以前に「アニメ美術館=国立漫画喫茶?」(5月15日)で伝えた、通称「アニメの殿堂」について、反対の動きがみられる。
やっぱりいらない?アニメの殿堂 / 自民PTが予算117億に「No」(まぐまぐニュース 09年6月9日)
平成21年度補正予算でくみこまれた「国立メディア芸術総合センター」(仮称)について、自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチーム(PT)が八日、政府に対し予算執行、建設停止を求める方針を発表。
このセンターは、「日本の漫画、アニメ、ビデオゲームなどを収集・展示し、その魅力を世界に発信する」ことを目的とした施設で、予算は117億円が計上されていた。野党からは国営漫画喫茶との非難の砲火をうけていたが、与党内からも税金の無駄遣いとの声があがった異例の事態。
私は五月半ばに既述したように、設営には反対だ。しかし、これを理由に次の選挙で民主党支持をしたいとは思わない。なぜなら小沢が大嫌いだから。
小沢は福田元首相や安倍元首相を人格攻撃にちかい陰湿な嫌がらせで退陣させた張本人で、しかも献金疑惑がありながら議員バッジを外さず副党首の座に居坐りつづけている。けっして、民主党に政権を渡したくはない。
小沢もしくはその傀儡の鳩山党首に比べたら、あれほど罵詈雑言を叩かれても、自分の政策を貫く麻生総理のほうがまだましだ。ひとつの政策に反対=首相降ろしではない。本案に反対した自民党のPTのなかには、じつは補正予算に賛成した者もいて、いまさらの反対に失笑を買ってもいるという。私としては、逆に国民の意見を反映して方針を変えたことを評価したい。おなじ与党であっても、異議を呈する者がいるというのはまだしも正常なのではないか、と考える。
さて、話がずれたが本題に戻ろう。
私は以前の記事でハコモノ行政(この言葉はしばしば無駄な公営施設を建設した際に用いられる常套句だが)だと批判したが、ある調査では七割の世論が反対だという。その割合が妥当かどうかはともく、今回は、賛成・反対・中立の三者の意見を拾っておく。
★賛成派
「“アニメの殿堂”必要」――里中満智子さんら、「原画やゲーム基板の保存場所を」と訴え(IT Media News 09年6月9日)
この意見は「国営漫画喫茶」という世評の偏見を除くための識者がひらいた、会合をレポートしている。一理あるとは思うが全面的には同意しかねる。
里中満智子の作品は嫌いではないが、彼女の意見には首をひねってしまう。
漫画の原画やゲーム基板の散逸を防ぐために、保存機関としてハコモノが必要と訴える。そしてまた、117億円のお金を若いクリエーターの支援にあてろという意見には、それは社会保障の問題、「労働と文化は別」と切り捨てる。
この意見をよんだ三十代以下の若手制作者はどう思っただろうか?団塊世代で年金も保障され、かつすでに名を成して連載抱えなくても食っていけるような老大家の自己保全。私にはそうとしか思えない。
たしかに日本のすぐれた漫画家の原画などは博物館資料として保管されてもいいと思うが、わざわざ国立の新しい施設をつくってまですべきことだろうか?国立国会図書館や各地の博物館に寄贈して保管してもらえばいいのではないだろうか?自分の資料を保存してもらいたいなら、遺族や外部の管理機関に頼むなど、すればいいのではないか?
そもそも、作家の原稿などを保存しだしたのは最近になってからで、日本の近代小説家の原稿など収集できない事例はいくらもある。
さらに大きな誤解は、里中氏らは漫画、いや大きくいえばメディア芸術の本質を勘違いしている。「アニメ美術館=国立漫画喫茶?」でも述べたが、漫画やアニメショーン、ゲームというのは、印刷物や放送というメディア(伝達媒体)を通して流布したものであって、それが描かれた原稿だの基板だのを、あたかも絵画や彫刻のように世界に唯一無二の芸術作品(art-object)のように思いなすのはおかしい。つまり、絵画や写真のようにファインアートではないのだ。
いわば浮世絵木版画の版木のようなもので、たしかに価値がないとはいえないが、多くの読者はコミックや映像に親しむだろう。原稿に愛着を抱いてるのは、出版社にへんなコピー文や飾りをいれられたり、気に入らない装丁をされたりで気分を害してきたやたらめったら芸術家志向の強い漫画家ぐらいなものではないか。
仮にこの国立マンガアニメミュージアムができたとしてだ、二十年も経てば施設は老朽化し、かつそこに収められた漫画やアニメはもはや時代遅れの思想や価値観を語っているものになる。そのミュージアムは新しいものを所蔵しないだろう。なぜならば、現代の漫画家はすでにCGで原稿を描いているからだ。
アニメの殿堂の誤解(ダイナミックアークの編集者ブログ)は、遺族やプロダクション任せにできずに散逸する原稿の窮状をうったえ、施設の必要性を説いてはいる。しかし、原画を額縁展示するという博物館的な見せかたには難色を示す。
原画を展示するというのは、百貨店やギャラリー、はては地方の公立ミュージアムが客寄せのために流行になったが、これが漫画家の気質を変えてしまったのもしれない。漫画とイラストレーションは違う。おもしろい漫画は絵がきれいなだけでなく、展開がおもしろいから読まれるのである。
【(二)に続く】
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やっぱりいらない?アニメの殿堂 / 自民PTが予算117億に「No」(まぐまぐニュース 09年6月9日)
平成21年度補正予算でくみこまれた「国立メディア芸術総合センター」(仮称)について、自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチーム(PT)が八日、政府に対し予算執行、建設停止を求める方針を発表。
このセンターは、「日本の漫画、アニメ、ビデオゲームなどを収集・展示し、その魅力を世界に発信する」ことを目的とした施設で、予算は117億円が計上されていた。野党からは国営漫画喫茶との非難の砲火をうけていたが、与党内からも税金の無駄遣いとの声があがった異例の事態。
私は五月半ばに既述したように、設営には反対だ。しかし、これを理由に次の選挙で民主党支持をしたいとは思わない。なぜなら小沢が大嫌いだから。
小沢は福田元首相や安倍元首相を人格攻撃にちかい陰湿な嫌がらせで退陣させた張本人で、しかも献金疑惑がありながら議員バッジを外さず副党首の座に居坐りつづけている。けっして、民主党に政権を渡したくはない。
小沢もしくはその傀儡の鳩山党首に比べたら、あれほど罵詈雑言を叩かれても、自分の政策を貫く麻生総理のほうがまだましだ。ひとつの政策に反対=首相降ろしではない。本案に反対した自民党のPTのなかには、じつは補正予算に賛成した者もいて、いまさらの反対に失笑を買ってもいるという。私としては、逆に国民の意見を反映して方針を変えたことを評価したい。おなじ与党であっても、異議を呈する者がいるというのはまだしも正常なのではないか、と考える。
さて、話がずれたが本題に戻ろう。
私は以前の記事でハコモノ行政(この言葉はしばしば無駄な公営施設を建設した際に用いられる常套句だが)だと批判したが、ある調査では七割の世論が反対だという。その割合が妥当かどうかはともく、今回は、賛成・反対・中立の三者の意見を拾っておく。
★賛成派
「“アニメの殿堂”必要」――里中満智子さんら、「原画やゲーム基板の保存場所を」と訴え(IT Media News 09年6月9日)
この意見は「国営漫画喫茶」という世評の偏見を除くための識者がひらいた、会合をレポートしている。一理あるとは思うが全面的には同意しかねる。
里中満智子の作品は嫌いではないが、彼女の意見には首をひねってしまう。
漫画の原画やゲーム基板の散逸を防ぐために、保存機関としてハコモノが必要と訴える。そしてまた、117億円のお金を若いクリエーターの支援にあてろという意見には、それは社会保障の問題、「労働と文化は別」と切り捨てる。
この意見をよんだ三十代以下の若手制作者はどう思っただろうか?団塊世代で年金も保障され、かつすでに名を成して連載抱えなくても食っていけるような老大家の自己保全。私にはそうとしか思えない。
たしかに日本のすぐれた漫画家の原画などは博物館資料として保管されてもいいと思うが、わざわざ国立の新しい施設をつくってまですべきことだろうか?国立国会図書館や各地の博物館に寄贈して保管してもらえばいいのではないだろうか?自分の資料を保存してもらいたいなら、遺族や外部の管理機関に頼むなど、すればいいのではないか?
そもそも、作家の原稿などを保存しだしたのは最近になってからで、日本の近代小説家の原稿など収集できない事例はいくらもある。
さらに大きな誤解は、里中氏らは漫画、いや大きくいえばメディア芸術の本質を勘違いしている。「アニメ美術館=国立漫画喫茶?」でも述べたが、漫画やアニメショーン、ゲームというのは、印刷物や放送というメディア(伝達媒体)を通して流布したものであって、それが描かれた原稿だの基板だのを、あたかも絵画や彫刻のように世界に唯一無二の芸術作品(art-object)のように思いなすのはおかしい。つまり、絵画や写真のようにファインアートではないのだ。
いわば浮世絵木版画の版木のようなもので、たしかに価値がないとはいえないが、多くの読者はコミックや映像に親しむだろう。原稿に愛着を抱いてるのは、出版社にへんなコピー文や飾りをいれられたり、気に入らない装丁をされたりで気分を害してきたやたらめったら芸術家志向の強い漫画家ぐらいなものではないか。
仮にこの国立マンガアニメミュージアムができたとしてだ、二十年も経てば施設は老朽化し、かつそこに収められた漫画やアニメはもはや時代遅れの思想や価値観を語っているものになる。そのミュージアムは新しいものを所蔵しないだろう。なぜならば、現代の漫画家はすでにCGで原稿を描いているからだ。
アニメの殿堂の誤解(ダイナミックアークの編集者ブログ)は、遺族やプロダクション任せにできずに散逸する原稿の窮状をうったえ、施設の必要性を説いてはいる。しかし、原画を額縁展示するという博物館的な見せかたには難色を示す。
原画を展示するというのは、百貨店やギャラリー、はては地方の公立ミュージアムが客寄せのために流行になったが、これが漫画家の気質を変えてしまったのもしれない。漫画とイラストレーションは違う。おもしろい漫画は絵がきれいなだけでなく、展開がおもしろいから読まれるのである。
【(二)に続く】
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首相答弁によれば、既にある建物を転用するので箱物ではなく、民間が運営するので天下り先にはならないという。
コンテンツ産業は、世界的に見れば27兆円の産業であり、日本のコンテンツ産業を伸ばすことにより、産業発展につなげるという。
毎年4兆円を投入して高速道路を無料化することが、はるかに税金の無駄遣いであり、利用しない人は税負担を強いられる。
これ、ほんとうに麻生さんの「発言そのまま」ですか? だとしたら最近?
既存の建物の転用って、ネットの意見に妥協したとしか思えないですが。「国立」芸術総合センター、新築ではなかったの?
あと、「天下り」は、退職した公務員(特にキャリア官僚)が、国税で運営していない特殊法人だろうが外郭団体の幹部職に再就職を斡旋することじゃないですか?
たとえ民間企業であっても、もと官僚や政治家の縁故者をそこのトップに据えてやる。企業側もその受け入れを応諾することで国や政治家に便宜を図ってもらえるという、官民癒着が問題になっている…と認識してます。
鳩山大臣の更迭の原因ともなった、日本郵政株式会社の社長引責問題は、麻生首相が民営化したはずの元公共企業体に介入したかたちになりました。
たとえ純粋な株株式会社形式にするにせよ、官の主導ということは、役員級の人選に口出しは必至。
日本の漫画・アニメの著作権保護(海外でパクリが多いので)、産業振興のためという意図はわかりますが、サブカルチャーって政治に与しないからこそ価値があるので、安易に保護されるべきではないと考えています。
むしろ、いままでの市場拡大のほうが異常だったんじゃないでしょうか。買う価値もない作品ばかり増えてますし。
自分の好きなアニメが国民の血税で保護されても嬉しくない。なぜなら、漫画やアニメを楽しむ余裕もなく生活するので精いっぱいな人が日本にはいるから。
この問題、自民党内からも反発があったので立ち消えになって、今度の衆院選の大事な論点でもないような。いまさら蒸し返して、論じるべきことなのかな。
東京だけにでかい国立の施設つくってもらっても、年金問題や雇用不安の解消など将来世代に不安要素を残されたのでは、たまったものではない。きれいな建物に、職にあぶれたホームレスの方がたむろする、そんな光景すら思い浮かびます。じっさい、覚えがあるので。