バスガール

2007-02-02 12:07:33 | 社会
今日は『バスガールの日』だそうである。

バスガールって言ったって要は女性車掌さんの事だから、ワンマンバス全盛の今日に於いては、ま、死語である。


なんで今日(2月2日)かと言うと、大正九年(1920)のこの日、東京の乗合自動車にバスガールが登場したからで、
「歳時記@きものフォーラム」によると
『青バスの愛称で知られた東京市街自動車会社が車掌として採用したもので、
 新宿と築地の間を結ぶ路線に、三十七人が乗務したのです。
 女学生でさえ和服の時代に、黒のツーピースに白の襟というハイカラな制服が話題をさらいました。』とある。

しかし、実情はそうでもなく、
関東大震災後、東京に初めて市バスが走ったのは、1924年(大正13年)1月18日であったが、
バスはT型フォードの11人乗りおんぼろバスで、当時、円太郎いう落語家が揶揄したため、この市バスは「円太郎」と呼ばれた。

その年の年12月20日に「赤襟嬢」という名の女性車掌(つまりバスガール)が登場するもまだまだ職業婦人には社会の目が厳しく、
希望者は少なく、第1回は定員170人のところ69人のみ採用。
第2回、第3回はともに定員120人のところ、大幅な定員割れとあまりの不人気に、市も困惑したようだ。

その数年後、今で言う“不良娘”の祖先「モダンガール」(モガ)が登場し、
まもなくバスガールの人気はグングンに高まっていき、ついには希望者が殺到となっていったのである。
ちなみに初任給は35円と当時としては破格であったらしい。


ところでその後、徐々に女性の社会進出が進む中で『○○ガール』と呼ばれる職業が人気を博し始め、世に言う「ガール時代」となる。
例えばハロー・ガール(電話交換手)マネキン・ガール(モデル兼売り子)エアー・ガール(スッチーの事)などなど、、、


思えば、女性が社会に進出してからまだ100年も経っていないんですね。

その頃の男共から見れば、
ヒラリー・クリントンが米史上初の女性大統領になろうかという今日(こんにち)などは、
まさに『隔世の感』と言えるのかもしれない。



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