陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「召しませ、絶愛!」(一)

2022-04-19 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

紅いろづき、落ち葉舞い、風に鈴虫の鳴き音がまぎれて、夜がいっそう近くなる。
そんな秋深まる神無月のとある日のこと──。
これは、凄絶な運命に結ばれたふたりの少女に生じた、世にも不思議な物語である。

****

姫宮邸には、誰も知らないメニューがある。
このお屋敷の主・姫宮千歌音のために饗される食事は、ただ一人の口にあうために、多くの人手が介在している。和洋中の一流のシェフを揃え、管理栄養士に献立を考えさせ、名器に彩りよく盛られて配膳される。すべては、この館の侍女長の抜け目ない差配のもとで。メニューに主が文句をつけたことなど一度たりとてない。だが、そんな当たり前は、とあるひとりの平凡な少女の登場で変わりつつあるのだった──…。

「乙羽さん、きょうのお夕食、要らないわ」

麗しい唇から発せられたその言葉は、如月乙羽の胸にぐさりと刺さる。
おもちゃを買ってもらえない駄々っ子がハンスト気味に言ったのではなし。相手は、未成年とは言いながらも、もはや大人にも近い。華のある笑顔つきであっさりと言われたものだから、逆らえるはずもなく。
そもそも、マスクで覆われた口もとからは、何も伺えないのだ。しかし、なんだろう、その漫画みたいなキャラが描かれたマスクは…。栄えある姫宮のお嬢さまに相応しくないのだが、口に出して言えやしない。

最近とみにこんなことが増えた。
用事が減ったから楽なのだと、常人ならば考えるだろう。だが、生まじめな侍女長からすれば、自分の仕事を奪われたも同じなのだ。お嬢さまはお変わりになられた。お小さい頃から聡明なこの主は買い食いしてお腹を壊すことも、お菓子やアイスをドカ食いして太ることもなかった。虫歯の一本すらない。風邪をひいてマスク登校すらしたことはない。血圧・血糖値・心拍数もつねに正常の健康優良児。体調管理は万全だった。この主が御息災であること、それは乙羽の誰にも譲れぬ業務目標であった。なのに、…。

だが、侍女長はこんな不満はおくびにも出さず、

「さようでございますか。では、食後のデザートでも用意いたしましょう」
「ごめんなさいね、それも遠慮させていただくわ」
「…かしこまりました」

悟られぬように気遣いながらも、乙羽の眉がぴくりと跳ねる。ひきつったミミズのようだ。
食材が余ってしまうということはない。料理の品を十数品もならべてつまみ食いするといった、英国王族のごとき贅沢を千歌音は好まない。むしろ、部下のメイド隊の夜食に下げ渡されるのだから、喜ぶべきでもある。

「それとね、お湯を沸かしたポットを準備してほしいの」
「ポットでございますか? お紅茶ならば、お好みの熱さで淹れてさしあげますが」
「いいえ。お湯だけでいいの。なるべく熱湯にしておいて」
「承知いたしました。すぐにお持ちいたします」

黒髪をひるがして立ち去ろうとする千歌音。
お嬢さまはいたってお元気そうだ。なのに、侍女長の懸念はつのる。言うか言うまいか、逡巡ののちに乙羽もたまらず呼び止めてしまう。気後れが先にたつよりも、主の心配が本分なのだからして。

「千歌音お嬢さま、僭越ながら申し上げますが…。どこかお加減がよろしくないのでは…」
「いいえ。ご心配なく。では、早急にお願いね」

閉められたドアの前で、しばし乙羽は立ち尽くす。
ドアの向こう側にいるものの気配が、わずかな隙間から漏れ出ていた。甘ったるい笑い声。この豪奢な館に似つかわしくないおもちゃめいた色の服飾。幼稚な舌に合わせた味付けや見栄えのすこぶる悪い手弁当の盛りつけ。古き良き姫宮家が何かに浸食されている。乙羽には、「あの存在」が月を陰らわす叢雲のごときに思われる。

昔だったら、強引に額に手をあてて、お熱を計って、脈をとって。それくらいのことはしてきたのに…、いや、つべこべ言わずにお屋敷の業務に戻らねば。お嬢さまがつつがなくお元気なのは良きこと。残念顔から一転。乙羽はすぐさま仕事師の顔になる。そつなく務めを果たすこと、言いつけを細大漏らさずに履行すること、それこそが奉公人の喜びなのだから。

だが、しかし。
奉公人・如月乙羽はしたたかにも忘れない。明日の朝食メニューでは、椎茸ご飯に、干し椎茸たっぷりの吸い物、椎茸まぶしの紅鮭のソテー、椎茸茶、椎茸入りの茶わん蒸し、椎茸味のアイス。侍女の一人に椎茸マスコットの着ぐるみをかぶらせて給仕。歯磨き粉やトイレの芳香剤にたるまで椎茸の香りつき。とことん椎茸尽くし倍返しだ! お嬢さまとの社会的距離を無視しやがって、あンのクソアマ。見てやがれ、あの犬っころ娘がァああああ──と。



【目次】神無月の巫女×姫神の巫女二次創作小説「召しませ、絶愛!」



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