真琴は胸から下げていたお守り袋から、四つに折られた写真を取り出した。
折り目は真琴がつけたものではない。元から折られて、角も擦り切れていたのだ。
そこに映っていたのは、二人の少女だった。
かなり古いもので白黒写真だから、どんな色あいの装いだったのかは想像もつかない。しかし、古びた写真に特有のあの味わい、陶器のようなその昔日への触れがたさ、息をひっつめたような透明な存在感が漂っている。スナップ写真ではこうはいかない。着崩れた感じもなく、だらしない表情でもない、見られることの恥をまだまだ日本人が大切に持っていた時代を語る一葉である。ひとりは手前でびろうど張りの椅子に腰を落ち着けている、品のいい感じの少女。もうひとりは、その後ろで立っているのだが、緊張感が顔に現れたのか、妙にぎこちない表情をしているように見える。手前の少女は、西洋薔薇をあしらった小粋な柄ものの振袖に、足が編上げ靴。うしろの少女はやや地味な矢羽根絣の二尺袖に、足もとは草履。双方、女学生らしい行灯袴を着用している。成人式や大学の卒業式などでよく見かける格好だ。どちらも同じぐらいの年齢で、二十歳は超えてはいないと推測される。
祖母が婚約者たる男の不実を疑った、その因縁深い写真。それをなぜ、真琴が所持していたのか?
話はさらに三年前にさかのぼる。中学一年の夏休み明け、親友が学校に現れなくなってから、真琴は陸上競技に熱が入らなくなっていた。皆勤賞を狙っていたので意地でも学校を休んだりはしなかったが、それでも部活だけはなんのかんのと理由をつけてさぼっていた。部活の顧問から両親へ呼び出しがあり、このままでは有名体育大学の付属校への推薦入学が危うくなるだろうと伝えられた。
仕事で忙しい両親に代わって、真琴を説得しようとしたのは祖母だった。
例によって、この奥の間で祖母と孫の二人っきり。そこではじめて真琴は、自分の胸の裡にだけ秘めていたこと──水泳のうまい親友がいたが、虐められっ子だったこと。その彼女が皮膚病に犯されて選手生命を絶たれそうになったこと。相談されたのに、何らの助力もできないまま、その子が行方不明になってしまったこと、を涙ながらに訴えたのだった。
余計なことを口挟まずに、黙って聞いてきた祖母は、やがて、こう諭した。
「マコちゃんはその人に戻ってきてほしいのね? だったら、あなたは、その子に恥ずかしくないように、ちゃんと自分のやるべきことをやらないといけないわ。今のマコちゃんを見たら、そのヒナコちゃんも哀しむでしょう」
「でも…。あたし、もうだめだ。あの子が居ない世界じゃ、なにもできない」
「でも、とか、だめ、とか言っちゃいけないの。だいじょうぶって言うのよ。マコちゃんが元気になるように、おばあちゃんがいいものをあげる」
毅然と言い切った祖母が、仏壇の引き出しから取り出したのは、重ねられた二枚の写真。
一枚は出征前の軍服すがたの祖父。そして、もう一枚は例のふたりの少女のものである。真琴はその少女の映ったほうになぜか心惹かれた。食い入るように見つめている。
「この女の子、どっちかが若い頃のばあちゃん?」
「いいえ。この人たちが誰なのか、おばあちゃんにもわからないの」
祖母は静かに笑って、首を振った。
誰だか素性が判らない人の写真を、後生大事に持つなんてありえない。女の子というものは、好きでもない友だちとは写真を撮りたがらないし、ましてや持ち歩いたりはしないものだ。真琴がふしぎそうに瞬きをする。
「この写真はね、おじいちゃんの形見。必ずお前の元に帰ってくるから、これを大切にしてくれって言われてね、戦争に行っていた間じゅう、おばあちゃんが預かってたの。だってほら、この写真、きれいなお嬢さんじゃない。よそに好きな人でもいるのかと疑って、帰ってきたら問いつめてやろうとずっと持ってたのよ。そしたら、あの人、ほんとにちゃんと帰ってきたわ。東南アジアの戦地でマラリアに罹っても、草木を食べて泥水をすすっても、仲間の兵隊さんが倒れていって独りぼっちになっても、現地の人にののしられて石を投げつけられても、米兵に投降して嘲笑されても、それでも這いつくばるようにして、あの人は生き延びた。そして、わたしの元へ無事に戻ってきてくれた…。あの人は言ったわ──『お前を幸せにしてやるまで、俺は死なん。絶対に死なんぞ。だから戻ってきてやったぞ』。その言葉を聞いてね、もう写真に嫉妬したなんてこと言い出せなくってね」