四代目武志伊八郎信明作 水滸伝より 武松図
四代目武志伊八郎信明作 水滸伝より 公孫勝図
前の鬼板 「鐘馗」 嶋村俊正作 天保15年(1844)
後ろの鬼板 「松に虎」 嶋村俊正作 天保15年(1844)
「子持亀」 嶋村俊正作 天保15年(1844)
脇障子 「夫婦獅子」 嶋村俊表作 文久2年(1862)
脇障子 「獅子の子落し」 嶋村俊表作 文久2年(1862)
懸魚 「鵲(かささぎ)」 嶋村俊正作 天保15年(1844)
懸魚 「雲に龍」 嶋村俊表作 文久2年(1862)
「林和靖(りんなせい)」 嶋村俊正作 天保15年(1844)
金柱の振向 「獅子」 嶋村俊正作 天保15年(1844)
「大黒」 後藤利兵ヱ橘義光作 78歳
刻銘
勝浦のひな祭りを見に行ったとき 近くで 勝浦市指定有形文化財の 下本町祭屋台彫刻展が開かれていて 普段は年1回の祭りで 屋台に取り付けられた状態でしか見られないものが 今回は隠れた部分まで 間近で見せて貰うことが出来ました。祭りの時に 屋台を組み立ててしまうと なかなかよく見えませんね。 四代目武志伊八郎信明作 嶋村俊正作 嶋村俊表作と 凄いものばかりで驚きました。初代後藤義光作の 大黒も見事でした。今度は祭りに行って 下本町の祭屋台を見たいです。
下本町祭屋台彫刻展をアップしていただきありがとうございました
しかし、下本町に八代嶋村俊表作は存在しません
勝浦の三町屋台彫刻には上本町の脇障子二枚(刻銘在り・三国志)
が俊表作で他町には存在しないのです
この脇障子「夫婦獅子」と「獅子の子落とし」、
懸魚に使い廻している「波に竜」その様な説明があるのでしたらモンダイです
何も裏付けとなる刻銘・墨書もないのですから・・・。
文化財審議委員失格です
こんにちは~です
半日お疲れ様で~す
夜中から凄い雨でしたねぇ~ イベントが沢山あるみたいですが天気が悪く困りますね
どの彫刻も見事ですねぇ~彫刻を外すには屋台ばらしたんでしょうねぇ~?
普段は屋台に付いてるし
まっちの時も中々見れないしこの様な展覧会がなければジックリ見れないですね
めったんに間近で見れない彫刻をジックリ見れて写真も撮れて良かったですね
見事な彫刻の画像沢山見せて頂き有り難うございましたm(__)m
雨上がりですので
足元に気をつけて
午後からも無理せず
頑張りましょ
勝浦ではこういうものもやるんですね。
屋台の組み立てをはずして夫々見せてくれる
なんて興味のある人にとって有難い話です。
ここに飾られた彫刻、伊八や後藤義光、その他の素晴らしい作品、年月を経てまた重みが増し
神々しさまで感じてしまいます。
よいものを見せて頂き有難うございます。
彫刻展見てきました。
祭屋台から取り外された各部分部分が 展示されていました。
各部分に パネルで説明が付いていました。
忘れないよう説明もデジカメで撮ってきました。
俊表と書いてありましたね。
私はよく分からないので 凄いな~と見てきましたが 違うんですか。
こういう場合には どうするんですか。
う~~ん難しいですね。
いつも見ていただき 有難うございます。
見事な彫刻ばかりでした。
勝浦の方は 嶋村系が多いんですね。
下本町の祭屋台 組み立てられたところを 見てみたいです。
お祭は秋でしたね。
もうちょっと近場だったら 見に行かれるのですが。
雨が上がって良かったですね。
今日も一日お疲れ様でした。
いつも見ていただき 有難うございます。
他の嶋村系も見事ですが。
四代伊八が丁度柴又帝釈天で仕事してる頃ではないですか?
四代伊八は斬新なアイデアで初代~三代までとは独自の作風を築こうとしてたんですかね!
何かそんな気がします。
町会に勝浦市文化財審議委員が居住していながらの公表は見識を疑います。
文化財審議委員は公人です、公私混同はしないで欲しいし、モンダイになりますね。
彫物の収納する木箱に証明する仙蔵さんの墨書がアリンス
ホームページの「屋台彫刻」にその木箱墨書も載せています。
とても見事な彫刻でした。
屋台に組み込まれている状態では よく見れませんが
こうして 取り外した状態だと よく分かりますね。
なかなか見れないものを 見せて貰いました。
いつも見ていただき 有難うございます。
本当に見事な彫刻ですね。
屋台に組み込まれてしまうと
こんなにはっきりと写真が撮れないので
ここで見せてもらいよかったです。
maruchanさまの昨年の勝浦の祭の写真凄かったですね。
私も見に行ってみたいです。
いつも見ていただき 有難うございます。