陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

アニメ美術館=国立漫画喫茶?

2009-05-15 | 芸術・文化・科学・歴史
Nowaday, an image exhibited in a museum or gallery of contemporary art that is not a tableau-object, or that is not accompanied by an object, is almost always a mere ghost, a shadow of a shadow. This is true too of video art: videos usually seem enervated when shown in a gallery (and they often make the viewer feel enervated) unless they are conceived as part of a three-dimentional installation.
   ───James Hall, The World as Sculpture, Pimlico, 2000, pp. 348-9.

(こんにち、画像なんてものは、美術館か画廊で飾られているものでしょう。えてして一枚の絵画じゃないような現代美術、あるいはひとつの物じたいに属さないような現代美術の画廊で。つまりそれはね、もうほとんどただの亡霊で、影のまた影であるような、そんな現代美術なんですよ。このことは、ビデオアートにまったくどんぴしゃり。というのも、たいがい画廊なんかで観たりしたら、ビデオは弱い感じがしますからね(よく、ビデオ観ると弱気になることあるでしょう)三次元のインスタレーションとでも認識されないかぎり、ビデオアートはヤワなんですよ)





かなりくだけた訳し方をしているが、あるニュースを聞いて、最近読みなおしたこの洋書の一節が思い浮かんだので引用した。ジェームズ・ホールは『西洋美術解読事典』を編纂した著名な美術史研究家である。たぶん、この本もやさしい英語で書かれているので、これぐらいの口調かと思う。


小沢氏が西松建設献金事件の責をとって、やっとのこと辞任するらしい。さっさと代表を降りていればよかったのに、権力にしがみつこうとする老人(といっても政界では若いほうなのだろうが)の醜い執着をみせられた気がする。
以前から民主党の実にもならない与党批判にはうんざりしていたが、たまにはまともなこと言う、と関心したのは鳩山由紀夫幹事長の発言。

アニメ美術館は「国立の漫画喫茶」 民主・鳩山氏が批判


平成二十一年度補正予算案に計上されたアニメ美術館建設費をめぐって、鳩山氏が地方の講演で批判したもの。ただし、浪費をたしなめているのはよろしいが、首相の人格攻撃的な口調はいただけない。
しかし、なぜ麻生首相はいきなり、アニメ美術館なんてものを建設しようといいだしたのか。それが合理的な理由が述べられないならば、自分の趣味に税金を投入している、と批判されてもおかしくはない。まさか、政界引退後、もしくは漫画好き官僚のための体のいい天下り機関だろうか?

私の意見では、あきらかにノーである。
たしかに、私はアニメや漫画が好きだし、日本の文化として理解されてほしいとは思うが、国立のミュージアムをつくるほどのものなのか、と思う。
そもそも八、九〇年代に濫造した各地の美術館・博物館の運営が立ち行かなくなって、さんざん非難されてきたというに、その教訓をまなんでいない。日本はあいかわらず建設業に景気の復興を期待するハコモノ行政の構造から抜けきれていないようだ。
現在の公営美術館だって、指定管理者制度などにして人件費削減をおこない生き残りに必死なのに。アニメを扱ったミュージアムなら入場者がバカスカ訪れるとでも思っているのか。能や歌舞伎のような上流階級好みの文化ではなく、アニメなんて若い貧困層を狙ったビジネスなのだから、儲かるわけはないのだ。しかも、支えているのは独身世帯で、深夜アニメが人気なのもそれがお金のかからない娯楽であるからにすぎない。つまり、アニメブームは経済の停滞と函数関係にある。オイルショック時に「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などのアニメが流行ったのも、貧しい若者にとっては、お金をかけず夢をみせてくれた恰好の嗜好品だったにすぎない。いまや、それがブランド品化しはじめていることに、とまどいを隠せないひとも多いのではないか。

そもそも、このアニメや漫画というのは、コンテンツ産業だ。すなわち、能やスポーツ、演劇、邦楽と違って、かならずしも保護するのに施設はいらない。
そして、いわゆる国公立の漫画喫茶というのは、すでに成立している。たとえば、大都市圏の図書館はたいがいそれなりの漫画やアニメのビデオが借りられるのだ。大きなアニメ美術館を東京にひとつつくってやるくらいなら、図書購入費のすくない地方自治体の図書館に、漫画やアニメのビデオを寄贈してやったほうが、ましだ。そのほうが、より多くの国民が、ひろくアニメ文化の享受をうけられることだろう。

麻生首相とその側近は、アニメーションひいては映像芸術の本質について、理解していないのだろう。
アニメや漫画のような複製可能な作品を、絵画や銅版画のようなオンリーワンの芸術作品を観るような感覚でいるのだろう。世界でたった一枚しかない傑作を大衆に公開するためには、国立レベルの研究保護公開する施設は必要だが、アニメや漫画にかぎって、そのような施設は必要ない。こうしたサブカルチャーは、いかに多く複製され蔓延するかに意義があるのであって、ルーブル美術館のようないかめしい場所に囲い込まれている必要なんぞ微塵もありはしない。しかも、現代は電子ミュージアムの発達で、絶版になった漫画や映像作品はネット上で公開されもしている。ネット閲覧で課金するようにすれば、著作権も守られるかと思う。

そうそもこういう施設は、ジプリ美術館のようにアニメ関係の企業がつくったほうが、運営もうまくいくはずだ。利害をかんがえない国家公務員に、ばかばかしい文化事業を担わせて税金を無駄遣いさせないでほしい。

土建屋儲けのために施設をつくりたいというなら、都内で受け入れ先がなく郊外の貧しい老人ホームに送られる老人を救うような公営のデイケア施設をつくってあげればいいのに。
いまはやりの文化なんかよりも、福祉を充実させなきゃいけないことなんて、私のようなアニメオタクでもわかりきっているのに。誰かこういうばかばかしい政治を皮肉ったアニメをつくってくれないかな。



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