのような家に生まれたかが、尊敬する人格かどうかの基準にはなりません。人格が家庭環境から大きな影響を受けることはもちろん押さえておりますが。例外は山ほどあるでしょう。
また、天皇家に生まれてきたからといって、はなから基本的人権の埒外に置かれてしまうことは、彼らにとっても不自由なことでしょう。
婚姻ひとつ、出産ひとつでも大変です。まるで天然記念物に指定された動物のような扱い(非人道的)ではありませんか。
率直に言って、みんな裸で生まれてくるのです。何の違いもありませんよ。赤ちゃんはみんな平等の権利を持って生まれてくるという自然な感覚で天皇制を見つめ直したらどうでしょうか。
それから、私たちが体験している現在の天皇制というものは、古代から続いてきた記紀ものとは異質ですよね。妙にヨーロッパ的なものが混じっていますね。
19世紀の帝国主義の時代に対応して、薩長明治政府が玉として担ぎ上げたとき、近代的に再構築されたものだからでしょう。さて、一体何処に聖なるものを見いだすことができるのでしょうか。
やはりこれは、マッカーサーの肝いりによって生き延びてしまった時代錯誤ではありませんか。
はやく、1条を廃棄して、品の良い伝統文化の香りある閨閥名家として自由にしてさし上げればいいと思うのですが。そういう意味で、僕はかくれ改憲派です。
私は以前から再々申し上げておりますように天皇に対する特別の感情はありません。
bonnieさんご指摘の私の口の悪さはもちろん自認している所でもありますが、
bonnieさんや私が個々人のブログなどで悪態をつくのと朝日新聞など日に800万部もの販売を誇る新聞とでは
その言葉の重みはおのずと違うものと認識すべきでしょう。
私が朝日の【追い込まれた】という言葉や、
中山千夏ら『週刊金曜日』の「天皇家中傷劇」中のコント
(悠仁親王を「猿のぬいぐるみ」に見立て放り投げたり、天皇の前立腺がんを笑いものにしたり)
に不快感を覚えるのは、
対象が天皇家だからではなくて、
普通の我々のようなものでも悲しくなるような事を、
中山や朝日が、相手が天皇家であるという理由で殊更に侮辱しているように思えるからです。
bonnieさんでも、お子さんが中傷されたりお父さんが侮辱されたりしたら
悲しかったり腹が立ったりしませんか?
しかも天皇家はそれらの中傷侮蔑に対し全く反論せず、
只沈黙を守っているのですよ。
普通の人間として、
そんな行為(反論しない人を中傷侮蔑する事)に接し、
不愉快な気分になるのは至極当然のことではありませんか?
天皇家が天皇家となられたのは、諸説あるようですが、
『古事記』・『日本書紀』などによればその起源は紀元前660年に即位した神武天皇に遡ると言われており、
bonnieさんのおっしゃる「薩長明治政府が玉として」というのは
天皇家の長い歴史の中での1エピソードに過ぎないのではないでしょうか。
前述したように私は天皇家に特段の思いはありません。
が、しかし、もし天皇陛下が目前にいらしたならば、私は自然と頭(こうべ)を垂れるであろうと思います。
bonnieさん、これは日本人としてごく普通の感覚ですよ。
それと、映画クィーンを観て思いました。皇室とか王室とかに生まれた人はほとんどの人が自由のない息苦しさにあえでいるのではないでしょうか?
映画でエリザベス女王が「一度でいいから投票をしてみたい」ともらすシーンがありました。基本的人権さえも持てない暮らしなんて、つまらないでしょうね。
そういう意味で皇室廃止に賛成です。皇室の人たちを普通の人にもどしてあげたいと思います。
体調の悪化ですね、なるほどそうかもしれませんね。
でも、あっこちゃんのおっしゃるように『中止を余儀なくされた』と書いたほうが誤解を生まなかったかもしれませんね。
そうそう、あっこちゃん、今『花まんま』(朱川湊人)を半分位読みました。
あっこちゃんは直木賞ファンだから読まれたかな?
文章は面白いですが、霊的なものや、科学的でない物質が出てくるのがちょっと肌に合いません(笑)。
野沢尚の『眠れぬ夜を抱いて』は面白かったですよ。
「眠れぬ夜を抱いて」は読みました。確かテレビドラマにもなったように覚えてます。小説を気に入っているときは、テレビドラマや映画になったものは見ないようにしています。99%期待を裏切られるからです。
「眠れぬ・・・」は私も面白いと思いました。ただ、10年も前の恨みが、幸福な家庭を築いても変わらずに抱かれ続くものだろうかとは思いましたが・・・
Pさん。また読まれた本を紹介してください。このところ、私は双方の親の介護に忙殺されています。ぜひ情報をお願いします。
知りませんでした。
でも、あっこちゃんのおっしゃるように、
話題作のドラマはつまらない事が多いようですね。
あっこちゃんは両家の親御さんを見ておられるんですか?
ん~~、、おひとりでも大変なのに、、、
余り根(こん)をつめるとご自身が参りますよ。
適当にとは言いませんが、、ぼちぼちでいきましょう。