陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

図書館は作家を殺すのか?

2014-05-04 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

高校時代、学校の図書館はオアシスでした。
大学受験のための放課後の補習の前に、清掃時間があります。清掃の担当ではない生徒は適当に時間をつぶさなくてはならない。これがひじょうに辛い。美術室は受験生でない後輩がデッサンにくるので、たむろできない。となると、行き先は図書館でした。

高校の図書館というのは、ほんとうに品揃えが悪い。
太宰治の『人間失格』か、ピカソの「ゲルニカ」について書かれた本だけは借りた覚えがあります。借りる場所でなくて、逃げ場でした。

図書館で本がタダで読めるから、本が売れなくなったのだ、と主張する作家さんがいるそうな(読者数は減ってない? 作家が“本の売れない理由”を語る(朝日新聞出版.dot 2014/4/28))。お説ごもっとも。しかし、作家さんは作家さんになるために、図書館をいっさい利用しないのかとも疑う。他人の手垢がついた本を読むのがいやさに、本はなるべく自腹で購入する、という人もいましょうが、絶版の稀少本などは無理なことがあります。作家さんになるために図書館で育った人も多いのでは。

本が売れなくなったのか、それとも、本が読まれなくなったのかは、わけて考える必要があります。若者が読書に費やす時間がスマホに流れているらしい。しかし、端末で電子書籍を読む人も多いはず。電子書籍の貸出しにのりだす図書館もあります。私自身は紙の本が大好きですが、電子書籍は否定しない。それはシュメールの粘土板の文字がパピルスに変化したぐらいの驚きでしかない。

私は図書館をよく利用しますが、もういちど読みたい本だけは、かならず買います。しかし、話題になった本で興味が惹かれる程度のものは借りるで済まします。これは本だけではなく、テレビドラマや映画、アニメでも同じことではないでしょうか。放送されているから観るし、おもしろいとは思うのだけれども、ではDVDやBDでわざわざ買うまではいかない作品もあったりします。原作の小説や漫画は買うけれど、ドラマやアニメになっても円盤は買わないのもあります。

図書館に購入された一冊の本は、それを本屋で求めるはずの読者の財布の紐を開く機会を奪っているかもしれません。しかし、新刊本の置き場がすぐになくなる本屋の代わりに、時期を切らずに保管される図書館は、作家さんにとって自分の本が後世まで読まれるであろう機会ともなりえます。

タダ読みされるのが嫌ならば、図書館で貸出しされるたびに付与されたポイントが著者に還元されるなどの仕組みにすればいいのでは。貸出し(持ち帰り)に手数料を徴収するという案も叫ばれています。有料化するのはいいですが、利用者が評価を残せるシステムにして、最低ラインを下回ったら、その著者の本は税金で買うのはやめればいいのではないでしょうか。

しかし、そもそも、教育が普及し国民全体の知的水準が上がれば、かつては教養人の特権であった文筆業のハードルも下がります。作家さんのような一人でできるお仕事は、成り手が多いので、よほど他の誰もできないカラーと、時代の要求にマッチしていないと、たちまち行き詰まりそうですよね。史上最年少の直木賞作家として騒がれた学生小説家が、ふつうに就職活動をしてサラリーマンになったのもうなづけます。夏目漱石は国民的作家ですが、もともとは新聞記者でサラリーマンでした。

わたしの好きはあなたの好きではない。趣味や嗜好が多様化しつつある現代、つねに人を魅了し続けるものを量産するのって難しいですよね。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「蠅の王」 | TOP | 映画「アベンジャーズ」 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 読書論・出版・本と雑誌の感想